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13.その日、生まれた

 


 結論から言うと、あっさり追いつかれた。


 ……そんな目で見ないで欲しい。言ったじゃない、私インドア派だって。体力ないんだってば。成人男性、それも盗賊と鬼ごっこなんて分が悪いに決まっている。しかも人海戦術なのか追っ手が山ほど差し向けられたようだ。条件が悪すぎる。


 私は小動物と息を殺し、木に背を預けるようにうずくまっていた。木の向こう側には男が数人。私を探し回っているらしい。幸いまだ見つかっていないが、いつまでもつやら。


 と、さらに人数が増えるようだ。何やら騒がしい。



「おい聞いたか? テュムルスを襲撃した奴ら、半分が死んだんだと!」


「チッ……衛兵どもはともかく宰相の私兵は完全に分が悪かったか!」


「帰ってきてない奴らは全滅か……」



 安堵が胸に広がった。良かった、街は一応は騒ぎが収まったらしい。


 だが、続く言葉に顔が引きつる。



「こうなったら何が何でもあの小娘とっつかまえてぶっ殺してやる……」


「客人の頼みなんぞ知ったことか。いくらいい儲け話があるったって、あいつが俺たちをけしかけたからこんなことになったんだ。頭領はカンカンだぜ、ガキ共々ぶっ殺してやるってよ」


「どうせ『生死問わず』だろう? 引き渡してもどのみち殺されるはずだ……」



 恐怖で心臓が張り裂けそうになる。カガリの傷つけるなという言葉が意味を失った。つまり、捕まるイコール殺されるの等式が成り立ってしまった。


 ヤバい、これはヤバい。何が何でも逃げきらなければ。



「この辺りにはいないみたいだ。他の奴らと合流しようぜ」


「おう」



 良かった。彼らが完全に離れたらこっそり抜け出そう。それまでは気配を絶って、静かに、



 《~~~♪ ~~~~♪》



 軽快な音楽が流れた。


 音楽が流れたのである。――私 の 胸 ポ ケ ッ ト か ら  。



「え……は、ちょ、……え……? 何これ、え……?」



 ──解説しよう。数時間前、私が不貞寝から目覚めたときのことを思い出していただきたい。洗濯やらシャワーやらをしなければいけないからと早起きする決意をしてはいなかったか。とはいえ私は目覚まし時計なんて持っていない。そんな中便利なのがはい、文明の利器スマートフォン。アラーム機能付き、スヌーズ機能あり。四時起きだろうが何だろうがノリの良い音楽を設定すれば一発で目が醒める。そして現在は明け方、おそらくは午前四時ジャスト。まあつまり何が言いたいかというと私の胸ポケットの中で 携 帯 の ア ラ ー ム が 鳴 り 響 き や が っ た の で あ る 。



(ちょ、ま、スマホおま、うわあああああああバカああああああああ!)



 静かにって! 静かにしようって決意したじゃん! 何でよりによって今鳴るの! いや四時になったから鳴ったのだろうけど、ちょ、もうちょい空気読めよ!



 ──想像してほしい。


 十人近くの殺意マシマシな男たちに囲まれて。


 震えながら物陰に身を潜め。


 命がけの逃亡劇に挑もうというJKのポケットから何やら軽快な音楽が流れ出すという。



 この!


 状況を!



 曲が流れ終わり、恐ろしいほどの静寂の中、私はひとつ息を吐き立ち上がった。小動物の視線の中に軽蔑と、そして呆れを感じた。まあ無駄な思考はここまでにしてだ。



「……この、馬鹿」


「いたぞ!」


「殺せえええええ!」


「いやあああああああ!?」



 私は走った。


 冗談じゃない。こんなアホな理由で死んでたまるかと。いやアラームを解除していなかった私が悪いんですけどね!


 後ろからは盗賊の大軍団が追いかけてきている。走っているうちに今度はスヌーズ機能のせいでまたスマホが鳴り出した。やかましい! ポケットから何とか取り出したスマホをぶん投げて、また走る。



 ──ヒュッ



「っ!?」



 腕の横を何かが掠めた。遅れて熱が走る。突然のことによろめくが何とか踏みとどまる。


 近くの木に矢が突き刺さっていた。振り返ると、男が私に何かを向けていた。──クロスボウだ。


 理解した瞬間、腕が痛み出す。顔を歪める私に、男たちは風に吹かれた木の葉のように笑いさざめいた。



「逃げられねえよ、お嬢ちゃん」


「大人しく捕まっとけっての」



 明らかに嘲笑の滲んだ声音だった。私は少しだけ迷った後、震える足を叱咤して彼らに背を向ける。盗賊が一際大きな笑声を上げ、あっという間に私の前に回り込んだ。とっさに足を止め左右を見渡すも、すでに囲まれていた。



「ヒャハハハ、やっと捕まえたぜ!」


「大人しくすりゃ、悪いようにはしなかったのになあ!」



 私は悔しくて、前方の男を睨みつけた。



「嘘つき! どうせ私のこと殺すくせに!」


「やっぱ聞いてたのか小娘ぇ……」


「どうする? うるせえし殺しちまおうか」


「いや、散々手間かけさせやがったんだ、じっくりいたぶってやらなきゃなあ」


「もう逃げられねえように手足ぶった切って、皮と爪でも剥がすか?」


「っ、やだ、来ないで!」



 じわじわと近づいてくる盗賊たち。小動物はおらず、いつの間にか私だけということに気づいた。はぐれたのか、それとも逃げたのか。──あの様子だと、やはり後者だろうか。


 結局逃げられるわけもなく、いつの間にか背後に迫っていた男に腕を捕まれた。前方にばかり気を取られていた私は悲鳴を上げた。男たちの楽しそうな声が遠い。私は半狂乱になって、体に回された腕に噛みついた。ギャアと叫んで男は逆上し、私を振り払った。地に投げ出され何度か転がる。脇腹に灼熱の炎を埋め込まれたみたいだった。



「っ、ぁ……」



 激痛に起き上がれぬまま確認すると、カーディガンにまた新たな穴が空き、そこから真っ赤な染みが広がっていた。振り払われた際、ナイフか何かで切りつけられたのだろう。間違いなく人生で一番の激痛に、私は為す術もなく呻いた。


 だが、それでも私は、立ち上がらなければならない。逃げなければならない。地面を掻く。力の入らない腕に、それでも力を込めようと足掻いた瞬間、さらなる痛みが私を襲った。



「──ッ!」


「往生際が悪ィんだよ」



 男の革靴が、私の手を踏みにじっていた。声なき悲鳴を上げる私を男が見下ろしている。



「虫けらが生意気なんだよっ!」


「はは、無様だな」


「っ、いっ……はー、は」



 息が荒い。痛くて辛くて苦しくて、思考すらままならない。もういっそ彼らに跪いて、楽に死なせてもらった方が良いのではないかと囁く声がする。魅力的な選択肢だった。この激痛から逃れられるなら、何だってするかもしれない。



 だけど、それでも私は。



「ぶ、ざまで、…にが、わる、い、のよ……」


「ああ?」


「っ、生きたいって思って、何が悪いのよ!」



 呼吸するのすら、痛い。走りつづけたのと、恐怖で胸が潰れそうな思いをしていたのと。


 本当に怖かった。夜明け前の森を追っ手に怯えながら逃げるのは、とても恐ろしかった。逃げることは、足掻くことは、生きようとすることは、こんなにも痛い。知らなかった。


 大丈夫だから平気だからと、言い聞かせて生きているときより、ずっと。


 何もかもを受け入れたふりをしてへらへら笑っているときより、ずっと、ずっと。



「ふざけんな……ふざけんな!」


「ぁんだあ……?」


「だって、意味わかんないし! 何一つわからないのに、納得なんてできっこないじゃん! 死ねって言われてはいそうですかって、なるわけないじゃんばっかじゃないの!」



 泥に塗れて私は叫ぶ。


 この世界に迷い込んだときから──違う、あの人がいなくなったときからずっと押し込めていた想いが爆発する。追い詰められた時に口の周りが異常に良くなるという悪癖を存分に発揮して、八つ当たり気味に喚き続ける。



「毎日毎日バイトして! ひとりぼっちで待ち続けて! 挙げ句の果てにこれよ、これ! 異世界とか! ゾンビとか! セダさんは怖いし、ティアも冷たいし! スマホ鳴るし! それでも諦めなかった私! 健気か! 幸薄すぎんか! 可哀想って思わないわけ!? いい大人が寄ってたかって十六の女の子をいじめてさ! こっちはなんっも面白くないっつのばかぁ! ふざけんなぁっ!」


「……」


「っ、はー、はー、はー」



 盛大な逆ギレをかました私に、男たちは些か引いていた。というか、かなりドン引きしていた。相変わらず私の手を踏みつけたままの男を見上げ、ぎっと睨みつける。



「はー、……だから」


 ただひとつの願いのために、私はひたすらに走った。走り続けてきた。まだ諦められない。諦められるはずがない。私は生きて、そして──。



「だから! だから私、こんなところで死ねないの! 死にたくない、生きたいって足掻いて、何が悪いのよ!」



 私の手を踏み潰している男の足。その剥き出しの向こう臑に、逆の手で思いっきり爪を立て引っ掻いた。飛び退いた男は激怒して足を振り上げる。鳩尾に靴底が埋まった。世界が回転する。


 ああ、私、蹴られたっぽい。


 もう痛みすら感じなくなってきた。自分が咳き込み胃液を吐き出す音すら遠くに聞こえる。男が何事かを叫びながらナイフを振りかぶったのが見えた。薄暗い森の中、刃が冷たく輝く。



 いよいよ終わるのか。



 ──セダさんとラザにもっと、ありがとうとごめんなさい、言わなきゃいけなかったのに。


 ──そういえば、あの小動物にもお礼を言えなかった。置いていかれたけど、せめて逃げ延びてくれたらいい。


 ──お兄ちゃん。どこにいるんだろう。会いたい。とても会いたい。


 ──寂しい。



 ──寂しいよ。



「死にたく、ないよ……誰か……」



 そのとき。


 私は、鮮烈な声を、聞いた。



「ヒノ────!」



 夜闇を裂くような声。その残響が絶える前に、私に刃を振り下ろそうとした男が吹っ飛び、動かなくなる。


 男の代わりに降り立った人を見上げる。その人は、燃え盛る焔の色の瞳に強さを宿しながら、確かに私を呼んだ。



「ヒノ、悪い、来るのが遅れた」


「ラザ」



 少年は力強く頷く。その背に声がかかる。



「おいラザ、てめえ先に行くなっつったろうが!」


「ヒノ助けたからチャラだろ!?」


「セダ、さん」



 遅れてラザを怒鳴りつけるのはセダさんだった。でも何故彼がここに?


 混乱する私を前に、ラザはにっと笑った。腰の双剣を引き抜きながら。



「ちょい待ってろ、ヒノ。こいつらぶっ飛ばすからさ」


「っ、てめえいきなりなんなんだ!」


「やっちまえ!」



 ようやく我に返った男たちが気色ばみラザに飛びかかる。立ち回るラザを尻目にセダさんが私の前に膝を着いた。怪我を確認している。



「……手当てすりゃ死なん。起きれるか」



 本音を言うと、体中のありとあらゆるところが痛くてむしろどこが痛いのかわからないくらい、辛かった。だが私は頷き、半ば無理やりに体を動かして起き上がった。ちょっと動くだけで泣きたくなるくらい、痛い。



「あの、どうして……ここに」


「こいつが知らせに来た」



 セダさんの肩の上、もはや見慣れた小動物がいることに今更気づいた。はぐれたと思った小動物は、セダさんたちに私の居場所を知らせに言っていたらしい。よく見るとセダさんの手には捨てたはずの私のスマホがある。大音量で鳴るスマホを咥えて走る小動物を、セダさんとラザが見つけ出したというのが真相だろうか。


 セダさんの肩から飛び降りた小動物が、私の前に降り立つ。真っ白な体躯は、森の中を駆け回ったせいか泥で汚れていた。蒼い目が不機嫌そうに私を見上げる。全身の痛みを無視して私が手を伸ばすと、僅かに不機嫌そうな気配を増しはしたものの、逃れることなく頭を撫でられてくれた。



「ティア、ありがとう……」


「名前は呼ばないでって言ったでしょう。……酷い様ね」



 泥塗れの手をぺしぺしと尾で叩きながら小動物が応えた。どこまでも冷たいが、結局この子には助けてもらってばかりだ。


 だが、知らせに行ってすぐここに来れたということは、もともとこの森にいたということだ。そのことを問おうとした時、ラザの声がした。



「これで、最後ッ!」



 男の顎を正確に殴り飛ばすラザ。吹っ飛ばされた男は大樹に身を打ちつけ失神した。同じように気絶していた男たちの真ん中で、ラザは息を荒げながらもほぼ無傷だった。あんなに恐ろしい盗賊たちを、ラザはたったひとりで、一瞬で倒してしまった。ラザが駆け寄ってくる。



「ヒノ、無事か? 怪我ないか?」


「大アリだろーが、見てわかれ馬鹿」


「なら早く治してやれよ」


「お前が片付けるのを待ってたんだよ、二度手間になるから」


「俺がこんな奴らにやられるわけねえだろ」



 軽口を叩きながらもラザが私を覗き込み、ほっとしたように笑った。



「生きてて良かった。俺、ヒノを助けに来たんだ。もちろんティアもだけど」


「わたし、を……?」


「おう!」



 立てるか、とラザが手を差し出した。さっき敵を殴ったからか、血に濡れていた。あ、と彼は声を上げ、慌てて引っ込めようとした。


 その前に私がその手を掴む。私の手も泥だらけの血まみれだった。縄を切る時ナイフで切ったし、転んで擦りむいたし、そこで伸びている盗賊に踏まれたし。でも、そんなのどうだっていい。



「ヒノ、やめろって……汚れるから。血、嫌いなんだろ?」



 ゾンビから助けてくれた時、街で盗賊を倒した後、カガリに連れ去られる間際、そして今。何度も、ラザは私に手を差し伸べてくれたのだと今更に気づく。その度に私は、その手を濡らした赤色が恐ろしくて、怯えて、振り払って。その手を握り返すことができなかった。


 でも、今なら、できる。



「いいの。……怖かった。すごく、すごく怖かった」



 怖かった。恐ろしかった。盗賊たちも怪我の痛みもそうだけれど、私はそれ以上に、独りきりなのが怖かった。



「私、怖かった。死にたくなくて、生きたくって、逃げて、走って。……誰も、ティアもいなくなって、ひとりぼっちで」



 誰も助けてくれないのだと知っていた。それでもいいから生き延びてやると、そう決めた。だけどいよいよ死を覚悟したとき、こんなの嫌だと、心が哭いた。



「ひとりで頑張ろうって決めたけど、誰か助けてって……私、やっと気づいたんだ。本当はずっと叫びたかった。叫んで……誰かに、聞いて欲しかったんだと思う」


「……叫べたじゃん。聞こえたよ、ちゃんと」



 ラザが笑った。誰かを安心させるために浮かべる、少し不器用な、けれど力強い笑顔だった。



「叫べただろ。で、聞こえた。だから来れた。ヒノが叫んだから、俺もセダもティアも、ヒノを助けたいって思ったんだよ」


「うん……本当はずっと嫌だった。でも我慢しなきゃって、ひとりで頑張らなきゃって私、ずっと」



 本当はずっと叫びたかった。仕方ないからと、諦めて笑うんじゃなくて。平気なふりをするんじゃなくて。けどできなかった。叫んでも、誰にも助けてもらえないと思い知ることの方が恐ろしかったのだ。


 差し伸べられたラザの手のひらを、両手で包む。どの手も血まみれだ。その紅が滲んでいく。


 瞬きをする。熱い何かが頬を伝い落ちた。



「ひとりぼっちだって、思ってたから」



 もう泣かないと決めた。お兄ちゃんがいないなら、私が頼っていい人はいないからと。なのに止まらない。後から後から溢れてくる。泣き出す私に、ラザが焦ったように言葉を重ねる。



「ヒノはひとりじゃねえよ。その……ひとりが怖いの、俺も知ってるからさ」


「っ、うん、うん」


「ヒノのこと、ひとりには、しないよ」


「ふ、うん、ひ、ぅ」



 目の前にいるはずのラザすら見えなくなる。あまりに優しい声に、私は何度も頷く。伝えたいことがたくさんあるのに声が出ない。言葉にならない。涙も拭えない。差し伸べられた手を、どうしても離せない。



「ひ、うあ、ぁ、うああああああ!!」



 泣かないと決めていたのに、涙が止まらない。



 まるで子どものように、私は久しぶりに声を上げて泣いた。




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