12.天啓
「喋っ……た……」
呆然とした言葉が私の口から零れ落ちた。
「……喋ったぁ!?」
「喋るわよ、馬鹿なの?」
「ま、魔物って喋るの!?」
「喋らないわよ、馬鹿なの? 私が特別なのよ」
見下ろしているのは私なのに、なぜか見下ろされている気分になる。というか、見下されてはいた。
「え、何で、ティア」
「名前を気安く呼ばないで」
「ひぎゃっ!?」
その場でティアが軽く跳躍し、思いっきり私の額に頭突きをかました。
「というか、頭が高い」
「はわっ!?」
「負け犬なら負け犬らしく地面にめり込んでなさいよ」
「ほげっ!?」
着地したティアがノーモーションで再び飛び上がり、今度は回し蹴り、ついで長い尾で私の左右の頬をぶっ叩く。計四撃をもろに食らった私は、なすすべもなく床に倒れた。
「いっ……たぁ!」
「状況わかってるの? 騒がないで」
「誰のせいだと……」
倒れ伏した私の恨みがましい視線など、小動物はどこ吹く風だった。歯牙にも掛けない様子で一瞥をくれ、そしてくるりと私に背を向けて歩き出す。
「え……どこ、行くの」
「帰るわ。時間を無駄にした」
「待っ」
「『もういい』んでしょ、貴方は」
振り返った小動物に射竦められて、私の息が詰まった。ついさっき自分が吐いた言葉に、首を絞められたような気分になる。
「ならそこにいればいい。そこでそのまま、自分の不幸に浸っていなさい」
「やだ……お願い、行かないで、一人にしないで! 一緒に連れてって!」
「……貴方が『ひとりではない』ときなんてあったかしら?」
冷めきった蒼い双眸が私に向けられていた。地面に転がったまま、呆然と、私は小動物を見つめていた。
「逃げられると思っているの? 逃げてどうするの? 行くあてはあるのかしら? 帰る場所はあるのかしら? ……逃げなくてはならない『理由』なんて、あるの? 暗い道のりだと知ってなお挑む理由が、覚悟が、果たして貴方にあるの?」
「……」
「ないなら、諦めなさい。……ついて来ないで。足手まといよ」
矢継ぎ早に突きつけられた問いに、私は一つとして答えられなかった。白く長い尾が私の顔の前で揺れる。言葉を失う私を見やり息を吐いた小動物は、何故だか、失望したように見えた。
「帰る場所がなくたって、一人きりだって、私は行くけどね。──死ぬなら存分に賭けてからだと決めたから」
「──」
「じゃあね、負け犬。一生そこに繋がれてなさい」
私への興味を完全に失ったのだろう。白い尾が揺れ、私から離れていくのを、地面に転がったまま私は見つめていた。
視界の端で、何かが、板戸の隙間から僅かに射し込む一条の月明かりに煌めいた。私は視線を下げていく。
薄明かりの中で光ったのは、私の首もとから下がるペンダントだった。私は目を見開いた。
「お兄……ちゃん……」
──決めたはずだ。帰りを、いつまでも待ち続けると。それだけが、私の生きる理由だから。
目の奥で一際熱い何かがこみ上げた。小動物の背が遠ざかっていく。
気がつけば、私は動いていた。衝動のままに叫ぶ。
「……ちょっと、待ちなさいよ!」
「!?」
小動物が思いっきりつんのめった。ずっこけた小動物が振り返って見たものは、おそらく、必死の形相の私と、私が転がって下敷きにした自分の尻尾だったはずだ。
「貴方何して」
「馬鹿にしないで! あるよ、『理由』ぐらい!」
「はあ?」
小動物が胡乱げな目をした。思いっきり睨みつける。
「あるもん、ある、私だって、私だってっ!」
「ちょっと、離しなさい、痛いんだけど!?」
「い・や! 絶対離さない! 連れてってくれるまで絶っっっ対離さない!」
「連れていくわけないでしょうが!」
「い!! や!!」
進もうとする小動物と、それに追い縋る女子高生という、世にも奇妙な構図だった。
「置いてく気ならこのまま騒ぎ続けてやるから! 騒いで、見張りとか呼び込んじゃって、あることないこと喚いちゃって、あなたも逃げられないようにしてやるから!」
「脅すというの!? この私を!?」
「じゃあ連れてってよ!」
「ふざけないで!!」
永久に続くかと思われた平行線は、しかし、どう足掻いても小動物の方が不利だった。肩で息をしながら、怒りに瞳を燃やした小動物が宣言する。
「……、っふー、いいでしょう、ここから出るまでは手助けしてやろうじゃない……その代わり、半端な真似したら承知しないわよ」
やるなら、最後までやり遂げなさい。諦めることは絶対に許さない。
ぎろりと睨んで譲歩案を出した小動物に、私も荒い呼吸を宥めながら言い返そうとして──できなかった。
肩の力が抜ける。視界が急に滲む。
「……っ」
身を起こして膝を立てる。縛られているせいで身体の自由が効かない。例えば袖口で目元を拭う、なんてことさえできない。代わりに膝を立てて、顔を埋める。
「下着見えてるけど」
「っ、うるさい……」
言い返した声は、完全に涙声だった。込み上げてくる熱いものをやり過ごしている間、小動物がぼそりと呟いたのを聞いた気がした。
「……できるじゃない」
息を吐いて、吸って、滲んだ世界がようやくクリアになった頃、顔を上げた。もう一度立ち上がるために、歯を食いしばる。決意とともに口を開く私を、小動物は座して待ち受けていた。
「ティア、どうやってここから出るつもり?」
「気安く名前を呼ばないで。……見張りは外にひとり。今にも寝そう。あいつをこの部屋に呼び込んで、その隙に出るつもりだったけど」
小動物が助走もなしに窓枠に飛び乗る。板戸は立て付けが悪いのか歪んでいて、そこから外の様子が見て取れた。硝子はないが、縦横に板が渡されていて、窓からは到底逃げ出せそうにない。
「貴方がいるのならもう少し考えなくてはね」
「その見張りの人って、何か刃物は持ってる?」
「腰に短剣を一本」
私は考える。どうにかしてこの縄を解き、見張りをかわし、逃げなければならない。
──娘は傷つけるな
「……やるしかないか」
正直、怖い。上手くいく保証はどこにもない。だが、盗賊たちが今なおカガリの言葉に縛られているとしたら──そして、私の予想通りの『勘違い』をしているというのなら、再び捕まっても危害を加えられるということはないだろう。なら、やるだけやってやる。わけもわからずに振り回されるだけなのは、もう嫌だ。
「ねえ、私が見張りを呼び込むから、一瞬であいつを気絶させる方法、ない?」
「ないと言いたいところだけど、そうね、それくらいは協力してあげる」
癪に触る言い回しだが、ある、と見て良いのだろう。
「わかった。ティアは見張りが入ってきても見えないところにいて。……一緒に、逃げよう」
「名前を呼ばないでって言ってるでしょう。……せいぜい上手くやりなさい」
覚悟を決め、私は思いっきり息を吸い込み、外まで響くほどの大声で叫んだ。
「痛い痛い痛い! 誰か、誰か助けてー!」
「!? 何だ!?」
ガチャガチャという音、それから開け放たれる扉。大型のナイフを腰に差した男が、焦ったように小屋に飛びこんできた。
焦るのは無理もないことだろう。傷つけるなという客人の言葉、ひいては頭領の命令が自分の管理下で破られたとなったら、誰だって焦る。そんな思考をひた隠しに私は絶叫する。
「痛い痛い痛い、痛い! 苦しい、痛い!」
「どうした娘!? 何があった!?」
「痛い痛いいた……嘘です、すみません」
え、と男が呆然とする。ふと視界が一瞬で暗くなったのに気づき顔を上げるが、もう遅い。
「シャアッ!」
「ッ、ガアッ……!?」
男の死角斜め後ろから助走をつけて、小動物が跳ぶ。身体を捻り、勢いのまま、後頭部に回転回し蹴りを叩きこむ。
(延髄斬り──!?)
「ふんっ、頭が高くってよ」
首の後ろを切り裂くような蹴り、故に延髄斬り。そんな凶悪な名前のプロレス技を繰り出した小動物が、泡を吹いて倒れた男を見下ろしていた。いい吹っ飛び具合だった。
「あの馬鹿もたまには使えることを言うわね」
「何て言われたの?」
「『とりあえず顎か首を狙え』って」
「えっぐ」
ラザの玄人っぷりに軽く引きつつ、男の腰からナイフを引き抜く。なんとか後ろ手で鞘から抜き、ロープを切ろうと苦闘する。慣れないからか、滑って手のひらを切りつけた。構うものか。
「切れろ、この……切れたっ!」
ロープを振りほどき立ち上がる。早く逃げなければ、いつ気づかれるかわかったものではない。よろめきつつ、小動物と共に開け放たれた戸を潜る。
そこは、森の中だった。夜明け前で薄暗く、辛うじて焚かれた焚火がぼんやりと木々の形を浮かび上がらせていた。。同じような小屋が幾つか、半ば崩れかけでぽつりぽつりと佇んでいる。開いた南京錠がつけられた扉の左に、木箱やら何やらのガラクタが積み上げられている他は暗い森しか見えない。どこに逃げればいいのか。
話し声が聞こえた。私は小動物に促され、とっさに木箱の影に隠れ息を潜める。人数は二人、話し声から見張りの交代に来たのだとわかった。まずい。
新たに来た男たちは、扉が開いていることに気づくと、焦った様子で中に駆け込んでいった。何があったと詰問する声がする。私は静かに木箱から出、逃げようとして……扉の南京錠に気がついた。行動を変更し、引き戸を閉める。中の男たちが声をあげる前に、閂を南京錠に差し込んでロックした。これで時間が稼げる。中からは、怒り狂った男たちの咆哮が聞こえた。
「こっち、早く!」
小動物が叫ぶ。ある方向を示していた。走り出す小動物の後を追う。
あまり長くは持たない。粗末な小屋だったから、三人がかりで体当たりでもしたら、きっと扉はすぐに壊れるだろう。それに、交代したはずの見張りがいつまでも帰ってこないなら怪しまれるに決まっている。
奴らが気づく前に、出来るだけ遠くへ。その一心で、私は夜明け前の森を走りつづけた。




