ちょっとした仕返し
それからさっそく黒瀬と仕事をすることになった。
朝から三件の会議に同席し、昼休憩を削っての接待準備。
午後は外出先との調整、帰社後には緊急の会議と資料の差し替え……。
初日から飛ばしすぎでしょ。
どうせ黒瀬のことだ。
のうのうと社長室に座りながら人に命令するだけだと思っていたので、驚いた。
「高梨さん、昨日の議事録もう共有済み?」
黒瀬がたずねる。
「はい。役員宛に配信済みです。控えは印刷してデスクのファイルに綴ってあります」
「助かる。あと、金曜の午後……会長との面談を入れたい。調整してもらえる?」
「かしこまりました。面談室Aを仮押さえしておきます」
「ありがとう」
そしてお礼まで言えるようになったとは……。
黒瀬悠真。
相変わらず、どこまでもできる男で隙がない。
なにかしてやろうと思ってたけど、あまりに忙しくてする暇がなかった。
チャンスは午後ね。
そうだ、簡単に出来ることがあるじゃない!
午後の役員会議。
私は黒瀬に先週のバージョンの資料を提出することにした。
この日は黒瀬がメインに話をすることになっている。
先週のトピックを堂々と話していたらさぞ恥ずかしいだろう。
そんなことを思い、私はニヤつく広角を隠しながら会議を受けた。
会議が始まり、黒瀬は堂々と議長席に座る。
そして、なんの疑いもなく資料をめくり、ページを開く。
「えーと、まずは第三四半期の売上ですが……」
そこまで言ってぴたりと止まる。
まさかもう気付いたのか。
本当なら役員に指摘されて恥ずかしい思いをしてくれたらと思ったんだけど……。
まあ、いい。
古い資料と気づいたところで出来ることはないもない。
こちらに視線を送られても、当然気づかなかったということにする。
そう思っていたのだが……。
「売上が8380万……そして1億2000万円となっており……」
えっ!?
あろうことは黒瀬はさらりと、今週の売り上げを発表し出した。
まさか……数字を覚えているの!?
動揺する姿を見せることもなくスラスラとみんなに伝える。
けっきょく彼がなにかをミスすることなく会議は終わった。
作戦は失敗だ。
「すみませんでした、私のミスです」
会議後、私は黒瀬に謝った。
資料の共有ミスで怒られる覚悟はしていたけれど、黒瀬になんの落ち度も作れず失敗に終わるなんて……。
「気にしないでいいよ。今はバタバタしてるから高梨さんも大変だと思うし」
挙句の果てにフォローまでされてしまう始末。
全然上手く行ってないじゃん。
「あ、あの……」
「ん?」
「全部のデータ、覚えていらしてるんですか?」
「もちろん。会議の時は頭に入れているよ」
そっか……すごいな。
黒瀬が昔から能力が高いのは知ってた。
でもここまでだなんて……。
努力しなきゃここまでの境地にはいけないだろう。
あいつもあいつなりに努力してるのかな……。
そんなことを考えたら、なんだか罪悪感が湧いてきた。
いけない。
なにをしてるの、私……。
これは過去の復讐のチャンス。
昔されたことを思い出すのよ。
まだまだ出来ることはある。
黒瀬に恥をかかせる作戦第二弾よ!
こうして私はさらに黒瀬を追い込む作戦を実行するのだった。
「社長、コーヒーをお持ちしますね」
「うん、ありがとう」
社長室へ向かう途中、私は給湯スペースへ立ち寄る。
カップにドリップコーヒーを注ぎながら、棚の隅から小さな瓶を取り出した。
砂糖と見た目がそっくりな、塩。
ほんの少し。ひとさじだけ……。
でも違いがわかるようにティースプーンでひと混ぜして、入れることにした。
私は笑顔で黒瀬社長の前にカップを置いた。
「社長、コーヒーをどうぞ」
黒瀬社長は「ありがとう」と言って口元にカップを運んだ。
その瞬間、私は彼の様子を横目で見ていた。
鼓動が少しだけ速くなる。
一口、黒瀬社長が飲むと眉をしかめた。
「……あれ?」
ふふ、さすがにこれには気づいても対応出来まい……。
「どうかされましたか?」
そんなことを白々しく尋ねると、黒瀬は言った。
「いや、なんか今日のコーヒー……しょっぱいような……」
ふ、ふふっ……。
これくらいの仕返しなら可愛いものでしょう?
私はあなたにもっとヒドイことをされたのだから。
「そうでしょうか?いつも通り作ったのですが」
淡々とそう伝えると、彼は言った。
「……うん、でもこれもこれで美味しい。夏だから塩味もとっておかないとね」
ニコッと笑顔を見せる。
う、う……ウソでしょ。
効かなかった……。
もっと大量に入れれば良かった?
でもさすがにそこまでは良心が痛む……。
とはいえ、これも美味しいなんて言われていちゃ、意味がないでしょ。
けっきょく、二つ目に考えた作戦も見事に撃沈して終わってしまった。
はぁ……なんか空回りしてる気がする。
今日は午前中に大口取引先との会食、その前に社内で打ち合わせが三本、そして午後は外部セミナーでの登壇。
なかなかのハードスケジュールを黒瀬は淡々とこなしていた。
そして昼食の時間。
「高梨さん、今日の昼、例の店で弁当買ってきてもらえる?」
「かしこまりました、社長」
普段は社内食堂を利用社長だったが、今日は確認する資料が多すぎるのか社長室にこもりきり。
それもあってか、珍しく外のお弁当を望んだ。
私は社長の指示を受けながら、心の中でにやりと笑った。
(これは……絶好のチャンス)
会社の二次会で罰ゲーム用に買った激辛ソースが、まだ給湯室の棚にひっそりと残っていることを私は知っていた。
これをこっそりお弁当に忍ばせてやろう。
どんな顔が見れるかな……。
お弁当を買ってオフィスに戻ると、私は給湯室に駆け込んだ。周囲に誰もいないことを確認し、棚の隅から小さなボトルを取り出す。焼肉重の蓋をそっと開け、箸で肉を少しずらす。
そのときだった。
「……なにしてるの、高梨さん?」
ゾクリと背筋が凍りついた。
低く、落ち着いた声が真後ろから聞こえる。
私は反射的に蓋を閉じ、ボトルを後ろに隠した。
「しっ、社長……どうしてここに!?」
心臓がバクバクと音を立てる。
さっきまで誰もいなかったのに……。
振り返ると、そこには腕を組み、鋭い視線で私を見下ろす黒瀬が立っていた。
「お弁当を手に持った高梨さんが給湯室に向かうからなぜかなと思ってさ」
「す、スープを作ろうと思って……」
私は誤魔化すように伝えるが、社長は逃がさなかった。
「スープはついてるはずだけど?ここのお弁当を食べるのはもう3回目なんだ」
まずい……。
言い逃れが出来ない。
「不思議なことに高梨さんが秘書についてから、ちょっとした変なことが起きていてね。これも高梨さんの仕業かな?」
そう言うと、彼は私の手からボトルをひょいと取りあげた。
「あっ!」
小さな激辛ソースのボトル。
黒瀬はそれを一瞥すると、ふっと笑みを浮かべた。
「へぇ、罰ゲームでもするつもりだったのかな?」
「こ、これは、たまたま……」
「たまたまね……」
黒瀬は疑うような視線を私に向ける。
「……申し訳ありません。私の不手際で……」
「そんな不手際するような女じゃないだろ?」
「えっ」
私が驚いて彼を見上げた瞬間、はっと息をのんだ。
昔と同じ意地悪に笑う顔。
「こういうことは得意だったはずだろ?なぁ、地味子ちゃん?」
「なっ……」
ウソ……覚えてたの!?
どうして……いつから?
すると、不意に、指先が肌に触れた。
「……っ」
あごをすくい上げるような動きに、反射的に体がこわばる。
ぐいっと顔を上げられた先に、黒瀬社長の鋭い視線があった。
「あっ……」
瞳の奥まで、まっすぐに見透かされているような気がして、息が止まった。
「お前が優位に立てるとでも思ってんのか?」
胸の奥が、どくん、と跳ねた。
視線を逸らしたいのに、逸らせない。
「地味子ちゃん。また思う存分パシリに使ってやるよ」
……終わった。




