お付き合いしてはじめての
業務を終え、私たちは二人で食事に来ていた。
あの夜から始まった、新しい関係。
ようやく掴んだ幸せなはずなのに、私の心にはまだ、現実味のない戸惑いが渦巻いている。
テーブルの向かいに座る彼の顔を盗み見て、私はおそるおそる口を開いた。
「っていうか、偽装カップル演じてたことはどうする……?」
運ばれてきた料理の湯気が立ち上る中、浮かれた気持ちに水を差すようだけど、どうしても気になってしまう。
私たちが本当の恋人同士になった今、これまでついてきたウソをどう清算すればいいのだろうか。
「どうするってなにも問題ねぇだろ」
私の不安を、黒瀬はこともなげに一蹴した。
問題なくはないよね!?
「だってお父さんとお母さんには結婚するって話しをしてたわけじゃん」
一番大きな問題はそれだ。
あんなに良くしてくださったご両親を、私たちは騙していたことになる。
「俺はそのつもりでいるから何も問題ないけど?」
フォークを持った彼が、まっすぐに私を見て言った。
「えっ」
思わず漏れた驚きの声に、今まで穏やかだった黒瀬の表情が、見る間に不機嫌そうに曇っていく。
「なんだよ、お前は遊びで俺と付き合お~とか思ってたわけ?」
少し拗ねたような、それでいて不安を隠しきれないような声。
私に本気でなかったと思われたことが、心外でたまらないらしい。
「そうじゃないけどさ、分からないじゃん?相性とかもあるし……お互い合わないなと思ったら関係も上手く行かなくなるわけで……」
「そんなことはない」
私の迷いを断ち切るように、黒瀬はハッキリと言い放った。
っていうか、黒瀬はそんな簡単に結婚を決めていいわけ!?
そっちの方が意外だったんだけど……。
黒瀬くらいの立場の人だったら、自分のパートナーだって選び放題だというのに、相手が私と決めてしまっていいのか。
もっといい人がいるんじゃないかと不安になる。
ここでも自信のない自分が邪魔をする。
すると、ぱちりと黒瀬と目が合った。
「もうこの際だからハッキリ言っておく。俺はお前以外見るつもりはない」
「ちょっ……」
な、なんかそんなことハッキリ言われると、照れくさいんですけど……。
いつになったら慣れるのか。
黒瀬と恋人関係になったというだけでもなんかむずがゆいのに……っ。
「逆にお前はあるわけ?俺以外を見ることが」
な、なんてことを聞いてくるのよ。
こんなの自信のある男しか言えないセリフだ……。
まっすぐな視線に射抜かれて、心臓が跳ねる。
顔に集まる熱をどうすることもできず、私は思わずテーブルの上へと視線を落とした。
「な、ないです。たぶん……」
「たぶん?」
私の曖昧な返事に、彼は少しだけ眉をよせる。
彼の視線から逃れるように、私は慌てて首を横に振った。
「いや、ないです……」
私の必死な返事を聞いた黒瀬は、張り詰めていた空気をふっと緩め小さく息を吐いた。
その表情はもう不機嫌ではなく、どこか困ったようにそれでいて愛おしそうに私を見ていた。
もう、そんな顔しないでよ……。
「とはいえ、すぐ結婚しろとは言わねぇから。ちゃんとお前の準備が出来るまで待つから。そこは安心して欲しい」
「うん……」
強引にはしないんだよね。
黒瀬は私の気持ちをちゃんと考えてくれるんだ。
それから食事を終えると、私たちは少し外を散歩することにした。
楽しかった時間ももうすぐ終わりかと思うと、少しだけ寂しい気持ちが湧き上がる。
なんか私もけっこう欲張りになってない?
黒瀬と付き合っても、もっと一緒にいたいとかそういう恋愛でデレるようなことはしないと思ってたのに……。
すると、彼はどこか名残惜しそうに言った。
「このまま帰すの、なんか嫌だな」
ぽつりと呟かれた言葉に、心臓が小さく跳ねる。
「えっ」
「もっと一緒にいたい」
「でも……明日も仕事だし……」
なんて言い訳を探すけれど、本当の自分はもう少し黒瀬と一緒にいたいと思ってる。
「悪い。今日帰したくないかも」
「……っ」
頭が真っ白になって、ドクン、ドクンと鳴り響く自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。
顔にじわじわと熱が集まってくるのが分かる。
彼の顔が熱くて見られない。
うつむいた私に、黒瀬は「莉乃」と優しく名前を呼ぶと、そっと私の手を握った。
「……ずるいそんな言い方」
「仕方ねぇだろ、本心なんだら」
私は観念するかのようにこくんとうなずくことしか出来なかった。
「よし、行くか」
彼は私の手を引いて大通りへと歩き出すと、すぐにタクシーを捕まえる。
私たちはタクシーに乗り込み黒瀬の家に向かった。
彼の家の中まで入る。
彼の家に泊まるのは、これが二回目だ。
「もしお前が嫌じゃ無かったら、今度から服とかおいてけば?」
「いいの……?」
「ああ、お前もこっちの方が楽だろう?俺はいつだって莉乃ちゃんが家に住んでもらっていいんだけど?」
意地悪に口角をあげる黒瀬。
「そういうのはまだ……」
まだ黒瀬とは付き合ったばかりだし、一緒に暮らすなんて……。
そりゃおいおいという気持ちはあるんだけど、今はまだ恥ずかしい。
「着替えたら座れば?」
「う、うん……」
なんだか急に恥ずかしくなり、私はソファーの隅っこに腰を下ろした。
「どうしてそんなにはじに座るんだよ」
「そ、それはなんとなく……」
黒瀬は温かいお茶をマグカップに入れて運んでくれた。
「警戒してんの?」
にやりと笑いながら黒瀬は私の隣に腰を下ろした。
柔らかなソファのクッションが沈み、わずかに身体が傾く。
心臓のドキドキが高鳴っていく。
「……別に、そんなことないです……」
視線を逸らしてごまかしたつもりだったのに、彼は私の横顔をじっと見つめながら言った。
「ふーん、なら警戒してた方が正解かもな」
「えっ」
びっくりして黒瀬を見ると、バチっと目が合う。
すると彼は私の耳元で囁いた。
「だって莉乃に触れたくてしょうがないから」
「っ……!」
その一言で、さらに心臓の音が急に速くなる。
マグカップの中の液面が、小さく揺れた。
「く、黒瀬……ちょっと待って」
「待たない」
黒瀬は私の手からそっとマグカップを受け取ってテーブルに置いた。
「……こっち、来て」
そして、ごく自然に、私の肩を抱き寄せてきた。
距離が近い。
心臓の音が聞こえそうで、でも逃げられなかった。
恥ずかしい……。
本当に黒瀬とそういう関係になったんだと実感してしまう。
彼は私の唇に指を這わせる。
「莉乃……」
低く落ち着いた声が耳から入ってきて、ドキドキした。
もう今は社長と秘書の関係じゃない。
顔がゆっくりと近づいてきて、受け入れるように目をつぶると、次の瞬間、唇が触れた。
「ん……」
柔らかくて、あたたかくて、まっすぐなキスだった。
それから私の唇をついばむように何度もキスが落とされる。
「ぁ……」
「可愛い」
恥ずかしくて顔を逸らす。
すると今度は頬に手を添えられて、正面を向かされた。
「くろ、せ……」
そして再び唇が重なる。
触れるだけの優しい口づけから、だんだんと深くなっていく。
「ん、ぁ……」
口内に舌が侵入してきて、歯列をなぞるように舐められると体がぞくりとした。
舌を絡め取られ、強く吸われる。
頭がぼーっとするくらい気持ちよくて、何も考えられなくなるほど夢中になった。
それから黒瀬は、私をぐいっと抱き上げた。
「きゃっ」
そしてそのまま寝室へと向かう。
ドサッとベッドに押し倒されると、そのまま覆いかぶさられた。
「莉乃」
耳元で囁かれて、体がびくりと反応する。
首筋から鎖骨にかけてキスが落とされていくキスは、まるで愛おしいとでも伝えているかのようだった。
「莉乃……好きだ」
耳元で囁かれる愛の言葉に体が震えた。
黒瀬の抑えない愛情表現にクラクラしてしまう。
私もその愛に応えるように小さな声で伝えた。
「私も……」
彼は微笑んで、私の手をぎゅっと握った。
それからもう一度キスして……。
私は彼に身を任せていった──。




