黒瀬の両親に挨拶
高級料亭の一室。
磨かれた漆塗りのテーブルに、季節の花をあしらった生け花。
完全個室の落ち着いた空間に、緊張がピリピリと張りつめていた。
……本当に、来てしまった。
黒瀬とは駅前で待ち合わせして、一緒にここまでやってきた。
そしていざ対面したところで今にいたる。
そりゃ引き受けるとは言ったけど……いざとなるとまぁ緊張するわけで……。
こうして黒瀬の婚約者として、両家の顔合わせの場に座っている自分が、今でも少し信じられなかった。
「お忙しい中、お時間いただきありがとうございます」
黒瀬の隣に座りながら、私は正面の人物に視線を向ける。
「悠馬の父、黒瀬幹彦と申します」
黒瀬のお父さんは、財界でも名の知れた実業家だ。
昔から名の知れた人で高校時代から騒がれることもあったほどだ。
そしてその横には、にこやかで柔らかい印象の夫人が控えていた。
「悠真の母の黒瀬玲子と申します。こんな日が来るなんて……私、本当にうれしくて。緊張しないでいいからね?」
優しい目元でお父さんとは対照的な柔らかい雰囲気に、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
高校時代、黒瀬と全く仲がよくなかった私はご両親のことをかすかにしか覚えていなかった。
まさかこんな日が来るなんて高校時代の私だって考えもしないだろう。
「……彼女が僕のパートナー……高梨莉乃さん」
黒瀬が笑顔を作って紹介をする。
「黒瀬さんと結婚前提にお付き合いをしております、高梨莉乃です」
膝の上で手を組んだまま、なるべく丁寧に頭を下げる。
こんな感じでいいのかな……?
不安気に黒瀬をみると、彼はこくんと頷いた。
すると、黒瀬のお父さんは嬉しそうに言った。
「ようやく……ですよ」
「え?」
「うちの息子はなかなか結婚に興味を持たなくてね。何度言ってもそのうちしか返ってこなくて……だから縁談をしようと提案したら、実は付き合っている相手がいるとのことで……いやぁ、本当に失礼なことをした」
黒瀬のお父さんって意外としゃべるんだなぁ……。
厳格な表情と違ってしゃべりだすと、緊張感がほどけてくる。
こんな優しそうなら、黒瀬も今は考えてないってハッキリ言えばいいのに。
「何度も言うが、社長というのは信頼が大事になってくる。結婚してるというだけで、そこに安心感を置いてくれる人は多い。資金調達の時だってそうだ。信頼感が変わってくるんだぞ」
「……分かってるよ」
なるほど。
社長っていう立場もあるから、色々大変なんだろうな……。
「まぁ、詳しいことはお食事をしながら聞きましょうよ」
お母さんがそう言うと、ちょうどよく季節の前菜が、檜の膳に美しく並べられた。
白木の個室に、静かな器の音と、丁寧に注がれるお茶の音だけが響く。
黒瀬のお母さんが、穏やかに箸を進めながら言った。
「このお椀、香りがいい。ゆずかな」
黒瀬のお父さんは、端正に姿勢を正したまま、箸を滑らせていた。
「莉乃さんは、和食はお好きですか?」
「はい。自分でもよく作ります。味付けはまだまだ勉強中ですが……」
すると黒瀬はそれに反応した。
「作るのか?」
「うん、まぁ……」
「食べたこと無いけど」
はぁ!?当たり前でしょ。
誰があんたなんかに作るのよ。
なんて思いを心の中に閉じ込めながら、笑顔を作る。
「今度作るよ」
「おう」
私の言葉に黒瀬は嬉しそうに頷いた。
なんか……演技上手くない!?
とてもむずがゆくてそんなこと出来ないんだけど!
「おふたりの出会いとかお母さん、聞きたいなぁ」
お母さんは目をキラキラしながらそんなことを聞いてくる。
出会いか……。
どう言ったらいいんだろう。
困っていると、黒瀬は言った。
「そういえば、言ってなかったけど……俺と莉乃、実は高校が一緒だったんだ」
り、莉乃……!?
ちょっ、黒瀬に名前で呼ばれるとぞわぞわするんですけど……!
じーっと黒瀬の方を見るけれど、彼は気にせず話を続ける。
「それから今の会社に来た時に再開したんだ。彼女は僕の秘書をやってくれていて、頼れるパートナーでもあり、恋人でもあるって感じだよ」
「秘書だったのか……!」
驚いたように声をあげるお父さん。
ていうか、秘書と恋人になったなんて言っていいのかな……。
なんて不安に思っていると。
「まあ、それはまた……偶然ね」
お母さんが嬉しそうに声をあげった。
「私たちと同じだなんて……」
「同じ?」
聞き返すと、黒瀬が説明するように言った。
「父さんと母さんも元々社長と秘書の関係だったんだ」
「ええっ!そうなんですか?」
「やっぱりね、仕事のすべてを把握して彼の右腕として動くわけじゃない?すると、気づくのよね……相性がいいなって」
お母さんは照れくさそうに言った。
そっかぁ……。
そんな出会いの仕方もあるんだなぁ……。
「とはいえ、当然だが不謹慎なことは避けるようにな。会社の顔であることを忘れないように」
「もちろんだよ」
黒瀬はお父さんと話す時は猫を被って笑顔を作る。
なんだかいつもの黒瀬じゃないみたいだった。
「高校時代の時から知っていたんなら、それも安心ね」
お父さんも小さく頷く。
「はい……高校時代の時はそんなに面識はなかったのですが、黒瀬の周りにはいつも人が……」
言いかけて、すぐに横から小さく咳払いが聞こえた。
「……っ」
やば……。
シンプルに黒瀬はマズいでしょ。
ええっと。
黒瀬の名前ってなんだっけ……。
困ったように彼を見つめると、彼は小さな声で言った。
「悠真」
ああ、そうか。悠真だった。
「知らねぇのかよ」
そして彼がボソリとつぶやく。
知るわけないでしょ。
あんたの名前になんか関心がないんだから。
「悠真さんの周りには人が集まっていて、そういうところも含めてずっと尊敬していました」
まぁっ、人を引き連れていただけだけどね!?
すると黒瀬は言う。
「僕も高校時代から莉乃は勉強熱心でずっと机に向かって勉強してて、見習わないといけないなって思ってたよ」
ずっと机に向かって勉強しててっていらなくない!?
コイツ……仕返ししてきたな。
彼を見ると、お父さんたちが見ていないところでべーっと舌を出していた。
うっざ!
誰のために協力してあげてると思ってるのよ!
こんなのこと借りがなければやらないのに……!
それから、ヒヤヒヤすることはあるものの、会話も穏やかに交わされていた。
「ごちそうさまでした。本当に、今日はありがとうございました」
お茶を飲み終えた黒瀬のお母さんさんが、にこやかに立ち上がった。
「いえ……こちらこそ、お時間いただいてありがとうございました」
「父さん安心したよ。高梨さん……これから悠真をよろしく頼む」
「はい……」
なんだか騙してる罪悪感が……。
玄関前、黒瀬が手際よく手配していた車がぴたりとつけられ、ふたりはスタッフに見送られながら乗り込んだ。
車がゆっくりと発進して遠ざかると、静けさの中に私たちだけが残される。
「あー……緊張した」
私は息をつくように口にした。
すると、黒瀬は言った。
「悪かったな。大変だったろ?うちの親父……俺でもちょっと構えるし」
ネクタイをゆるめながら、しおらしく謝ってくる黒瀬。
別に……私の時だってあんなに協力してくれたのだからいいんだけど……。
「まぁ、これで借りは返したってことで……」
そこまで言うと、黒瀬は私にたずねた。
「なぁ……この後時間ある?ちょっと飲もうぜ。あんな会食の場だと食った気しねぇだろ」
私と黒瀬がふたりで?
プライベートに?
なんだか変な感じはするけれど、緊張して美味しい料理を味わえなかったっていうのもあるし……。
「まぁ……時間はあるけど」
「じゃあ決まりな」
そう言うと、黒瀬と私は次のお店に移動することにした。




