告白後談Ⅰ
今日は期末テストの成績発表の日である。
岨野山田高校は一年から三年の学年上位各五十名の名前を、校舎と校舎を繋ぐ空中廊下の壁に張り出すのを慣例としている。
それはPTA役員の親達の多大なる不評を買おうとも、たとえ上位であっても成績を廊下に貼り出すのは人権侵害だと反対する先生一派とやりあっても、創設以来、歴代の校長が頑として廃止しなかった偉業(暴挙?)である。
生徒達にしてみれば、「まあ、勉強した奴が成績いいのは当たり前だしね」と親や反対派の先生達をよそに意外と冷静であったりする。
岨野山田には学業成績では推し量れない才の優れた生徒が少なからず在籍しているので、彼らに接する生徒の方が、親などの大人よりも視野が広くなるであろう。
林太郎と健吉が遅い登校をすると、教室には殆んど人がいなかった。
「あれ?みんなどこに行ったの?」
入り口に立ったままきょろきょろと教室中を見渡す健吉に、真紀が「空中廊下」とぶっきらぼうに告げた。
「なんでも二年の成績順位に大異変があったとかで、全学年で大騒ぎしているぜ」
「え~!そうなの?真紀ちゃん、僕たちも見に行こうよ~」
結構ゴシップ好きである健吉の瞳がきらきらと輝く。健吉の誘いに真紀はふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
「そういうの興味ないし。見に行きたいなら相沢一人で行けばいいじゃん」
「だって空中廊下は人だかりですごいんでしょう?真紀ちゃんと一緒じゃなくちゃ僕、永遠に見られないよぅ」
健吉に腕を引っ張られて渋々教室を出る真紀である。教室の出口の所で思い出したように健吉が林太郎に呼び掛けた。
「林太郎君も一緒に見に行く?」
「いや。俺はいい」
大異変と聞いて、林太郎は自分の成績が定席の首位から滑り落ちたことを理解した。
何しろ現国が十五点である。他の教科で満点取ったところで一番は無理だろう。それに今はテストの成績なんかどうでもいい状況に陥っているのだ。
健吉は教卓の脇にバックパックを放り出して、真紀と一緒に教室を出て行ってしまった。
「何だよ健吉の奴、バッグをこんなところに置いて行っちまうなんて。先生に見つかったら怒られるぞ」
林太郎は文句を言いながら健吉のバックパックを肩に掛けた。
顔を上げると、教室にただ一人、エリスがいた。
エリスは席に座って熱心に本を読んでいる。
(うわあ…)
林太郎は昨日の出来事を思い出して頬を熱くした。
「わあああっ。どうしよう、どうしよう」
家に帰るなり、林太郎はリビングのテーブルとソファの隙間に体を横たえると、器用に転げ回った。
「エリスに告白しちゃったよう!」
じたばたと悶えている林太郎に見兼ねたおうがいが声を掛けた。
((林太郎よ、あれを告白というのか?余の目にはエリスの誘導尋問にまんまと引っ掛かって口を割らされたお主の哀れな姿しか映らなかったぞ))
「そうかも知れないけど、好きって言っちゃったんだから、十分に告白だよう」
林太郎は床から起き上がると、がっくりと肩を落として項垂れた。
「告白したのに、エリスから返事聞くの忘れた」
((返事?))
「そう。付き合ってもらえるかどうかの返事。返事を貰えなかったってことは、俺、フラれちゃったのかな~」
((余の記憶が正しければ、お前はエリスに付き合ってくれとは、一言も言っていなかったぞ))
「あれ?そうだっけ?うわーどうしよう」
涙声で髪をくしゃくしゃと掻き毟る林太郎である。おうがいは狼狽えておろおろするだけの林太郎に呆れ返るばかりだ。
((少し落ち着け、林太郎。よいか、これから余の言うのを冷静に聞くのだ。
女子が“私のこと好き?”って聞いてくるのは“私はあなたが好きなのよ”と同一語であるのだ。
“だからあなたも私を好きって言ってね”という可愛いおねだりなのである。
女子がそのような言葉を口にするのは、相思相愛の可能性が高いと知ってのこと。
だからそんなに慌てずとも、後日エリスに交際申し込めば、すんなりとOKをもらえると思うよ。君ももう高校生なんだから、そのくらいの基本的な女心は理解しようね))
「いや、だってエリスは、小説の中のエリスの話をしていたんだぜ。エリスが実際に存在したらって…。ああ、そうか。そういう意味か!」
はっとした表情で両手を握りしめた林太郎は、いつにも増して首を逸らせ、希望に満ちた目で天井を見上げた。
((ようやく理解したかの。エリスは小説に託けて直接聞いてこなかっただけだ。まあ、そこがエリスの奥ゆかしいところであろう))
「じゃあ、俺とエリスは両想いってことだよね。やったあー!」
万歳しながら無邪気に飛び跳ねる林太郎に、おうがいが釘を刺した。
((あまり調子に乗るでないぞ、林太郎。まだ相思相愛だと確定したとは限らんからな))
「何だと?おうがい、お前、さっきの説明を反故にする気か?酷いじゃないか。俺をこんなに希望に満ちさせておいて、今度は奈落の底へと突き落とす気か。責任取れ」
頬を膨らませて怒り出す林太郎に、おうがいは困ったように溜息をついた。自分の生まれ変わりとはいえ、あまりに幼稚な精神に辟易する時がある。
このお子ちゃま高校生めが!と、声を荒げそうになるのを、おうがいはぐっと堪えた。ここは大人の対応で処理しなければならない。むくれた林太郎に万年兄秘蔵ファイルを見せて貰えなくなるのは困る。
((両思いだからと安心して、お前の自我をやたらと曝け出すのでないぞ。明治時代のエリスは、尊敬の念を抱いた男子に恋する女子であったからな。今のエリスも同じかも知れん))
「なんだ、そういう事か。分かった、気を付けるよ」
((いや、もう、全然分かっていないから。余が言いたいのは、これ以上エリスを幻滅させるなってことなんだが))
エリスと出会った最初からダメ男ぶりを次々と発揮している林太郎である。
明治の代のエリスであれば、今の林太郎など頼りなさ過ぎて鼻にも引っ掛けないだろう。
こんな男にエリスが惚れたとしたら、時代が大いに変化した証なのだなと、林太郎には思考をシャットアウトしておうがいは感慨深げに呟いた。
(落ち着け林太郎、落ち着くんだ)
林太郎は、心の中で“落ち着け”を呪文のように繰り返した。
いつもだったらエリスが己の席のすぐ後ろに座っていることが嬉しくて仕方がない林太郎だが、自分達の他に誰もいない教室となると勝手が違う。それもエリスに告白して(させられて)まだ半日と三時間しか経っていないホットな状況だ。
冷静な気持ちで自分の席に向かわなければと思えば思う程、林太郎の足は竦んで動かない。教卓の前に立ったまま、エリスを眺めるばかりである。
エリスは教室の一番左端の自分の席で、熱心に本を読んでいた。
左の掌に頬を預けた格好で机の上の本のページをめくっている。
突然、林太郎の前に古い漆喰の壁が現れた。
小さな窓枠のガラス窓から日没前の陽が薄く差し込むのを開いた本に当てながら、簡素なドレスを纏ったエリスが、夢中で本の文字を目で追っていた。
西日でエリスの金色の髪が輝く。ふと顔を上げたエリスは林太郎が部屋の入り口に立っているのを見つけると、お帰りなさいと嬉しそうに微笑んだ。
「どうしたの、林太郎?」
心配そうなエリスの声にはっと我に返った。林太郎は自分の右目から涙が溢れ、頬を伝うのに気が付いた。漆喰の壁は消え、林太郎を心配そうに見つめているエリスは制服姿に戻っている。
「大丈夫。目にゴミが入っただけだよ」
慌てて指で涙を拭いながら林太郎は自分の席に向かった。




