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告白後談Ⅱ


  自分の愛読する詩集をどうしてもエリスに読ませたいと思った。

  白いページの中で美しく舞う(かぐわ)しい言葉の存在を、エリスに知って欲しかったから。

  この詩集は君なのだ。この国の神に祝福された奇跡の言葉は全て君なのだ。

  余はこの詩集を愛す。全身全霊を掛けて愛す。

  だから余は、エリスを日々愛おしみ、一生涯己の胸から離さないと誓った。

  …誓った。その筈だった。

 



 「何の本、読んでいるの?」

 

 自分の席に着いた林太郎がエリスにそう尋ねるのは必然であろう。


「詩集よ」


 エリスは林太郎に手にした本を見せた。そこに書かれた文字は日本語でも英語でもない。


「よく分からないけど、もしかしてドイツ語で書かれているの?」


「そう。ハイネの詩集」


「へえ、すごいね」


 さらりと肯定するエリスにどうしても気後れしてしまう林太郎である。エリスは林太郎の表情からそれを読み取ったようだ。


「私の父はドイツ圏からアメリカに移民したの。だから幼い頃からドイツ語を習わされたわ。勿論、母の国の日本語もね」


「英語が母国語なんだから、トリリンガルかぁ。羨ましいな」


「さあ、どうなんでしょうね。望んでそうなったわけじゃないし」


 エリスは詩集を閉じて机の中に仕舞うと、机から少し身を乗り出すようにして林太郎の顔をじっと見つめた。


「林太郎、昨日、何か私に言い忘れたことあるよね?」


「えっ!え、えと、…はい、あります」


(これが、おうがいの言っていた“女の子の可愛いおねだり”とやらか!)


 あの爺さんの助言(あどばいす)とやらも使えない訳でもないのだな。

 そう考えながら、林太郎はエリスにおずおずと目をやった。瞬きもせずに自分を見つめているエリスに、どうしても顔が熱くなる。それが恥ずかしくて顔を伏せてしまう林太郎である。

 

 机を挟んでエリスと真向かいになった今の状況は、立って話していた昨日よりも遥かに尋問に近い。机に両肘をついて手を組み合わせた格好のエリスと、両手を膝の上に下ろして肩を窄めている林太郎の間に本物の刑事と容疑者のような臨場感が漂っている。


「ねえ、それ、今ここで聞いてもいい?」


 首を九十度に折り曲げて顔を机に向けたままの林太郎の耳に、エリスの可愛い声が聞こえてきた。

 覚悟を決めた林太郎は真っ赤になった顔をエリスに向けると勢いよく立ち上がった。


「エリス!俺と、つ、つ、付き合ってくださいっ」


 恐ろしく上擦った声で叫んでから、林太郎はエリスに頭を下げた。

 女の子をこんなに好きになったのは生まれて初めてだ。

 告白も初めてしたし、今こうやって付き合ってくれと必死で頭を下げるのも、生涯で最初で最後になるんじゃなかと思えるくらいに真剣だ。


 林太郎の心臓は緊張で激しく波打っていた。エリスにノーと言われたら、ショックでぴたりと鼓動を止めてしまうだろう。


「うん」


 エリスは少しはにかんだ表情をしながら、林太郎に頷いた。


「い、いいの?」


 信じられない思いで林太郎はエリスを見た。座ったままのエリスは首を持ち上げて大きな瞳で林太郎を見上げている。照れたような口の両端が、ほんのりと赤くなった頬を持ち上げた。


「やったぁ。ありがと、エリス!」


 林太郎は小さく叫んだ。途端に緊張の糸が切れて、へなへなと椅子にへたり込んだ。


((こらっ林太郎、何という体たらくであるか!付き合う前からエリスの尻に敷かれてどうする!先が思いやられるぞ))

 がみがみ怒るおうがいの声など、幸福の絶頂にいる林太郎には届かない。


「あのさ、エリス。夏休みになったら…」


「大変だよう!今回の期末テスト、林太郎君が一番じゃなかったよ~」


 林太郎の言葉を遮るように健吉が大慌てで教室に飛び込んで来た。教室の入り口にはクラスメイトが不安そうな顔で林太郎の様子を窺っているのが見える。


「ああ、今回はそうだろうね。ちょっとばっかしへマやっちまったから」

 かなりのショックを受けるかと思いきや、平然としている林太郎に皆、胸を撫で下ろしたようだ。一応、林太郎に気を使っているのか、無言でぞろぞろと教室に入って来た。


「おっ。意外と冷静じゃん。テスト結果にショックを受けて、また失神しちまうかと思ったぜ」


 真紀の容赦ない毒舌に、こめかみに青筋を浮かべる林太郎だが、テストで一位を取るより難関なエリスとのお付き合いをゲット出来たのだ。今回だけは一位の座など誰にくれてやっても惜しくはない。


(そんなことより、健吉っ、何でお前が俺の恋路を邪魔するんだよっ!)


「で、俺は何番だった?」

 ぶっきらぼうに聞くと、まるで自分の成績が落ちたかのように項垂れた健吉が呟いた。

「…三番」

 以外に上位だったと林太郎は思った。何せ現国が十五点なのだ。健闘した方であろう。


「それでさ、一番は誰だと思う?」

 真紀がにやにや笑いながら近づいてくる。


「いつも俺の次に点数取っている、四組の…名前忘れたけど、メガネ君だろ?」


「いや、あいつはいつも通り二番だった」

 そう言いながら真紀が林太郎の机に手をついた。意外な答えに少々驚く林太郎である。


「へえ、じゃあ誰?俺の知っている奴?」

 真紀は林太郎の机から離れると、エリスの後ろに立った。そして背後からぎゅうとエリスを抱きしめて、アハハと笑った。


「エリスが一番だったんだ!すごいぜ、エリス!この嫌味野郎をやっつけるとは」

(やっつけられてないっ!じゃなくって、俺もエリスにぎゅうってやりたい!)


 よくやったと無邪気にエリスに頬ずりする真紀に、つまらぬ嫉妬の炎を(くすぶ)らせる林太郎である。ハーバードかイェール大の法学部に進学を希望するエリスとしては当然の成績であろう。真紀の行為にくすぐったそうに身を捩じらせているエリスは、高校の成績など気にも留めていないようだ。真紀と楽し気にお喋りを始めている。


(なんか、俺、すごい子を好きになっちゃったんだな)

 

生まれ変わる前の二人が恋人同士だったとしても、それが今、何の意味もないのは林太郎だって分かっている。分かり切っている。

 

 それでも。


 エリスと恋に落ちるのは、生まれ代わる前から決められた運命なのだと思わずにはいられない。


(俺はエリスが好き。大好きだ。それで、エリスは俺が好き…なんだよな?付き合うんだから、そうなんだよな)

 

 林太郎は最後まで言えなかった言葉を心の中でそっとエリスに囁いた。


(エリス、夏休みになったら、俺とデートしてくれる?)

 



 昨日も夢を見なかった。一昨日も、そして三日前も。


 エリスはシャワーの栓を止めて風呂場の扉を開けると、脱衣所に置いてあるバスタオルを取ろうと体ごと腕を伸ばした。

 洗面台に設えてある楕円形の大きな鏡に自分の上半身が映るのに、目を止めた。

 エリスはタオルで体を覆うのを止めて、裸のまま洗面台の鏡の前に立った。濡れた髪を胸に張りつかせたまま鏡をじっと覗き込む。


「最近は大人しいのね」


 鼻の先が触れそうなほど、鏡に自分の顔を近づけた。虚ろな青い瞳が自分を見返す。


「やっと愛しい人に会えたから?彼があなたを好きって言ってくれたから?」


 エリスは片方の頬を持ち上げて皮肉めいた笑みを作った。


「良かったわね、お馬鹿なエリスちゃん」


 エリスは鏡に映る自分の顔に両手を押し付けた。


「でもね、林太郎が好きなのは私。二十一世紀生まれのエリスなの。彼はあなたの事なんか全然覚えていないのよ。残念ね。ずっと待っていたのに。あんなに待ち焦がれていたのにね」


 ゆっくりと指を開くと、その間から自分の顔がこちらを見返している。同じ顔であっても、彼女は今を生きるエリスではない。とうの昔に死んだ人間のものだ。


「可哀そうなエリス。あなたを天国に行かせるには、一体どうしたらいいのかしら?」



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