輝ける朝が来た
ぱちりと目を開けると頭がやけにすっきりしていた。
こんなに軽やかにベッドから起きたのは何日ぶりだろう。
林太郎は窓のカーテンを勢いよく開け放って、窓を全開にした。心地の良いそよ風が、林太郎の頬をくすぐっていく。
爽やかな朝である。
昨日、少しばかりの言い争いの後、おうがいは不気味なほど静かになった。
どうやら、エロ画像を二時間以上も見続けた挙句に年甲斐もなく興奮して、疲労困憊したらしい。それから林太郎の頭の中はずっと沈黙したままだ。
(おうがいを黙らせるには万年兄の秘蔵ファイルを見せるに限るってことだな)
林太郎は三日ぶりにおうがいのいない解放感に浸った。夕食の後、ベッドに寝転がって健吉から借りた雑誌を読んだりスマホを弄ったりしているうちに、寝入ってしまった。
目が覚めて時計を見ると、朝の七時になっている。
当然、母は出勤していて、家には林太郎一人であった。
「うわ。俺、十時間以上も寝てたのか」
林太郎は驚いたが、それも頷ける。
おうがいが林太郎の頭の中に現れて喋り出したのは四日前。
実体のないおうがいだが、聞こえてくる声があまりにも現実的で、林太郎はおうがいが隣にいると錯覚してしまう時がある。
それでつい声を出して会話してしまう林太郎だが、傍から見れば、かなり異常な行動に映るだろう。
家に一人でいる時はともかく、学校でその様子を誰かに目撃されたら大変だ。
ヤバい奴だと噂が広がり、林太郎の地位は一瞬で地に落ちてしまう。地に落ちるどころか、奈落の底へ一直線だ。幸い、おうがいもその辺は心得ているようで、学校では滅多に林太郎に喋りかけてこない。
それでもこの三日は、ずっと緊張のしっ放しだった。
林太郎は、派手に突っ立っている寝ぐせを直して身だしなみを整え、朝食を取って家から出た。
登校途中でいつものように健吉が、林太郎の後ろからおはようの声を掛けてくる。
林太郎はエリスも一緒なのを期待して振り返ったが、そこにはいつも通り健吉一人の姿しかなかった。
(エリス、昨日は随分具合が悪そうだったから、今日は欠席するかもな)
そう考えると、しゅんとしてしまう林太郎である。
「エリスちゃん、具合良くなったみたいだよ。休まずに学校、来るってさ」
「へえ、そうなんだ」
林太郎は飛び上がって喜びたいのを堪えながら、努めて平静に返事をした。
「ん?何で、健吉はエリスが今日、学校来るって知ってんだ?」
「だって、LINEでメール交換したもん」
「そ、そうなんだ。健吉とメール交換したのに、俺のLINEにはエリスのおともだち通知来ないのはどうしてかな?」
「林太郎君は勉強の邪魔になるからって、女の子とは一切メールしないでしょ?エリスちゃんにそのこと伝えておいたから、気を使って、林太郎君のアドレスを削除したんじゃないかな」
健吉の要らぬお節介に、林太郎は引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。
教室に入ると、林太郎の席の後ろで真紀とお喋りしているエリスの姿が目に入った。
確かに体調は悪くないようだ。頬がほんのりと薄紅色に染まり、瞳が輝いている。
エリスは教室に入ってくる林太郎に気が付くと、にっこりと微笑んだ。
林太郎は感動で目をうるうるさせながら最上級の微笑みを作ってエリスに微笑み返した。
「おはよう!エリスちゃん」
健吉が林太郎の隣でエリスに手を振る。エリスも嬉しそうな表情で健吉に可愛らしく手を振った。
(…さっきの天使の微笑みは、俺にじゃなくて、健吉にだったのか?)
不吉な考えを振り払うと、健吉の後に付いて林太郎は、エリスの前にある自分の席へと粛々と歩を進めた。エリスはその様子を眺めながら口を開いた。
「おはよう、林太郎。おはよう、健吉君」
(エリス!名前を呼んで、挨拶してくれた。それも、健吉より俺の名前が先だった!)
嬉し過ぎて飼い主の周りをくるくる走るコリーになりたい衝動を抑え、林太郎は小さく微笑むと、声を落としておはようとエリスに言った。
そんな林太郎の様子を真紀が訝しげに見つめている。林太郎は自分の机にバックパックを載せると、一度もエリスを振り返ることなく自分の席に座った。
(エリスが元気にならば、それでいい。今日は、おはようって挨拶出来たし)
出会った時から比べれば、これはかなりの進歩である。林太郎は一人密かに胸を躍らせた。
(アメリカ人って親しい人とはハグして挨拶するんだよな?だったら、俺もそのうちエリスとハグ出来るようになるかも♡)
幸運なことに、林太郎はエリスと帰り道が一緒なのだ。
何も堀田達の目を気にしながら学校で喋らなくてもいいのである。
実は昨日、生田と大根田を戦わせる計画を取り止めて、林太郎は別の策略を練っていたのである。
それはこうだ。下校時、エリスと健吉を一緒に帰らせる。少し時間を置いてから林太郎が下校し、途中で二人に追い付く。三人であればそれほど目立つ事はなく林太郎の家までの距離をエリスとお喋り出来る、という算段である。
健吉がいれば、話題に困って沈黙することもないだろう。実に現実的な計画である。
(早く下校時間にならないかなぁ)
まだ一時間目も始まっていないというのに、林太郎はエリスとの下校途中の甘い時間をうっとりと夢想していた。




