原罪の在処 Ⅱ
根本からその施設を見上げると、その大きさがありありと伝わってきた。入り口から見た印象の2,3倍大きく感じる。いかにも機密を扱っているといった具合にシステマチックな外見に、ここが恐らく研究所なのだと察しがついた。余程強固な素材でも使っていたのか、街中に比べて、この建物だけは損壊した箇所が少ない。少なくとも、見た目の上では。
「こっちだよ」
ラデュサが何やら端末の操作を終えるとその扉が開いた。さっきから高いものを見ると見上げてばかりいる。……少しは自重しよう。
「ここは…」
センサーでも働いているのか。俺たちが足を踏み入れると俄かに内部の装置が動き出した。
「電気……?まだシステムは生きてるのか」
「ん?ああ、さっきちょっと弄ったから、多少は動くようになったよ。とは言っても中は暗いからね、はい、どうぞ」
差し出された携帯型のライトを素直に受け取る。施設内の照明はどこもまばらだ。恐らく、廃棄されて数年は経っているのだろう。割れたフラスコやビーカーなどの実験道具がそこら中に散乱しているところからも、正規に閉鎖された訳ではないことを物語っている。守られていたのはあくまで外観だけだったことか。
ただ、そのせいでここで行われていた実験の内容はまるで分からなくなっていた。一見すると、普通の研究所と何ら変わらない。
「そうまでして、ここに何があるっていうんだ」
「そうねー、もうちょっと奥なんだけど。話し始めてもいいかな」
勿体ぶるような仕草を挟んでから、先導していた彼女はようやく足を止めた。そして、くるりとこちらに向き直り、両手を広げたかと思うと、まるでショーの開演だとでも云わんばかりの仰々しさで長い物語の幕を上げた。
「それは、昔々の話です。人は戦争に明け暮れて地球を死の星へと変えてしまいました。それでも、尚、生き残った人類は宇宙へと新天地を求めて旅立ったのです。その主導者がカタロ=リミト。今でも語り継がれる英雄です」
何を話し始めるかと思ったら、新世紀の創立の伝記じゃないか。このご時世知らない人なんていないって程の有名な実話だ。かく言う俺も、折に触れて何度か読んだことがある。こんな話、今更なんになるっていうんだ。
「彼は問いました。なぜ人は争うのか。彼は告げました。その答えを。人は利己的な生き物だから。分かり合うことを止めてしまうから。人と繋がるための心を無闇に傷つけてしまうから……」
「弱さを認め、武器を捨てよう。私たちはこの新しい大地で、永遠の安らぎを誓おう……」
それはあまりに理想的な宣言。彼が第一のリユーに建てた決意の記。碑文として現存し、語り継がれてきた彼の理念……
「ご高説ありがたいけどね。カタロの宣言なんて誰だって知ってる。そんなことを言いたくてここまで連れて来たんじゃないだろう」
「掴みには持って来いだと思ったんだけど、今日のお客さんはどうにも冷めてるみたい」
さながら彼女は前座のピエロのようで、ケラケラと軽快に笑う。
そんなラデュサを見ていると、どうにも調子が狂う。いつだって会話の主導は彼女にあるからだ。はじめて会った時から、妙に引き込まれるというか、気になるというか、どこか無視の出来ない存在だった。外套をはためかせ、独特の雰囲気を醸し出す。あのテールでの一場面から、ずっとこびりついて離れない。彼女の言葉。
――君はこの世界が好きかい?
俺はその問いに答えることが出来なかった。……それは今も。
――戦うしかないのさ。
それしか、ない。その言葉の意味を受け入れたくない自分がいる。けれど、軍人という道を選んだ人間が否定できることではないとも理解している。
――君が一番知りたいことを教えるよ
頭の中に声がチラつく。この場所に辿り着くまで数十分。交わされた会話も幾度もない。思考を巡らせるには十分な時間だった。
一番……知りたいこと。それが何なのかを考えていた。ラデュサは、間違いなくサラのことを知っている。少なくとも、俺がここまで着いてきた理由の一つはそれだ。
けれど、自らを振り返って、考えた時、その答えは判然としなかった。人はどうして戦うのか。どうしてルナは死ななければいけなかったのか。どうして……そんなことばかり思い浮かんでしまうから。
「浮かない顔だね。……大丈夫だよ。もうすぐだから」
そんな俺の、心の揺らぎを見透かすように、鋭く刺さる言葉。彼女は優しく、慰めるようにそう告げた。こちらを見上げる彼女の瞳は紅く、どこまでも透き通って見えた。
……これだ。この、深奥まで覗くような、紅い瞳……ラデュサなら、俺自身も知らない、何か、本当の……何かを教えてくれるんじゃないか。そんな風に感じてしまっているんだ。
「さて、と。この奥だ。心の準備は出来てるかい?」
そう言って示されたのはこの施設の最深部と目される巨大な部屋。中は完全な闇に覆われていた。頼りになるのは、左手の明かりだけだ。
ゴクリと、生唾を呑み込んだ。寒いわけでもないのに、体の芯が少し冷ついている。
……この先に俺の知りたいことがある、のか。
「ああ」
覚悟を胸に、一歩を踏み出す。早鐘のように騒々しい鼓動を無視して進む。同時に左手の明かりで周囲を照らす。
「うっ……」
最初に感じたのは鼻につく腐臭だった。タンパクの融けたまとわりつくような臭い。そこに血生臭さが加わって、この空間はとても長い出来るような場所だとは思えなかった。
廃棄されて尚、これほどまでに染み付いた臭い。一体どれほどの過去があったのかと、つい考えてしまうほどに。
「これは……?」
さらに歩を進めると、そこには人が丸ごと入れそうな大型のカプセルがあった。それも一基だけじゃなく、複数。
更に近づいて、そのカプセルを観察する。破損具合が酷く、用途は不明だったが、側面に刻まれた文字は読み取れた。
「R.P002……?」
後ろから近づきながら、ラデュサは言った。
「ランフォルスモン・プロジェ……通称R.P、その検体番号だよ。それは」
「ランフォルスモン……?」
ランフォルスモンは、確か、強化を意味する旧世代の言葉だ。つまり、強化計画……?
それが、俺の知りたかったこと…?こんな名も知らない実験のことを……?
困惑は動揺という形をもって表れた。堪らず、ラデュサに問いを投げる。
「何なんだよ、それは」
「2年前まで、大きな戦争があったじゃない?それの遺産なんだけど――」
「第一次宇宙大戦の……」
「そ、君が大切なものを奪われたあの戦いだよ」
……事ここに至って驚きはしないけれど、本当にこの人は、俺のことを何でも知っているらしい。本当に、何でも。
蠱惑的な表情を浮かべる彼女の言葉の全てを、俺は受け入れてしまいそうだった。
だけど。
「俺は、こんなことを知りたいんじゃ……ない」
「?」
「アンタは、サラのことを知ってるんだろ?俺が知りたいのはサラのことだ。こんな…昔の話をされたって」
何にもならないーー
そう口にしようとして、言葉は形にならなかった
「本当にそうかな?」
彼女の瞳が、声が俺を逃してはくれないのだ。
「イリア。キミはあの子のことが一番知りたいの?」
「何を……」
「もっと分かりやすくいこうか。サラとはじめて出会って、一緒に過ごして……あの子のことが一番気になりはじめたのはいつだった?あの子の正体が何なのか、その疑問がキミを悩ませたのはいつからかな?」
ーーーー。
ああ、そうか。
そうなのかも、しれない。
似ていると思った。記憶を失い、独り、帰る場所もない彼女が。
だから守りたいと思った。そうすれば、弱さを忘れられんじゃないかって。
だけど、彼女は敵かもしれなかった。俺たちは正体不明の敵と戦っているんじゃなくて、意思のある人間と戦っているんじゃないかって、そう思った。
それから、ずっと悩んでいた。何故彼女はあの場所にいたのか。何故あんなにも力を持っているのか。何故、今でも、俺はサラを守りたいと思っているのか。ーー何も分からないから。
そこにーー
彼女自身を知りたいという気持ちが、どれだけあっただろうか。
「キミはサラのことを知りたいんじゃない。その奥にある、敵の……この戦いのことを知りたいんだよ。」
そう断じられて
「ち…違う……俺は」
認めたくなくて
「オレは?」
「サラを守りたくて……」
必死に答えを探しているのに、見つかったのは言い訳ばかり。
「守りたかったのは、サラ?それともルナ?」
ラデュサは尚も問うてくる。
俺は今どこにいるのか。誰を見ているのか。
あの時、どうして大切な人を守れなかったのか。俺は今、何を守りたいのか。
守る……?それすらも違うんだ。戦うと決めた火の海の中、俺は死にたくないと思ったんだ。ルナもきっとそうだったんじゃないかと思ったんだ。そう、だから、戦場で死んでいった誰もが、死にたくなんてなかったはずなんだ。なのに、人は戦っている。殺し合う。死にたくないのに。どうして?敵がいるから?殺さなければ殺されるから?……そんなのってあまりに無意味じゃないか。
「認められないのは、現在?それともーー」
「止めてくれ……!」
もはや、反論らしい反論も叶わなかった。絞り出した声も、殆どが空気の塊で、音になっていない。
いつの間にか崩れ落ちていた体は、早く諦めろと言わんばかりだった。
手が震えている。いや、視界の何もかもがプルプルと浮かんでいて、俺はもしかしたら泣いているのかと思った。
結局、ユウナとの口論から、俺は何も進んじゃいなかった。あの時も、サラを庇う理由を問われて、答えることが出来なかった。サラをルナに仮託していると、そう言われても、俺は頷くことはしなかった。それだけじゃないと、思ったからだ。
そして、今、それに一つの解が提示された。
俺は。
ただ、知りたかっただけなのか……?
人が何故戦うのか、何故今も戦っているのか。その答えを。
その鍵を、サラが握っていると、思ったから……?
「………分かって、くれたかな?君はまずちゃーんと向き合わないと。大嫌いな戦いとその意味に。そして受け入れるんだよ。君がなぜ、大切なものを失ったのかを」




