すれ違う想い
―――それでは只今より適正試験を実施いたします
通信音声のアナウンスに促され、システムが起動する。映し出される映像は宇宙。そしてアパレイユの姿。
―――イリア三等兵の目標は、アパレイユ一機の破壊です。この戦闘におけるあらゆるデータがイリア三等兵の地球での配属に影響します
三回も実戦を経験したあとになんでまた、試験を受けなきゃいけないのか。データなら残ってるだろうに。
―――試験が終了するための条件は三つです。一、敵機の破壊。二、自機の戦闘不能。三、戦闘の意思無しと此方が判断した場合。この条件を満たした時点で試験は終了となります。
要するに、戦えなくなるまでってことだろ。はあ。あほらし。
―――何か質問はありますか
「無いですよ」
俺は吐き捨てるようにそう答えた。
―――では試験を開始します。御武運を
ほんとにそう思ってんのかな。
今は全然、戦う気なんて起きないっていうのに。
ほんと、嫌になる。何より腹が立つ。サラも適正試験とやら受けている。俺と同じ試験を受けているのならつまり、またサージに乗せられているってことだ。別にサラが戦う決意をしたことをもうとやかく言うつもりはない。けど昨日の今日だ。サラがまだ不安定だっていうのが分からないのか、全くなに考えてやがるんだ。くそっ…!個人試験だかなんだか知らないが、サラの様子が全く分からない。また、昨日みたいになったらどうするつもりなんだよ。
―――3、2、1、試験開始
敵が滑らかに動き出す。早いところ終わらせてしまいたい……
模擬戦とはいえ、今まで戦ったアパレイユのデータの集合体だ。その力は現実のアパレイユと遜色ない。
本気でやらなければ、すぐに返り討ちにあってしまう。けど、これはただの試験だ。適当にやっておけばいい。思考は回ってないし、やる気もほぼゼロ。だからこんなものに意味はない。
はずなのに。
自然とグリップを握る手に力がこもる。
見ていると思い出してしまう。サラのこと。昨日のこと。
あの後、ユウナと言い合いになった。
――ああ、駆動音がうるさい
ユウナの知らないもうひとつの事実。アパレイユの設計図。それを言えばユウナの疑念は確信に変わるだろう。だから、もう言う気にはなれなかった。
――金属と金属が擦れあう
ユウナは、問い詰めてきた。何か隠しているのだろうと。それを上官として知る権利があると。
その言葉に端を発して、俺は口火を切ってしまった。
「だから言えないんだ」この言葉はユウナを傷つけたかもしれない。
――飛び散る火花、熱線が肩を凪ぐ
「そうやって、割り切ってしまいたくないんだよ」この言葉はユウナを悲しませたかもしれない。
――迫る白い悪魔、唸る機甲
「大人になったふりして何かを諦めたくない」この言葉はユウナを失望させたかもしれない。
――のし掛かる慣性、圧力、苦悶の声をあげる
”じゃあイリアはそうやっていつまで子供のままでいるつもり?”
「違う!!」
”何も違わない。だってイリアは”
「俺は……!」
”ルナを”
「違うって言ってるだろ!!!」
飛び散る破片、行動不能になった敵の残骸
「俺は…俺は…」
―――お疲れさまでした。素晴らしい戦果です。イリア三等兵
試験が終了するとコックピットのハッチが開く。出ると、そこにはユウナが立っていた。表情がまるで変わらない。機械のように、仕事をこなしていた。
「お疲れさまです。イリア三等兵。凄いですね、大抵の人は倒せずに終わってしまうのですよ」
「そうですか。ありがとうございます」
俺もそれに合わせるようにして返答する。
本当に、今は、ただ気まずい。
「これで、検査の全ては終了です。部屋でゆっくり休んでください」
「あの、サラは」
「……サラさんは一足先に終えて、部屋に戻られました」
「そうですか。ありがとう、ございます」
「いえ、私はまだ雑務がありますので、失礼します」
仕事モードか、それとも、あいつも気まずいのか。……後者であってほしいと思ってしまうのは、引け目を感じているからだろうか。それとも。
俺は彼女に何を期待していたのだろうか。
…。
全ての試験が終わり、足早に自室へと戻ると、何をするでもなくちょこんと座る少女が俺の帰りを待っていた。
「おかえり、イリア」
「おう、検査どうだった?」
「よく分かんない。質問されて、戦って、終わり」
「戦ったのか?大丈夫だったか?」
「うん。絶対に死なないって聞いたから。イリアは?」
「俺は」
何故か、息を飲んだ。理由はよく分からない。サラが思いの外、普通だったことに驚いたのだろうか。
いや、いつも以上に”普通”らしかった。
「俺もおんなじ、ちょっと疲れたな」
「そうだね」
俺はベッドに腰を掛けた。それを見てサラは俺のすぐ隣に移動する。大きく伸びをして、サラに話しかける。
「さてと、ようやくゆっくりできる時間ができたな」
「イリア、時間あるの?」
「うん」
俺の返事にサラは嬉しそうに笑った……ように見えた。そうであってほしいという、俺自身の願望、なのかもしれないが。ユウナに当たり散らしてまで、俺はこの子の味方をしたんだ。そんなことを、彼女は知らないから、伝わるはずもなく、考えるほどに俺の独りよがりだってことが分かる。
そこに思い至って、独り失笑する。俺の内心など、些末事だ。どうでもいい。それに、内側に閉じこもっていたって、何かが変わるわけじゃない。そんなことよりも優先するべきことがあるだろう。
目の前の少女は、俺の返答に対して、考える素振りも見せずに、「じゃあ」と続けた。
「あそぼ」
「ああ」
「ユウナに教えてもらったの。しりとりって言うんだけどね。イリアは知ってる?」
「……ああ、知ってるよ」
何てことはない会話に挟まれる、何てこともない単語。それに一々動揺しているのだから、本当に嫌になる。自分の行動に、思慮に分別がないようで、行き当たりばったりにしか思えなくなってくる。殻から出ると決めたばかりで、これだ。薄志弱行が良く似合う。
そんな自分への嫌悪感はお構いなしに、世界は進む。自分を追い抜いてどこまでも。
「あれ、すごく楽しい、やろ」
「いいぞ、負けないからな」
「うん、そう言えばイリア」
思い出したように彼女は言う。辺りをキョロキョロ見渡して、何かを探す素振りを見せたコトンと首を傾げた。
「なんだ?」
「今日、ユウナ、来ないの?今日、まだ、会ってない」
「……ユウナは来ないよ、多分」
それは酷く心のままな、重々しい口調だった。けれど、彼女は声色一つ変えず、当然のように言い返す。
「なんで?」
「今日は忙しいみたいなんだ。あいつも色々と大変なんだよ」
だから、自分も少しは当たり前のことを言うように、淡々と、事実を述べるように伝えた。色々、に意味深さを籠めてしまっているのは、自分の弱さの表れだろうと、言葉を発してから後悔する。
「そっか」
横顔からだとサラの表情はよく分からない。俺は、ユウナとは顔を会わせたくないと思ってるけど、サラは違うだろう。たとえ、ユウナから疑いの目を向けられているとしてもサラはきっとその事に気づかない。もしかしたら、昨日までの日常は戻ってこないかもしれない。だから、今度こそ、俺はいつも通りに尋ねた。
「寂しいか?」
「……」
サラはいつものように首を横に振った。
「イリアがいるから、平気」
そして、少し微笑んで、気恥ずかしいことを言う。
サラは何でもないことのように、さらりと言う。だから余計に此方が参ってしまうのだ。
「お前はまた、そういうことを……」
サラのこういう真っ直ぐさが、とても眩しい。どうかそのままでいてほしいと願うほど、そのあり方は美しいと思った。自分には決して届きそうにもないものだから。……俺は羨ましいと思っているのかもしれない。
「しりとり、始めるぞ」
自分の気持ちにキリをつける意味でも話を元に戻す。「うん」というサラの一声で、お互いに向き直る。
そうして、二人だけのしりとりが始まる。
カレーや玉子焼きといったものを知らないサラだから、しりとりには弱いだろうと思っていたがそれは大きな間違いだった。何だかよく分からないけど、サラは自分自身、意味を知らない単語を覚えていて、その数があまりに膨大だった。りで縛って攻撃してみたりしたが逆に返り討ちにあった。流汗淋漓って何だよ。
サラの一人勝ちが続くなか、扉が開き来訪者を招き入れた。
「はあ、疲れた。もう事務仕事なんて性に合わないわ」
声の主が誰かなんて確認するまでもない。彼女の存在を認識した途端に、少しだけ身体が強張ったのを感じる。
そんな俺をよそ目に、ここに入ってくることに何の抵抗もないような、場違いなのは俺だとでも言いたげに、ユウナはいつも通りに机の傍にある椅子に腰かける。
「ユウナ」
「サラちゃん、何してたの?」
「しりとり、イリアと」
「ああ、そうなんだ。サラちゃん強いでしょ?」
長時間の仕事で肩でも凝ったのかグルグルと回しながら、ユウナは横目で見ながら俺に同意を求める。その姿があまりに自然で、俺の内情とかけ離れすぎていて、思わず、口ごもってしまう。
「え、ああ…まあ」
何でこんな、普通に会話してくるんだよ。じゃあ、さっきのは本当に単なる仕事モードで、別に気まずいとかそんなこともなしに、俺があれだけ傷つけたつもりになっていたことを、もう割り切ってるって言うのかよ。
俺は怒りとも悲しみともつかない感情を抱えたままユウナを睨んでいた。だっていうのに、それさえも空気のように躱して、あっけらかんと言葉を告げる。
「何よ、幽霊でも見たような顔して」
「……お前、ちょっとこっち来い」
それを聞いて、俺の中にあった曖昧な感情を怒りという確かな形になった。俺はその沸騰の勢いのままユウナの腕をつかんで部屋の外に連れ出した。
「ちょっと、引っ張らないでよ!」
抵抗するユウナを無理矢理引きずり、ラウンジまでつれてきた。
壁が一部透過していて、星の明かりがよく見える、開放的な空間。どこまでも続いているような宇宙を眺められるこの場所は、本来ならもっと晴れやかな気分にさせてくれるところなのだろう。
今の俺たちはそんな景色とは対称的にさえ映る。行き止まりにぶつかって、進めない。
「……何?」
いかにも不機嫌そうな声と態度でユウナが最初に声を発した。
「何じゃないだろ。どういうつもりだ」
「どういうつもりもないでしょ。昨日の続きでもするつもり?あそこで険悪な雰囲気醸し出してもしょうがないでしょ」
感情を叩きつけるだけの俺と違って、とかく冷静に、正しい答えを返される。それが最も適切な振る舞いであると理解しながら、けれど、全然納得できずに、意味のない反論を繰り返す。
「そんな簡単に割りきれるかよ」
「……子供ね」
「なんだと!」
呆れたような物言いに、またしても俺の神経を逆なでされる。さっきからずっとユウナに対するイライラが止まらない。取りつく島もないようなスタンスに、俺のことを下に見るような態度に、どうしようもなく心の距離を感じてしまって、取り返しのつかないような焦りが募って、ますます心がささくれ立つ。俺が大切だと思ってるものは、彼女にとってはどうでもいいものだと言われているようで、酷く心が痛い。
ユウナはそんな俺になんてお構いなしに次々と俺に言葉を刺す。
「ほらまた、すぐそうやって怒る。七年前と同じ」
「煽るなよ、そっちの方がよっぽど子供っぽいぞ」
せめてもの抵抗として、嫌みの一つでも返してみる。精一杯の足掻きであろうと無駄なことだった。まるで効き目がないと言わんばかりに、彼女の眉根一つ動かない。
「そう?ならごめんなさい。謝るわ」
「一々、ムカつくな」
「そんなつもりはなかったけど」
「言い方に嫌みが含まれてんだよ」
「それはイリアがそういう風に受けとるからじゃないの?」
「ああ言えばこう言うなお前」
「事実を言っただけよ」
「お前な……」
どんなに軽口を重ねても、応酬は終わらない。これでは昨日と同じ。お互いを――ユウナは違うのかもしれないが――ただ傷つけてしまうだけのやりとりだ。
しかし、そうはならなかった。核心を突くようなユウナの言葉が、鋭い瞳が俺の思考を一突きにする。
「なら、どうしてほしいの?」
「は?」
「イリアは、私にどうしてほしいのよ」
「どうしてってそれは…」
頭を必死に回転させても、言えそうなことは何一つ浮かばなかった。佇まいを変えるとかそんな上辺だけのことを求めているわけじゃない。けれど、実際、彼女の行動は心底気に食わない。じゃあどうすればいいのかと問い直すとまたしても最初の答えに帰ってしまう。堂々巡りもいいところだ。
言いあぐねている俺を見かねて、ユウナは言葉を紡ぐ。子供を諭すように優しい声音で、冷たい視線のまま俺に語りかける。
「私はあの子の正体を探る。それが白なら良い。でも黒なら排除する。別に黒だって決めてかかってるわけじゃない。客観的に見てあの子は今グレーよ。だから、あくまで可能性のひとつとして頭においておく。それだけよ」
「だからその澄ました態度が気に食わないんだよ!」
そのギャップが恐ろしくて、このままだと、何も言えずに、何も掴めずに、何もかもが崩れてしまいそうで、縋りつく想いで、正解とも思えぬ答えを口にする。認めたくない。そんなこと。あのユウナが言っているなんて。客観的?可能性のひとつ?どっちにしたって黒なら殺すってことじゃないか。
「そんな簡単に言うなよ。あの子だって、サラだって、一人の人間だろ!」
「でも、それが集団に害を与えるなら、それは悪よ」
はっきりと言い捨てられる。ユウナは全く動揺していない。そこでようやく俺が詰め寄ろうとしたところで意味がないことを悟った。彼女は既に全てを決めつけてしまっているようだった。7年もあれば人は変わると、そう寂し気に呟いたのは誰だったか。それをただの言い訳だと一蹴したのは誰だったか。そんなことを思い出して、胸が痛くなる。こんなことがその答えなんて、俺は、理解したくない。
7年振りに再開したあの日。その意図は未だに腑に落ちてはいないけれど、彼女は軍人としての姿で俺の前に現れた。関係のない一般人を、守るべき存在を、包み込むように優しく。苛烈にさえ映るほどの信念とともに。
それは昔の彼女そのものだった。喧嘩っ早く、勝気で、何かと言い合いになることが多かったけれど、いつも他人を気遣って、努めて、誰かのためになろうとする。危なっかしくて、だけど一途な少女。
だから俺は彼女が漏らした言葉を、そのままに受け取ることはしなかったのだ。いや、したくなかったのだ。ユウナを、俺が知ってるユウナだと思っていたかったから。7年という月日がこんな断絶だなんて信じたくないから。
心を代弁するように、ひたすらに声をあげる。届かないと心の内で諦めかけながら、それでもと歯噛みして、尚も反論する。
「何でそうなるんだよ。そんなの」
「おかしい?」
「っ…!」
結局、ユウナの方が何枚も上手だと思い知らされる。言葉を先取りされて、たまらず息を漏らす。今の俺はユウナの言うことに踊らされているに過ぎない。
焦りや怒りを通り越し、既に狼狽に近くなってきた俺に、畳みかけるようにユウナは続ける。その声にはもう先ほどのような優しさは宿っていない。ただどこまでも事実を突き付けるように、冷酷なまでに愚直な言葉を。
「じゃあ逆に聞く。イリアは、自分のお母さんを殺した人を、許せる?」
「それは」
「じゃあ、ルナだったらどう?私が殺しましたって言われたらイリアはその人をどう思う?」
真っすぐに見据えられた瞳に、思わず目を逸らしそうになる。そうはさせまいと、彼女は俺の一挙手一投足を見張るかのように鋭い眼光を走らせる。
一度深く息を吸い、呼吸を整える。嘘を言ったところで、すぐに見抜かれる。ならば直感的に感じたままを口にするしかない。
「許せないと、思う」
「……そう。許せないのよ。誰だって、大切なものを奪われれば、許せない。だから私はそんな人を生んでしまう存在を認めるわけにはいかない」
「でも…もしかしたらその人だって、なにか理由があるかもしれないだろ。奪いたくて奪う人ばかりじゃないはずだろ!」
自分でも何の意味も持たないと理解している程の詭弁を宣う。それくらいしか、返せなかった。だって……
「そんなことを認めてしまえば、何も守れない。だって消したくても消せない。一度抱いてしまった感情は、そう簡単には消えない」
自分の想いを確かめるように胸の前でキュッと手を結んで、「それはイリアも同じでしょう?」と言外に問うてくる。
ああ、全くその通りだ。
矢継ぎ早に繰り出されるユウナの答え。そのどれもが正しい。正しすぎて、俺の言葉はまともな反論になっていない。俺が言っているのはただのエゴであることがはっきりと分かる。それに、俺自身が言ったんだ。許せないって。
大切なものを奪った戦争を俺は憎んでいる。それを引き起こした人間と言う存在さえも嫌になったことがある。
今、その戦争を引き起こしているのは間違いなくアパレイユだ。そして、サラはそれに関わりがあるとほぼ決定付けられている。
俺が本当に戦争を許せないのなら、サラを警戒し、果ては憎悪したとしても、それはごく自然のなり行きだ。当たり前の感情だ。
けど、今の俺はそうではない。彼女を守りたいと思う気持ちに、その理由に、俺は気付きながら逃げているのだ。
「大切な人を失ったら誰だって悲しむ。その原因を恨む。憎むの。戦争も、理不尽な死でさえも。それは、新しい悲劇を生む……だから、一つでも多くの幸せを望む。そのために避けられない犠牲は払うしかない。それの、何がおかしいって言うの?」
「でも俺は、多くの人が悪だと思っても、集団に害をもたらす存在だったとしても、俺は、俺の大切なものに変わりはないんだ」
全ではなく個。ユウナが全を優先する理性だと言うのなら、俺の答えはただ俺の意志のために個を優先するだけの感情論だ。それでも、先ほどまでの中身のない空虚よりは幾分か確かな意味を持つ言葉だ。その正体がどのようなもんであろうとも、それが誰かの大切なものであるという可能性があるが故に、憎しみの連鎖は断ち切れない。まして、眼前の男が彼女が大切だと宣言したのだ。明確に、傷つける相手も、要素も露になった。そこには僅かばかりかの意味はあるのだ。
やっと絞り出した俺の反論に、ユウナはゆっくりと息を吐く。そんなこと分かってると言いたいようだった。そうして、また、静かに話を続けた。これは言いたくなかったのにと、顔を伏せながら。自分の表情を悟られまいとするかのように。
「イリアがあの子に拘ってる理由」
「…………止めろ」
昨日も言われた。その憶測。
言ったはずだろ。それは。
「似てると思ったんでしょ?」
「だから止めろ」
「自分に」
違う。
「ルナに」
違う。
「そんなんじゃない」
言葉を重ねられる度に、幾つも光景がフラッシュバックして、痛い。在りし日の姿が、今の在り方に合致していくようで、心の中のパズルが埋まってしまう。だから、逃げ場などどこにもなかった。自分を縛り付けているのはユウナの言葉ではない。俺自身だ。
頭の中が映像で満たされていくと同時に、思考は次々と形を無くし、俺は言葉を失っていく。口が何度形を変えようと、それは音になって出ていこうとはしない。
体が熱い。頭なんてもっと熱い。オーバーヒート寸前だ。馬鹿みたいに独りで空回りして、図星を突かれたら黙ることしかできない。何と矮小な男なんだろう。目の前の彼女は凜として立ち続けているというのに。
「………お前に」
擦れて、息を吐くだけのような俺の言葉は殆どが音にならなかった。胃液がせり上がりそうになるけれど、何とか飲み下して、先に続ける。
「…………何が分かるんだよ」
言い終えて、そして理解する。俺の言葉は全部俺に返ってくるのだと。何も分かっていない俺を、俺の不甲斐なさを、戒めるように、呪うように、締め上げる。
逃げるように言葉を探す俺と、確かに告げる彼女。その対照的な関係のまま、時間は流れていく。
「分からない。でも分かってるつもり」
迷いなく、迷いを述べるユウナ。そして続けざまに答えを教えてくれる。その真意だけが言われずとも伝わってしまって余計に辛い。
「怖がって怯えてるあの子がルナみたいだって思ったんでしょ?何も分からないあの子を自分みたいだって思ったんでしょ?」
そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。
分からない。
分からないんだ。
似ているとは思っている。だけどそれが。それだけが理由だとは思えないんだ。
だってそんな理由で、俺に似てるって理由で、俺みたいな人を生み出しかねない要因を許せるわけがないだろう。
「じゃあ何で?何でそんなに拘るの?イリアが必死に守る理由なんかないじゃない……それじゃあイリアが辛いだけよ」
その言葉尻の持つ切なさに惹かれて思わず顔を上げる。俺を慰めるように、慈しむように微かに呟かれた一言。それはまたしてもあの日の彼女を思い起こさせる。
何なんだよ……ホントに……今まで散々、俺を冷静に否定してきたのに、何でここでそんな悲しそうな声を出すんだよ。ユウナは今にも泣き出しそうだった。俺と目が合うと、彼女は俺に背を向けて俯いてしまった。
その姿を見てやっと、理解する。
お前だって割りきれてないんじゃないか。人のこと散々に言っておいて。こいつは一体、誰に気を遣ってるんだか。
ユウナは自分の感情に整理をつけるようにして、胸に手を当てながら続けた。
「っ……良い?戦場には冷酷さが必要なの。出会った人間は一時間後に死んでいるかもしれない。仲良くなった人は実は敵かもしれない。そういう可能性が常にある。出会った人に感情移入なんかしてたら壊れてしまう」
「ユウナ、お前」
大袈裟なのは重々承知しているけれど、今の発言にはユウナの7年が垣間見えた気がした。傷ついて、どうしようもなくなって悩んだ彼女の過去に、その片鱗に、触れたように思える。
だからこそ、先ほどまでのやり取りをもう一度噛み砕かなければと思った。彼女の真意を正しく理解しなければいけないと思い直す。言われるままではなく、ちゃんと彼女の声に耳を傾けるのだと。
そうして、しっかりと彼女の姿を見つめなおす。そこで目にしたものは俺と同じ年齢の、一人の少女だった。
いきなり真剣に見据えられて、戸惑ったのか、少女は一度視線を逸らしてから、決意に満ちた顔とともに俺の顔を捉え返す。口を開き言葉を紡ぐ。その答えを聞き逃すまいと一つ一つをくみ取るよう努める。
「イリアにはそんな感情、身につけてほしくない。優しいままの貴方でいてほしい」
「そんなこと」
そんな風に言われると、全ての言動が違って解される。事もなげな振る舞いも、刺すような冷たさも、何もかもが俺を守るためのものだったのだと。遅まきながらに思い知る。
けれど、その言葉は俺にではなく、ユウナに掛けられるべきだ。推測でしか語れない俺では説得力に欠けるだろうけど、多くの悲しみを乗り越えて、諦めた方が楽だと分かっていながら、心を否と奮い立たせた。変化を求められる環境の中で、根底を守り抜いた彼女の強さを称えるために。
彼女は何て強いのだろうと、感服する。少なくとも俺なんかよりはよっぽど。
この気持ちをどう伝えたら良いだろうか。下手な賛辞ではきっと否定するに決まっている。だから慎重に言葉を尽くさなければならない。そう、考えていると思いも寄らぬことを言われてしまった。
「だから、憎むなら私にしときなさい」
「……」
「私は、れっきとした軍人なんだから。切り捨てた少数から、恨まれる義務がある」
「お前…」
突然の謎発言に一瞬思考が吹っ飛んだ。この方は一体全体何を言っているのやら…
「何よ」
「馬鹿だろ」
ユウナのワケわからん論理に的確な回答が思い浮かばなかったので、真っ先に思い付いた馬鹿と言う言葉をプレゼントする。全くもって意味が分からない。結構凹んでたはずだけど、それも忘れるくらい意味が分からなかった。
「なんで、そうなるの!」
ユウナも予想外のことを言われたからか、調子がいつも通りに戻っている。これ幸いと言わんばかりにすかさず俺も謎発言をお見舞いする。
「俺は、子供なんだぞ。忘れたのか」
「開き直るんじゃないわよ…!」
「そんな簡単に割りきれないって言ったんだよ。俺は、お前を憎みたくなんかない」
そうだ。それだけは絶対におかしい。天と地がひっくり返っても、ナマケモノが急に働きだしたとしても、ユウナを憎むなんてのは間違ってる。
「じゃあ、どうするのよ。これじゃあいつまでたっても決着つかないじゃない!」
「むしろ、何でお前を憎んだらこの話に決着がつくんだよ!大体、言ってること滅茶苦茶だぞ。もし本当にそんなことしたら憎しみの連鎖がまたグルグル回っちゃうだろうが!!」
渾身の揚げ足取りが炸裂すると、ユウナは堪らずたじろいでしまう。彼女の正しさにだって隙はある。それを分かっていながら、言われっぱなしだったのは、単純に、彼女に圧倒されていたからだ。有無を言わさず、話を取り合う意思を見せなかったからだ。けれど、今はその限りではない。その裏側が、本心が、優しさであったことを知った今となっては俺は堂々と彼女の正しさを否定できる。
力いっぱいに反論されたからか、ユウナはしっかり困惑してくれているようで、発言もいよいよ言い訳めいてきた。身振り手振りを混ぜ込みながら話している辺り、かなり図星であることが見て取れる。
「それは…良いのよ。色んな人に分散させるより一人に集めた方が問題は起きづらいんだから」
「いや、その役割がお前なのは意味わかんないだろ…」
「それはどうでもいいでしょ!とにかく!イリアが変に背負うことなんか無いって言ってるの!」
「お前が背負ったら解決するって理屈のどこに筋が通ってるんだよ!」
「ああ、もう、このわからず屋!」
「こっちの台詞だ!」
さっきまでの言い合いと違い、殺伐とした空気は、もうない。傷つけあうための言い合いではなく、説き伏せるための口論でもない。ただ自分はこうなんだと、声高に主張するだけの鳴き声みたいなものだ。鳴き声と一口に言っても、動物間でも違えば、種類によっても、住む場所によっても違ったりする。それが今は通じ合っている。だから俺たちは叫び続けてしまうし、この先に納得のいく結果が待っているとも思っていない。言ってしまえば自己満足ならぬ、二人満足。だけど、端から見たら、かなり本気で喧嘩しているように見えるだろう。お互い結構なボリュームで怒鳴っている。俺もまだ言い足りてないし、それはユウナも同じだろう。しばらくはこの状態が続くと思われたが
「ケンカ、だめ」
思いもしなかった人物に止められた。
「っ……サラ?」
「二人とも怖い顔してる、そんなの見たくない」
サラが、俺たちを正面から受け止めて、呟いた。そこに微かな、けれど、確かな意志を感じた。
確かに怖い顔をしていただろうが、心から敵意を剥き出しにして、怒っているわけではない。…少なくとも俺は、だけど。諫めてくれるのはありがたいことかもしれないが、ここで引くわけにはいかない。
なぜなら。
「これは私たちの問題よ」
「サラには関係ない」
「ある」
「「え」」
高らかに宣言したつもりだったのだが、あっさりと否定される。驚きすぎて、ユウナとハモってしまった。二人して顔を見合わせて、数秒見つめ合う。恥ずかしさが重なって、お互いに明後日の方向を向いてしまう。
ある意味で張りつめていた空気が急速に弛緩する。なまじ感情任せに言葉で殴り合っていたから、一旦冷静になると、妙に気まずい。ただただ暴走していただけだと再認識させられ、顔を逸らすことしかできなくなる。
そこに追い打ちを仕掛けるようにサラは、丁寧に気持ちを伝えてくる。
「私は、二人に、ケンカしてほしく、ない」
「……何で?」
「嫌、だから」
サラの想いを、感情を、はじめて聞いた気がする。酷く不器用で、どこまでも透き通っていて、如何様にも解釈できそうな、けれど、一つの想いを運んでくれる。
「嫌って……お前」
「よく分からない…でも二人が怖い顔をしてると、ココが痛い。どうして?」
顔を歪めながら、本当に辛いんだって訴えるように心臓の辺りを押さえて問いかける。それは道を見失って一人さ迷う修道女を彷彿とさせた。形もなく、その定義さえも曖昧な靄だけが立ち込めていて、何も教えてはくれないのに、痛みだけは伝えてくる。在ることだけは分かるのに、それ以外は不確かなままな、内側に走る痛み。
その痛みが伝染してきて、知れず、俺は拳を握っていた。
この子は、知らないだけなんだ。感じていないんじゃない。ただその正体が分からなくて、でも感じてしまうから、ほんの少しの記憶と、俺たちとの会話を積み上げて、懸命に自分を伝えようとしているのだ。
だからだろう。言葉数が少なくとも、続く言葉がただの言い換えであったとしても、こんなにも納得してしまうのは。
「二人には笑っててほしい、だって、イリア言ってた。嬉しいときには笑うって。嬉しい方がきっと、嫌じゃない」
そんなこと言ったけか。でも確かにその通りだ。笑っていた方が良い。それが嘘偽りのない笑顔なら、尚良いだろう。そうありたいと、そうあるべきだと思わされる彼女の言。そして、そう思ってしまったからにはもう、さっきまでのいがみ合いになんて戻れない。
ユウナはどう思ったのだろう。チラリと横目に見たユウナの表情は複雑そのものだった。それもそのはず。疑っている人物に、真正面から諭されたのだ。心中嵐の如くだろうことは察して余りある。
彼女の想いはそれほどまでに静かで、汚しがたいものだった。その感情が一時的な、記憶のない今しか有り得ないとしても、それでも、今はそれが真実だ。
俺はユウナに目配せをして、話は終わりだと伝える。彼女は納得しきれていない様子だったが、了解と目を閉じた。
それからようやく自分の想いを伝えられる、サラにちゃんと返事をしなくちゃいけない。
「そうだな。笑顔が一番だ」
ニっと笑ってそう告げる。サラの気持ちに応えるように、自分にしっかり言い聞かせるように。
そして、有言実行せんとして、茶化しながらこう続けた。
「それに別に俺は何でもなかったんだけどな、ユウナが突っかかってきたんだよ」
「なっ!イリア!!」
卑怯だぞと全身で訴えてくるユウナを宥めるポーズをして、弾けるように笑う。
うん。こっちの方が嫌じゃない。
でもまあ、本当にこのまま終わってしまうのも、締まりがないので、今の心境を素直に伝えることにする。
「その時が来たら、ちゃんと向き合うよ。今はまだ答えを探したい」
その発言をどう捉えたのか。ユウナはただ「そう」とだけ頷いた。困ったように目を細めるものだから、ひょっとすると呆れられてしまったのかもしれない。けれど、それ以上は言わないところ、待ってくれるみたいだ。俺の答えを。
そうして二人の間に流れる雰囲気が落ち着いたのを察したのか、サラがぽしょりと口をついた。
「二人とも、仲直りしたの?」
「ああ、サラのおかげだ」
「ほんと?」
「ええ、ありがとう」
「……どういたしまして」
サラはまたちょっとだけ微笑んでそう言った。




