脈動 3
鏡の向こうにいる俺を端的に表すことは難しかった。絶望、不安、疑惑、悲哀……異種様々な負で彩られていた。
こんな顔を見せ付けられたら、誰だって普通じゃないって分かる。自分では平静を装っているつもりだったけど、所詮はつもり、結局は全く普段通りじゃなかったってことか。
サラは、特に何の反応も示していなかった。ユウナには明らかに気を遣われた。疲れてた、で誤魔化せるほどユウナは鈍くない。俺の反応が芳しくなくなったのが、サラと話してからなんて、すぐに分かる。やっぱり言わないといけないのか……?黙っていれば余計に怪しいのは確実だ。だけど…
「考えても仕方ない、か」
ユウナが聞いてきたら話そう。あいつは気がまわるタイプだから、俺の気持ちを察して聞かないでいるかもしれない。それはそれで心苦しいけど、何にせよユウナの出方次第ってことにしておこう。
二人が戻ってくるまで、30分少々ってところだろう。この間に気持ちを切り換えられるといいんだが……
ベッドに腰掛け、ボーッと天井を眺める。白い、白い、天井。軍の最新鋭の設備なだけあって、やはり真新しい。汚れ一つない。それに見入っていると、不意に吸い込まれそうな錯覚を覚えた。今まで意識してこなかったけど、白は他のどんな色よりも存在感がある。白は何物にも染まるが故に、その純真さを頑なに主張している。純白は、それだけで確固とした意志を持つ。白は何よりも確かな存在だから、他を支える拠り所と為りうるのだ。白が下地に使われるのは、決して白が無個性だからなんかじゃない。そこに他の色が混ざることで、自分自身もその色も、双方を際立たせる。
だから、サラは……
「白い、な」
立ち上がり、机の上に置いてある端末を手に取る。サラが大事そうに持っていた端末。これさえなければ疑念を抱くことなく、あの子を守るという決意も揺らがなかったのに。どうしてこんなものがここに……
「…どう………して?」
ちょっと待てよ。昨日は困惑してて、落ち着いて考えられなかったけど、よくよく考えてみればおかしいぞ。どうして、アパレイユの設計図がここにあるんだ。スパイを送りたいならバレないようにするはず。なのに、どうしてこんなあからさまな証拠を持ってるんだ。たとえ、これが罠だったとしたら狙いが全く分からない。わざわざアパレイユの情報を明かして、向こうにメリットがあるのだろうか。俺の見る限りこの設計図に欠陥はない。だから、偽の情報を流して、こちらの戦力を削ぐというわけでもない、と思う。だとしたら、何だ。一体、何を。
「分からない」
余計に分からなくなってしまった。どんな意図が、裏が、秘密が、そこにあるのか。考えを巡らせるほど、思考は迷路の中を彷徨う。辻褄を合わせるだけならどんな論理だってなりたってしまう。サラをスパイだと考えることも容易だ。だけど、知らず知らずのうちに利用されているだけで、本当に何も知らない一般人の可能性だってある。だから……まだサラを信じる余地は残されてるって。
「……そう、思いたいだけだよな」
でも、可能性は0じゃない。アパレイユと何の繋がりもないとは言えないまでも、サラが俺たちにとっての敵かどうかは、決めつけるには早すぎる。
「だったら」
信じよう。だって、誓ったんだから。傍にいるって約束したんだから。守りたいと願ったんだから。
幾分、気持ちが晴れた。気のせいではなく、確かに。これならまともにサラと話せるはずだ。……良かった。
さてと、切り換えたところで、もうちょっとアパレイユの設計図解析でもしておこうかな。
--ピピ
ざっと目を通したとはいえ、昨日と心持ちが天と地ほど違う。今なら、新しい発見があるかもしれない。
「これは……?」
心持とは、余程重要なのだろう。昨日も読んだはずのページに気になる記述を発見した。
「EmPhoton……?」
それは、アパレイユの動力源ともいえるものの名前のようだが、こんなエネルギーは聞いたこともない。フォトンということは何かしらの光子なのだろうけど、光でここまでのエネルギーを生成できるとは思えなかった。
改めて、読み返してみると、アパレイユは謎の光子が生み出す莫大なエネルギーを軸に設計されていた。入り組んだ回路は、一見複雑そうに見えて、圧倒的なまでに洗練されていた。エネルギー効率。排熱機構。関節可動域。どれをとっても完璧と言わざるを得なかった。何度見ても欠点は見当たらない。こんなものを作ることのできる敵の技術力が空恐ろしく感じられる。救世主カタロ=リミトの肩書きは伊達じゃないってことか。
だけど、これを再現することができれば、今よりずっとアパレイユに対抗できるはずだ。当然こんな理想のエネルギーソースに心当たりはないので、そこは自前の動力炉で補わなければならないのだが。これをどこまで落とし込めるかが問題だ。現存の技術力ではどこかを突き詰めて、別の箇所は諦める位しなければ、実現性が覚束ない。幸い、数はこっちの方が圧倒的なんだ。格闘機、射撃機、支援機と役割を明確化させて、アパレイユの性能を導入できれば、何とかなる。きっと。
何だかやる気が湧いてきた。さっきまで死ぬほど落ち込んでいったていうのに、この変わりようだ。単純というか、馬鹿というか。少し感情に左右され過ぎな気もするけど、素直、ということにしておこう。
時計に目をやると、二人が出ていってから30分以上経っていた。俺は端末の電源を切ろうとして、一つ、新しいことに気付いた。というより、当たり前のことなのだけど、当たり前すぎて思考の範疇から外れていた。いくらアパレイユが優れていたとしても、サージがそうであるように、あそこまでの機械を自動制御することは不可能だ。当然、目の前の図面にもコックピットの存在が見てとれる。誰かが操縦しているのだ。人間を機械的に殺戮する存在だと思っていたからか。あれが無機的なものだと決めつけていた。心のない機械が人を殺しているのだと。でも、そんなことはない。誰かが意思を持って操り、俺たちと戦っている。
「敵は、人間……?」
きっかけがあれば、答えに辿り着くのは簡単だった。そも、人類史に名を遺す人間を騙っているのだ。なまじ、力の差があり過ぎるから見えづらくなっていたけれど、相手は紛れもなく俺たちと同じ、人。
人類を守るための戦い。確か、軍はそんな風な目的を掲げていたはずだ。正体不明の敵に対して、迫りくる脅威に、気丈にも立ち向かう。正義のための戦い。でもその本質は?アパレイユが現れるまでに、地球軍とリユー軍が争っていたのと違いはあるのか。命を持つ者同士の戦いである以上、そこにあるのは立場の違いでしかないのではないか。なら、そこにどんな正義があるのだろう。
俺はアパレイユの設計図から目を離し、部屋に備え付けられている、軍用の端末を起動した。軍内部に閉じられているデータベースに接続する。軍規やら戦術やら施設やらが羅列されているが、アパレイユの項目だけは異様なほどにその情報量が少なかった。だから全てに目を通すことは容易だった。だからこそ違和感を感じた。別に少ないことについて、疑問を感じる訳じゃない。情報の内容に、偏りを感じるのだ。元々、軍のエンジニアだったこともあって、データベースを使ったことは一度や二度ではない。その時見た内容と、今目の前に表示されているものは、殆ど同じだが、少しずつ違っている。気になるのは、その言葉選びだ。研究員のものは未知・不能というような、何も分からないという意味の単語が繰り返され、戦闘員の方は無機・冷徹というようなどこか命を否定するような言葉が並べられている。それだけかと思われるかもしれないが、意図的に印象を操作しているのではないかと勘繰ってしまう。だって、わざわざ所属別でデータの中身を変える必要性を感じられない。むしろそれは逆効果だろう。こんな面倒なことをしてまで、一体何が目的なんだ……?
「……ちょっと待てよ」
疑念は更なる疑念を呼ぶ。その衝動のまま、俺は自分の端末を起動させ、あるデータを見直した。今度は感覚的なものではなく計量的なものだ。パクスの研究所でブースターの開発を行っていた頃、俺は本部から送られてきたアパレイユの戦闘データを解析した。当時は疑いもしなかったけど、この数値、明らかにおかしいぞ。直接戦闘すれば、これがデタラメだってことは一発で分かる。何より、設計図から想定される理論値から大きく外れている。
何だ……どうなってるんだ……印象操作に情報改竄。人類を守るために戦っているはずの地球軍だろ。それが、どうして……
「ふーん。そうなんだ」
扉の開く音が聞こえて、慌てて端末の電源を落とす。二人は楽しそうに話ながら部屋に入ってきた。
「イリアー帰ってきたよー」
「玉子焼き、美味しかった」
「良かったな、俺も玉子焼き大好きだよ」
「うん。私も」
返事をして振り返ると、昨日と違った服を身に纏ったサラがいた。今日も似合ってると思うが、やっぱりユウナが着てる姿を想像すると、微妙なセンスな気がする。何故なのか。
「サラ、着替えてきたんだな」
「帰りに私の部屋に寄ったの」
「ありがとな」
「どういたしまして」
「イリア、忙しいの終わった?」
「え……た、多分」
「残念。イリアにはこれからお勉強してもらわないと」
ユウナが忙しいって言ったのはあくまで方便だったと思うけど、実際暇ではないことは確かだ。まだまだ知らないことが多すぎる。
「お勉強?」
「そうなの。イリア、ちょーっと知らないことが多すぎるから」
「人のことを馬鹿みたいに言うなよ…!」
「まあまあ。……だからサラちゃん、遊ぶのは勉強が終わってからでもいい?」
「分かった。本の続き読んでる」
「ありがとう。……じゃあイリア、始めるわよ」
「ああ」
ユウナの指導は厳しくはあるけど、分かりやすいし、何だかんだで優しいので全然苦にはならない。集中していたおかげもあって、かなりの時間を通してやってしまった。そのせいで、サラはいつからかまたベッドで寝ていた。あまり長いことやっていても仕方ないから、ユウナが疲れた頃を見計らって休憩をすることにした。
「それで」
机に向かって座っていた俺は背中越しにユウナの声を聞いた。振り返ると、こちらを見るでもなく、何をするでもなく、どこかを見つめて、ユウナは続きを呟いた。
「何かあったの?」
「何かってなんだよ」
優しく問いかけられているのに、上手く気持ちを表現できなくて、ついぶっきらぼうな言い方になってしまう。食堂で会った時からずっと、ユウナは俺のことを心配してくれている。だというのにこんな言い方しか出来ないなんて、本当に申し訳ない。
ユウナは俺の態度を気にする様子もなく、語調を変えずに言葉を継いだ。
「分かってるくせに」
「………ごめん」
「謝られても…困る」
「だよな」
「なら、やんないでよ」
「うん…」
お互いにお互いがどんな風に答えを返すか分かった上での問答。相手の気持ちを察していない振りをして、相手の言葉を引き出そうとする、微妙な駆け引き。俺の相槌を最後に長い沈黙が下りた。何を考えているか、なまじ分かってしまうから、踏み込めなくて、でも進まなければ、いつまでもこのままだから、誰とは言わず、打ち明けることを迫らなければいけない。
「そんなに言えないこと?」
「……迷ってるんだ。言うべきかどうか」
「それは、イリアの判断だけど……」
「うん……」
「あの子のことでしょ」
ユウナの視線がサラに向けられる。何も知らず、ただ安らかに眠る彼女。知らないことさえ知らない、ただ純粋だったはずの少女。
聞かれると分かっていたことでも、いざその場面に立ち会うとどうしたらいいか分からなくなる。ユウナの出方次第、それは完全に匙を投げてしまっている。気を遣っている振りをして、結局、判断するのが怖いだけだ。
「うん」
「なら私だって無関係じゃないはずよ。イリアだって一人で面倒見きれるなんて思ってないでしょ?あの子の家族が見つかるまで、私も出来る限りの協力はしたい。それになにより、私には、軍人としてあの子を守る義務がある。だから」
「それが」
無意識に声が漏れた。少し上ずった、感情の籠った声だった。
「……?」
「………ユウナにとっては義務なのか」
「ええ」
「なら……やっぱり言えない」
唇を噛んで、そう告げる。こんな風に否定されるなんて、ユウナは考えていなかっただろう。
軍人としての守る義務。それはとても強固な、信頼できる響きに聞こえる。けれど、裏を返せば、そこに彼女の意志は介在しないことになる。。守らなければいけないと守りたいの間にはあまりにも大きな溝がある。サラがもし、守られる側の敵になってしまえば、ユウナはその義務の名のもとに、サラを……
「ど、どういうことよ?私、何か変なこと言った?」
「言ってない……言ってないよ」
「もう、ワケわかんないなぁ……」
「ごめん……」
「だから、困るって」
「………」
「あのさ。イリア、今は普通だけどさっきは…」
「あれは…」
「それくらい大変なことなんでしょ。イリア、抱え込む癖あるから」
心配してくれる気持ちが、ただ、痛い。居たたまれなくなって、逃げ出したくなるほど。自分一人で抱え込むつもりだった想いも、優しさに触れれば壊れそうになる。甘えてもいいような、弱さを見せてもいいようなそんな気になってしまう。その度に自分の心の弱さに歯噛みする。誓ったことさえ、その場の感情に流されてしまうような自分の曖昧さを見せつけられる。
やっぱり、俺は弱いまま、あの小さかった手のひらのまま、ここまで来てしまっているのだ。
でも、それでも、何も変わってないなんて思いたくない。心の中に、微かにでも引っ掛かりがある内は弱さに逃げたくない。今はまだ。一つだけはっきりさせておきたいことがある。
俺が容易く彼女の言葉に頷けない理由。ユウナの言った守る義務というのは、軍の正義に基づくものだろう。それは規律で定められた絶対的なもので、彼女もそれを果たすに値すると思ったから、こうして掲げている。だけど、今の俺には納得できていないことがある。
軍の研究所で、サージの開発に取り組んでいた俺でさえ、前線で戦っている情報は殆ど下りてきていなかった。それ程、大きな研究所でもなかったし、末端と言われればそれまでだけれど、軍は何か意図的に情報を操作しているのではないかと疑問を感じるには十分な根拠がある。それがはっきりするまでは、軍に頼る訳にはいかない。
「ユウナは、今、誰と戦っているか知ってるのか」
「誰とって……え?そんなの…」
突然の問い掛けにユウナは一瞬たじろぐ様子を見せる。俺はそこに付け足すように言葉を重ねた。
「巨大な組織か、それとも個人か……そういう曖昧なのでもいいから、何か…」
「………知らない。この前見たでしょ?アパレイユは瀕死になれば自爆する。捕らえられた試しはないし、情報は限りなく0に近い。まだ手掛かりを探っている状態なのよ」
「本当、なのか?壊れた破片なり何なり、調べる材料はあると思うんだけど」
「少なくとも、私は知らないわ。そもそもこういうのって研究者の方が専門なんじゃないの?イリアが知らないことを私が知ってるとは思えないわ」
その一言は、俺の疑問をさらに膨らませた。お互いに認識に齟齬がある。その間には何か、とても大切なことがあるような気がして、少しだけ緊張が走った胸の内を抑えながら、さらに質問を投げかけた。
「ユウナは、本部の研究者と話す機会はどれくらいある?」
「研究者の人たちと…?そうね、殆ど、ないと思う。基本的に人手不足だし、自分の仕事で精一杯なところが大きいかも」
「周りもそんな感じなのか?」
「多分。そもそも、2年前から、研究と戦闘の部門は完全に独立しているから、大きなことでもない限り交流はないと思うわ」
「2年前って……」
「確か、ノーラン大佐の進言だったはずよ。各々がやるべきことに集中できるようにって、専門化したみたい」
何か。何かがもう少しで分かりそうなのに、核心的なところがまるで見えない。もやもやが広がるばかりで、もどかしくて言葉に焦りが見え隠れしてしまう。変に声色が上下しているのが自分でも分かるから、ユウナが心配するような顔を浮かべてしまう。それが相まって、答えがますます霧の中に隠れていく。俺は、何にそんなに引っ掛かっているんだ。
「ねえ、何でこんなこと聞くの?」
ユウナの困惑も尤もだ。かまを掛けるでもない直球の質問ばかり繰り返している。これでは誤魔化しのしようもない。
どこまでなら彼女に伝えてもいい?どういう言葉なら彼女は俺を信じてくれる?
俺は彼女にどう思ってほしいんだ?
「……軍がもしかしたら信用できないかもしれないって思って」
「どういうこと?」
「それは…」
口を開きかけた俺の言葉は、サラの泣き声にも似た悲鳴が押し留めた。
「-----ぁぁ」
「サラちゃん?」
異常を察知したユウナは、サラに駆け寄り、首筋に手を当てる。
「熱い、それに呼吸が荒い……」
「ぅぅぅ……ぁぁああ」
サラの様子はどんどん尋常じゃなくなっていく。何かに怯えるように、体を縮こまらせ、震えている。嗚咽は次第に声量を増していき、確かな音となって反響する。
「サラ、大丈夫か?」
「……ゎぃ」
「え?」
「怖い……モノが」
「どういう……」
――――アパレイユ二機の接近を確認。パイロットは至急、迎撃体制に移ってください。
それが、このことを指していたのかは分からない。必然にしてはあまりに都合がよすぎる偶然。サラは夢の中の何かに怯えていた。現実とは無関係な空想に過ぎない。ただそれだけだったはずなのに。
けれど確かに、怖いモノが来た。




