脈動 2
俺の部屋に行くということは、当たり前だけどサラのいるところへ向かうということだ。内心は決して穏やかじゃない。むしろ大荒れだ。心が荒んでいる。こんな心持ちでサラと向き合えるんだろうか。憂鬱だ。けれど、それすら気付かせてはいけない。サラにも、今隣にいるユウナにも。
「そういえば、サージの設計図って?」
食堂を出て暫くすると、ユウナがそんなことを聞いてきた。話している方が今の俺には心地よいので助かったが、何ともアバウトな聞き方である。俺が答えに窮しているのを察したのか、ユウナは続けて補足した。
「設計図、出来たの?」
「ん……まあ、出来たっちゃ出来た」
「……出来てるの、それ?」
「断片的にはね。纏めてないから分かりづらくて。それを放り投げていいなら完成って言っていいよ」
「つまり、もう少し頑張ってねってことか」
「そうだな。頑張るよ」
ユウナの台詞は他人事のようだったけど、それにはちゃんと理由がある。というか昔の記憶に照らし合わせると思い当たる。だからそこに不満を感じたりはしないんだが…
「でもよく思い付くよね。そういう細かいのどうも苦手で」
「ああ、お前、割りと大雑把だもんな」
予想通りの返答がきたので、俺もそれにならって返答する。するとお相手さんは、いかにも拗ねている、不満だ、というオーラを放ちはじめた。こんな反応は珍しい。昔なら大体、不満を表す前に手が出る。
「事実だけど……私も女の子なんだからさ、こう…言い方があるでしょ」
事実ならいいじゃないか。とか言ったら余計拗ねるんだろうな。そんな気の利いたこと期待されてもな……
「ん……ユウナはおおらかだもんな」
「……何か微妙」
「どうすればいいんだよ」
「おおらかって何か、太ってそう」
「偏見だろ……」
「むう」
そう言ってまたむくれるユウナ。心が弱っているからかそれを見ていると心にすきま風が吹く。ユウナを見ていると時々感じる郷愁の念。
いつかの焼き直しのような会話。暖かくてほんの少し寂しい。どうしたって思い出してしまうから悲しくて、だけど嬉しい。
どうでもいい会話をどうでもよく流している。それを続けていくと俺の部屋に辿り着いた。
扉の前に立ち、1度だけ深呼吸をする。何が起きても平静を保っていられるよう気持ちを引き締める。
「サラ、起きて---」
扉を開けて、奥のサラに呼び掛けた……つもりだったのだが、即座に俺が感じたものは何かに抱き締められる感触だった。
「イリア、いた」
何かというよりは、サラなのだが。これは一体どういうことなのだろうか。色々と処理すべき事象が多過ぎて、頭がパンクしそうだ。どうして急に抱きついてきたのかとか、傍で見てるユウナの視線が痛いとか。思考がぐるぐる回っている。えーと、まず早急に解決すべきことは……この柔らかな膨らみについてである。サラは意外と、ある。これは暴力的なまである。とにかく、何だってこんな隙だらけなのだろうか。俺が悪い男だったら大変だぞ。………何を考えてるんだ、俺?
「---ちょっとサラ」
ようやく冷静になりかけたので、サラの腕を解こうと体を捩る。あまり効果はないみたいでサラはちっとも動こうとしない。流石に見かねたのかユウナが横から助勢してくれた。
「あ、あのサラちゃん。イリア困ってるから」
ユウナに言われたからなのか、単に満足したからなのか、サラは素直に俺から離れてくれた。サラは俯いていて表情は読みとれない。対してユウナはとても冷たい表情で俺を見つめている。……あの怖いです。
「………起きたら、イリアいなかった」
サラの淋しそうな声を聞いて、漸く戯けていた思考が正常になった。ユウナもひとまず俺への無言の圧力は止めて、サラへと目を向けた。
正常と言っても、あの悶々とした感情が戻ってきただけだ。まともに見ようとしないと、サラと相対せない。それは正常ではないだろう。
顔を上げたサラの表情は、複雑だった。悲しんでいるともとれる。今にも泣いてしまいそうなほど脆く危うげな表情だと。しかしそれとは真逆に、何も感じていないともとれる。自分の感情を持て余しているとでもいいたげに。
これは、サラの変化なのだろうか。1日……たった1日だ。あれだけ感情に乏しいと感じていたのに、どうして今はこんなに多様な想いを受けとるのだろう。
ちらりとユウナの顔を盗み見る。ユウナは昨日と変わらない。俺に対する姿勢もサラに向ける表情も何も。今の言葉を聞いても、別段特別なものを感じたようには見受けられない。
だとすれば……いや、そんな消去法でなくとも。自覚がある。俺は俺自身が昨日と違うと自覚している。そんな心の変化が、俺に有りもしないものを見せるのかもしれない。だからこそ、俺は慎重にならなければならないと思った。普段通りをいつもよりも意識する。矛盾しているようだけど、そうでもしないとおかしなことをしでかしそうだった。あくまで冷静に、俺は一呼吸空けてから、ゆっくりと返答した。
「………悪かったよ。サラ寝てたし、すぐ帰ってくるつもりだったんだ」
「……………」
サラの表情は変わらない。変わっていないはずだ。それなのに俺に見えるサラは違う。納得していないことは分かる。だけどそれは何故だ。見た目通りの無機的な印象と相反する感情的な表情の捻れが大きくなる。見た目通りに受け取っていいのか。これは此方を欺くための演技なのではないか。混沌とした感情が心を渦巻く。
ただの深読みだ。だって現にサラの表情は無に"近い"。俺の心の揺れが幻想を見せているだけ。そう思いたいだけなのか、そもそも自分が何を考えているか分からなくなってくる。
部屋の中に沈黙が漂う。返答をすべき俺が何も話せないでいるために、空気は陰を帯びる。だって、この一幕だって本当は何でもないもののはずだ。人がいて、会話をして、何かを感じる。それだけのこと。たとえその内容が常軌を逸していたしても、それでも尋常の範囲を越えはしない。会話をしているという日常からはどうあっても抜け出せないのだから。サラという特別な存在を中心にまわる特異な当たり前。だからおかしさを感じるとしたらそこにだけだ。この会話に、異質さを感じるはずがない。感じてはいけない。そうでなければ、認めてしまうことになる。俺がサラという存在に疑念を抱いているということを。
「私がイリアを引き留めてたんだ。ごめんね、サラちゃん」
「……うん」
ユウナが助け船を出してくれて、ようやくサラから翳りが消えたように思えた。少なくとも俺の心は幾分、楽になった。
「…今度は一人で何処かに行くときは書き置きとかしとくよ」
「分かった………ねえ、イリア」
サラは、頼りなさげに俺の名前を呟いた。
薄れた陰が再び濃くなりはじめる。名前を呼ばれた条件反射で返事をしたから、今度は普通に返せたと思う。
「どうした?」
「イリアいなくなって、ずっと胸がモヤモヤしてた。でも今はそんなことない。これって…何?」
「それは…」
けれど、そう上手くもいかない。俺の心にもまた影が生まれる。モヤモヤを抱えている人間が他のモヤモヤの正体が分かるはずもない。だから黙るしかない。口を開けば出てくるものはきっと俺自身が抱えるそれだ。サラの言動は無意識に俺の疑念に結び付く。
俺の沈黙をユウナはどう受け取ったのか。願わくは、ただ答えが思いつかなくて困っていると思ってほしい。
「寂しかったってことじゃないかな?」
「さみしい…」
「イリアと一緒にいたいって思ってたんだよね」
「うん」
「なら、きっとそうだよ」
「……イリアといられなくてさみしい。そっか、私寂しかったんだ」
サラが、笑った。気がした。自分の気持ちを知れたことが嬉しいのだろうか。飲み下すように寂しさを胸の奥にしまっている。ひたすらに、それだけを。それ以外の何も感じさせない。
これを……これのどこに、何を、怪しめばいいのだろう。どうして、不安になるのだろう。サラはどこまでも純粋に、彼女の心に従っていると思う。その場で感じた気持ちが何か分からなくて、だから、それに従わざるを得ないんだ。分からないから、抗い方も、抑え方も知らないんだ。
そう思えたら、どんなに……
「……ごめんな」
何に謝りたいのか自分でも分からないまま、言葉が漏れた。心の内に潜む本心を吐露するように、どこに向けられるわけでもない謝罪をした。
「ううん」
「はい。話がまとまったところで、サラちゃん、お腹すいたでしょ?ご飯食べにいこ」
「うん、イリアも」
俺も行くと言おうとしたところ、ユウナに遮られた。
「ごめんね、イリアにはやらなきゃいけないことがあって。ご飯は二人で食べよう」
「イリア、忙しいの?」
やらなきゃいけないことなんかないはずだけど……どういうことだとユウナを見ると、そういうことにしときなさいと目で訴えてきた。
「え、…うん」
「分かった」
あっさり納得して、ユウナと二人で部屋を出る。
ユウナに理由を聞こうと思ったけど、それより先に
「イリア、自分の顔、鏡で見といて」
それだけ言って、ユウナは扉の向こうに消えていった。
「…………」
言われるがままに洗面台に向かう。鏡に写しだされるのはもう一人の自分だ。それは、現実の写し鏡なのか。精密なまでに照らし合わされた事実だと。それともあくまで虚像であるのか。歪に螺曲がった偽物だと。いずれにしても。
ひでえ顔。




