追想
物事を正常だと思うときはいつだろう。
目を覚ましたワタシはそんなことを考えていた。何しろ、いつもと違う目覚めだ。当然の如く通常では思いもよらないことを考えるだろう。
目下のところ、1番気になることは自分自身の体調についてだ。自分が正常だと思う瞬間はいつだろう。正常とは比較の上で成り立つ概念であり、それ単体で意味を為すものではないと思う。これは世の中の大半のことに適応できるだろう。悲しみがあるから喜びがある。絶望があるから未来がある。闇があるから光が際立つのだ。ようは、自分が真に正常だと感じるときはどうあっても自分が異常だと感じた後だということだ。自分に不具合を感じたときにこそ、今までの自分がまともだったと知れるのだ。だから今日のワタシは正常だと言える。いや、不調を知り、正常を知ったから、ようやく正常になれたというのが正確だ。身体に不全があるが、それ故に精神的には進歩した。そんな自分を感じると、かつての自分が思い起こされる。今までのワタシはどんなに平坦だったのだろう。何も感じないことが普通だった。ワタシは異常なまでに正常だった。それすら気付かないほどに。けれど、今は違う。ワタシは正常を自覚した。そして、これからも色んな普通を手に入れるだろう。それは喜ばしいことだろうか。今のワタシにはまだ分からない。物事は常に対照的な存在を予感させる。そう、何かを手にする代償に、ワタシはきっと、何かを失っているのだ。




