脈動 1
今日の目覚めはいつもとは違った。瞬時に透き通っていくはずの平時の思考が、今日は随分と鈍重だ。意識はクリアというには曖昧で、だからといってぼやけているわけではない。しかし、明確に分かるのはどこかしらに不調を感じているということだった。不備、というべきかもしれない。今のワタシはどこかしらの機能が麻痺ないし、欠損しているようだ。こんなことを感じるのは始めてだ。今までワタシが過ごしてきた目覚めは、決して当たり前ではなかったのかもしれない。そう思うと少し……
いつもなら、目覚めた後、すぐに行動を開始するワタシだったが、今日に限ってはそれが出来そうにない。今日に限って……けれど、ワタシはやるべきとこなど何一つ持ち合わせていない。だから本当は、目覚めが早かろうが遅かろうが、ワタシがいつまで眠っていようが、誰にも何にも問題はないのだ。ワタシはその、問題ないことを問題にしようと思ったことはないけれど、どうしてだろう。何故か、今は…いけない気がする。だけど、今は眠ろう。どうしたって体は動こうとしてくれないし、意識は目覚めてはくれない。
再び微睡んでいく意識の中、誰かに名前を呼ばれたような気がした。そういえば、これもいつもとは違うことだな。
俺は結局、あれから一睡もできず、悶々とした夜を越した。宇宙にいるのだから昼夜の概念なんて無いのと同義なのだが、10数年も体に染み付いている感覚だから仕方がない。
この夜、サラを直視することが出来なかった。だけど、思考の内にサラがいないことはなかった。見ないように、忘れようとするほど、へばりついた疑念は晴れてはくれなかった。むしろ色濃く不安は表象して、何度部屋から出ようとしたことか。不安を振り払うようにアパレイユの設計図解析、並びに新型サージの設計図作成に勤しんだ。結果は、それほど芳しくない。時間を費やした割りに集中できてないのだから、それも当たり前だけど。ただ、分かったこともある、サージに適用できる点も幾つか見付かった。これを軍の上層部に伝えれば、新型のサージが創られることは間違いない思えた。今の時刻、標準時5;30……少し早いけれど、朝食にしよう。何か食べれば少しは眠れるかもしれない。
椅子から立ち上がるとき、クラっと目眩を感じた。どうあれ徹夜は身体に堪える。それに加えて、心にも負荷がかかってるときた。誰に見られたって悩んでいますって雰囲気を醸し出しているから、あんまり人には会いたくない。急いで食べて、帰ってこよう。眠い身体に、昏い心を引き摺って俺は部屋を出た。
適当にメニューを選んで、無心で食べ続ける。途中、胃液が上がってきて、気持ち悪かったが、水で無理矢理流し込んだ。腹が満たされると、多少なりとも余裕で生まれた気がする。勿論、気のせいだが。
しかし、少量の満足感と同時に大量の眠気が襲ってきた。身体のアラートは律儀に働いてくれるもんだ。食欲の次は睡眠欲らしい。眠れることに関しては万々歳なわけだが、ここで寝たら誰にみられるか分かったもんじゃない。何とか椅子から立ち上がろうと意識を集中させるが、拡散して解れていく意識はどうあがいても絡めとれそうにない。……少しだけ仮眠をとって、それから部屋に戻れば、大丈夫かな。一瞬の油断は致命傷となり、睡魔をその隙を見逃さず、敢えなく俺は食堂で眠ることになった。
いつだったか、小さい頃ユウナと俺と、ルナの3人で遊んでいた頃にルナに聞かれたことがあった。確かあの時は、ユウナがトイレに行っていて、俺とルナの2人だったと思う。ユウナを待ちながら、何をしていたか覚えていないけど、2人で笑っていたところに、ふとルナが言ったのだ。
「ねえ、イリアにはたいせつな人いる?」
「なんだよ、きゅうに?」
「いいから。これはすごーくまじめなはなしなの」
「おれは」
おれはーーーーー
あの時、何と答えたのだったか。
「たいせつな人とずっといっしょにいられるおまじないがあるの!」
ああ、そうだ。ルナは嬉しそうに言っていた。これで大切な人とずっと一緒にいられると。それを、俺は
「そんなのやらない!!」
「……」
どうして、俺はあんなことを言ったんだろう。もう、そんな細かい記憶はなくなってしまったけど、きっと酷いことを言ったはずだと、何となく引け目だけは感じ続けているんだ。
「おまたせーー!」
そこにユウナが帰ってきて、泣いているルナを見て、俺はユウナに凄く怒られた。俺は全く反省していなくて、むしろ俺を怒るユウナにさえもムカついていたと思う。当時はただ腹が立った出来事だったけど、今となっては後味の悪い出来事になっている。そう思い始めたのも大分時間が経ってからで、3人の間に確執が生まれたわけでもなかったから流していた。
そして、思い出した。あの後どんな経緯だったかは覚えていないけどユウナとだけはそのおまじないをしたんだ。ルナには内緒で。2人だけの秘密だと言って。
今になって思うことは、もし……もし本当に、おまじないみたいな奇跡があるのなら、あの時ルナの言っていたように3人でおまじないしていたら、奇跡はルナを救ってくれたのだろうか、と。
そんな奇跡があるのなら、今、俺にとっての大切な人は誰だろう。そう思ったのだ。
「がっ!!」
瞬間、体が宙に浮いた感覚に襲われ、目が覚めた時には地面に倒れていた。
「おはようございます。イリア三等兵。快適な睡眠をとれましたか?」
顔を上げると、ユウナが腰に手をあてて、澄ました顔で立っていた。片手が塞がってるっていうのによくこんなに活発に行動できるな……起こすためとはいえ、座っている椅子を奪わなくたっていいじゃないか。
「ええ、お陰様で目覚めは良好ですよ。少佐殿」
一番見られたくなかった人に見られてしまった。どうしたものかな。
「それは結構です……で、何でこんなところで寝てたの?」
「何でって……」
理由ははっきりしてる。けど、これをユウナに伝えるべきだろうか。ユウナは、サラの保護に協力してくれると言ってくれた。でもそれは、ユウナにとってサラが守るべき一般人だからなのではないか。ユウナは軍人で、多くの力なき人々を守るために戦うと決めた。その意志はきっと何よりも強い。戦うことを嫌っていたユウナにそう決意させるほどの強さがかつて、俺の知り得ないところであったのだ。なら、もしサラが人々の"敵"であったのなら、ユウナは……
「……新型サージの構想を練ってたら、いつの間にか朝になっててさ。寝不足なんだよ」
嘘はついていない。確かに俺はサージの設計図を描いていたいたし、現に寝不足だ。そうするしかなかった本当の理由を隠しているだけだ。
「研究熱心ね……ほどほどにしなよ」
感心と心配。どちらも偽りのない感情だった。だから、心が痛い。ユウナには嘘をつきたくないと思わせるほど。
「そういえば、子供の頃の話なんだけど」
あまり、この話を引き伸ばされても困るから、さっさと話題の転換を図る。あまり、ユウナは子供の頃の話をしたがらない節がある気がする。今だって、ちょっと眉根が動いた。それで、少しだけたじろいでしまった。
「何?」
「えっと…覚えてるか?昔、おまじないみたいことやったの」
「おまじない?どんな?」
「ずっと、一緒にいられる…みたいな」
「………ああ、うん。覚えてるよ。それがどうしたの?」
「あれってどうやるんだったけなって思って」
「随分急ね。……ああ、もしかしてサラちゃんとしたいってこと?」
「いや、そんなに考えて喋ってたわけじゃないから…そういうつもりじゃなかったよ」
突然、サラの名前が出たもんで、つい否定してしまった。守りたい人の中で、サラは確かに大きな位置を占めている。それを見透かしてか、ユウナは意味ありげにこちらを見つめている。
「ふーん」
「で、やり方覚えてるのか?」
「ま、まあ……一応」
何だか微妙な反応だな。記憶が曖昧で自信がないとかではなく、恥ずかしがってような。そんなに変な内容なのだろうか。どうしても聞きたいわけでもないし、それとなく言わなくても大丈夫な返事にしておくか。
「何だよ。歯切れが悪いな。覚えてないなら別にいいぞ」
「覚えてる。覚えてるよ。……けど」
「けど?」
ユウナは黙って下を向いて、口をモゴモゴしてる。
そんなに言いたくないなら本当に言わなくてもいいんだぞ……?
「…………キスよ」
「え?」
「だから、キス。お互いに頬にして、その後唇……」
「なるほど。確かにそれは……」
いくらサラが、何というか貞操観念に疎いからといってキスを迫ってはヤバいとかそういう話じゃなくなってくる。何がヤバいってキスをしようと言ったら躊躇いなくサラがしてくれそうなところなんだよな……けど、するかどうかはさておき……いや、しないけど、ユウナが別に恥ずかしがることではないと思うが……
「さっきからお前、様子変じゃない?」
「な、何が?」
「今だって、動揺しただろ?」
「……不覚」
何キャラだよ…
「何でそんなに動揺してるんだよ?」
「……深い理由はないわ」
「そんな深刻そうに言われてもな」
ユウナはさっきからずっともじもじしている。不必要に顔をキョロキョロさせるし、目も泳いでる。
「だって…」
「………??」
「始めて、だったから……思い出して」
「……え?」
「だから!子供の時にしたおまじないが…私の始めてで、それ思い出して、ちょっと恥ずかしくなっただけ……それだけ!」
「え、、あ、うん」
「………なにその反応」
「……反応に困る」
「だよね……ごめん。何でこんな意識しちゃってるんだろ」
気持ちを落ち着けるように、一呼吸置いてユウナは続けた。
「……それにしてもよく思い出したわね。てっきり忘れてるのかと思ってた」
「まあ、な。俺もさっきまで忘れてたよ」
「ふーん」
「お前は覚えてたのかよ」
「まあね」
「…そっか。ごめん」
「………はあ、いつも見当違いのところで謝るんだから」
「え、何?」
「こっちの話。やっぱりイリアなんかにファーストキスをあげたのは勿体なかったなって」
「む。流石に凹むぞ、それ」
「凹めばいいんじゃないの」
怒ったかと思えば、心配してくれて、急に恥ずかしがって、凹んだかと思えば、また機嫌が悪くなる。この理不尽さがユウナらしさだと思っているのだがユウナから言わせれば、大体イリアのせい、らしい。その、俺が何をしてしまっているのか分かってない辺り、やっぱり俺のせいなのかもしれない。分かんないから理不尽に感じているんだけど。
「ふふ」
「何で笑ってんのよ」
「こっちの話だよ」
「………何それ」
「お返しだよ」
「はあ……もうこの話終わりでいい?」
「あ、ああ。いいよ」
もう1つ聞きたいことがあったけど、ユウナの様子を鑑みるに、そろそろ切り上げた方がいい。また聞く機会はあるだろうし、次回に持ち越しということにしよう。
「そういえば、サラちゃんは?まだ寝てるの?」
「多分。俺が部屋を出るときは少なくとも寝てたと思うよ」
「そう。起きたら、着替えさせてあげないと」
「サラって一人で着替えられないのか?」
「まあね。昨日も結構手こずったんだから。スカート頭から被るし、袖から頭出すし」
「それは……」
服をはじめて着る子供そのものというか。スカートを被ってるサラをちょっと見てみたかったというか。
何にせよ、日常的な知識はやっぱりほとんど無いと言ってもいいみたいだ。
「もう、8時か。イリアの授業もあるし、これからそっちの部屋に行ってもいい?」
「ああ、いいよ」
立ち上がったユウナに続いて、俺も立ち上がろうとして
「---あ」
立ち眩みを起こして、ユウナに支えられるかたちになってしまった。
「ちょっとイリア、ホントに大丈夫?」
「悪い悪い。根詰めすぎちゃって」
ユウナの手をほどきながら言った。ユウナは不満そうに少しだけ冷たく言った。
「そんなんじゃ、いざってときに動けないわよ」
「分かってるよ」
「分かってないわよ………ほら行くよ」
そう言って手を掴まれて、ユウナに連れられるように食堂を後にした。いつかの思い出を呼び起こす。たしなめるように寄り添う優しい手。すぐにその手はほどけたけれど、確かにユウナの感触が伝わってきた。ユウナの言葉が、語調が少し冷たかったからか、その手の温もりはより一層俺の体に染み入った。……僅かな痛みを添えて。




