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色を斬る母「白嶺」  作者: 雨-Ame-
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第93話「語られる輪郭」

無月は、壁に寄りかかったまま、短い沈黙のあとで口を開いた。

「加藤白嶺は、虹結という家の人間です。色を封じる器を輩出する家で、彼女は長女として、器の役目を負わされていました」

美咲の目が、大きくなる。器、色、家。——単語の一つひとつが、現実の会話としては重すぎる。無月は感情を乗せない声で続ける。

「器は、感情を極端に制限される。本気で笑うな、泣くな、恋をするな、子を成すなら家の管理下で——そういう掟がある。白嶺様は、それを破った。好きな人ができて、子供を産んで、家を出た。封印が崩れることも、わかったうえで選んだ、と」

美咲は、自分の膝の上で指を強く組んだ。

掟。器。封印。——ドラマの設定みたいだ。小説の話みたいだ。現実の、会社で一緒に働いている加藤さんの話としては、どうしても信じ難い。だが、向かいに立っている女の表情は、この話を冗談では片付けさせてくれない。目が、真剣で、疲れていて、それでも嘘をつかない顔をしている。美咲は、その顔に負けて、言葉を飲み込んだ。

「……子供は、そのときの」

「彩華様です。今、奥で休んでいます」

息を呑む。以前、この家で子供の存在を知ったときとは、意味が違う。ただのシングルマザーではなく、家の掟を破ってまで産んだ娘だという話になる。信じ難い。信じ難いのに、女の声が、淡々と事実だけを置いてくる。

「持ち出した刀がある。家にとっては返却必須の品で、彼女はそれを返さない。家はしばらく、彼女と娘を回収しようとしていました。今は、一度退いた状態です」

「戦って、いるんですか。加藤さんは」

無月は一瞬だけ黙った。

「……似たようなものです。彼女が一人で、何かを斬り続けている。詳細は、話しません。話せば、あなたが巻き込まれます」

美咲はソファの端で、俯いた。頭が、追いつかない。白い髪が生まれつきであることは聞いていたがどこか信用していなかった。ましてや、子供がいること。家があること。掟を破って出たこと。刀があること。何かを斬り続けていること。——加藤さんの「普通」が、音を立てて崩れていく。現実の話とは思えない。思えないのに、この部屋の空気も、壁の刀も、女の表情も、全部が「本当だ」としか言っていない。

「……なぜ、教えてくれたんですか」

「あなたが、嗅ぎつけるタイプだからです。隠して帰せば、別の形で近づく。なら、最低限を出した方が、彼女の迷惑にならない」

無月の声は、冷たいままだった。美咲はそれを、拒絶だとは感じなかった。この女もまた、加藤さんを守ろうとしている。恋ではない。別の、硬い決意だ。

「私は……加藤さんのことが、好きです。叶わないとわかっていても」

「知っています。目を見れば、わかります」

美咲は顔を上げた。無月はすでに視線を逸らしている。これ以上の生い立ちの話は、しないという態度だ。美咲は立ち上がり、鞄を抱えた。頭の中が、白い髪と刀と、掟と、娘の名前で、いっぱいだった。ドラマの話だと思いたかった。思えないまま、靴を履く。

ドアの前で一度だけ振り返ると、無月は同じ場所に立ったままだった。輝かない刀が、壁に立てかけてある。

無月が、短く息を吸った。目が、美咲をまっすぐ捉える。

「我々は、白嶺様の盾です。命に変えても、身体は守ります。斬るものからも、奪うものからも、守り切る」

美咲の手が、ドアノブの上で止まる。

「でも、心は守れない。彼女は、そこが一番、下手で、一人で抱え込む。だから——」

無月の声が、初めて少しだけ熱を帯びた。

「佐藤...いや美咲さん。あなたは、すでに彼女の心に届いている。だったら、その想いに素直に向き合ってください。叶わなくてもいい。見てるだけでもいい。ただ、彼女の心が一人にならないように、寄り添ってあげてください。私たちには、それができないので」

美咲は、何も言えなかった。喉が、詰まる。無月の声は、相変わらず平坦なのに、今夜いちばん、必死だった。恋ではない。それでも、白嶺を守りたい人間の、本気の振り分けだった。美咲は深く頭を下げ、目の奥が熱くなるのを感じたまま、外に出た。

階段を下りながら、美咲はおでこに触れた。感触は、もうない。なのに、「大好き」という言葉と、いまの無月の声が、重なって残った。加藤さんが、どれだけのものを抱えて生きているのかは、まだわからない。現実だとも、ドラマだとも、結論が出せない。出せないまま、美咲は夜の風の中を、一歩ずつ歩いた。

心に寄り添う——それが、自分にできる唯一の守り方だと言われた気がした。


白嶺が帰宅したのは、その直後だった。

玄関で靴を脱ぐと、他人の気配の残りが薄い。無月がリビングから顔を出す。

「……会社の同僚が、来ました。佐藤、という」

白嶺の手が、靴の紐で止まる。

『何を』

「秘密を、最低限、話しました。生い立ちの輪郭だけです。戦っている詳細は、出していません」

白嶺は立ち上がり、無月を見た。怒りは、すぐには来ない。残響のせいもある。ただ、重い。

『……わかった。次は、勝手に話すな』

「はい。申し訳ありません」

白嶺はそれ以上追及しなかった。追及しても、すでに話した事実は戻らない。美咲が何を思ったか、どう変わるかは、明日以降にわかる。白嶺は壁に背中を預け、短く息を吐いた。

休園の手続きは、終わった。

美咲に、輪郭を知られた。

黒は、まだ来ない。

白嶺は自分の手を見てから、彩華の部屋の方へ歩いた。娘の寝顔を確認して、ようやく肩の力が、少しだけ抜けた。

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