第88話「白い女」
白い気配が、明確な形を持った夜、白嶺は外に出た。
無月に彩華を預け、残虹を帯びる。髪が虹色に変わるのを確認してから、ドアを開けた。残響はまだ完全には引いていない。それでも、待たせれば何かを消される。白嶺は夜の街を、白い匂いのする方へ歩いた。
気配の元は、古い図書館の裏手だった。人通りがなく、街灯も遠い。そこに、一人の女性が立っている。年齢はわからない。白い服を着て、白い髪を下ろし、手元に何も持っていない。表情は穏やかで、赦すように微笑んでいた。
白嶺が近づくと、女性が顔を上げた。瞳が、白紙のように澄んでいる。
「……消してあげましょうか」
声は優しく、汚れたものを清めるような温度だった。
『シロユル』
「はい。苦しみも、後悔も、忘れたい過去も、白くできます。あなたも、抱えているでしょう。色の残響も、母の言葉も、斬ってきたものたちの感触も。……全部、消してあげましょうか」
影が足元から広がり、白い霧のようなものが立ち上がる。女性の背後に、大きな、何も書かれていない頁のような形が開く。消去の霊だ。
『消さない。自分で抱える』
「意地を張らなくてもいいのですよ。白紙の方が、楽です」
白嶺は残虹を抜いた。刃が、白い霧に吸われるように光を失いかけ、すぐに戻る。
『……あなた、掃除屋さん? ちょっとやりすぎなクリーニングね』
「クリーニング、ではありません。赦し、です」
シロユルは丁寧に訂正し、白い手を伸ばしてきた。触れたものを、記憶ごと薄くする感触がある。白嶺は体をひねり、切っ先でそれを断った。白い断片が散り、すぐに夜に溶ける。
間合いを詰めようとした、そのときだった。
路地の遠くに、人の気配がする。白嶺は意識の端でそれを拾った。悠人だ。なぜここにいるのかはわからない。だが、虹色の髪に黒い着物、刀を構えた自分の姿が、遠目に入っている。
白嶺は説明している暇がなく、白い霧の中へ踏み込み直した。
悠人の視線が、背中に残る。次に振り返ったときには、もう人影はなかった。見失ったか、自ら退いたか。
白嶺は残虹を構え直す。
白い女が、赦すように微笑んだまま、次の手を伸ばしてくる。
決着は、ここからだった。




