第82話「最強の刃」
残響が、完全に引く前に、相手は来た。
無月が先に気配を察知した。窓の外ではない。玄関の前だ。刀の気配が、重く、深く、間違いない。試客のレベルではない。家の、頂点に近い刃だ。
「……白嶺様。来ています」
白嶺は布団から起き上がった。立ちくらみがする。全色の残響は、まだ身体の芯に残っている。それでも、残虹を手に取った。着物に袖を通す暇はない。今の装いのまま、玄関へ向かう。無月が眩虹を帯びて、後ろに続く。
ドアを開けた先に、女が立っていた。
白い髪。白い装束。月明かりの下で、雪のように静かに佇んでいる。腰に、滅虹。虹結家に伝わる三振りのうちの一振りであり、最も沈んだ光を持つ刀だ。それを帯びて立っている女の顔を、白嶺は見て、短く息を吐いた。
『……やっぱり、あなたか』
虹結・黒花。
白嶺の母であり、虹結家最強の剣士。器としての能力は、すべて娘に渡した。封印を安定させる力も、色を孕む器量も、もう持っていない。その代わりに残ったのが、剣だった。家の誰よりも速く、誰よりも深く、同じ虹結流の型を極めた人。実質的な家の頂点が、自らここまで来ている。
無月の顔から、血の気が引いた。
分家の人間なら、誰でも知っている名前だ。直接お目にかかるなど、想定していなかった。言葉が出ない。恐れが、先に身体を硬直させる。眩虹の柄を握る指が、白くなる。
黒花の目が、白嶺を捉えた。感情は少なかった。それでも、母の目ではあった。
「白嶺。残虹を返してもらう。彩華も、連れて帰る。あなたは、ここで終わりにする」
声は低く、役目を果たす人間の声だった。
『断る。刀も、娘も、渡さない』
「想定通りよ」
黒花は滅虹を抜いた。刃が、夜の中で淡く光る。残虹とも眩虹とも違う、沈んだ光だ。白嶺は残虹を構え、無月が震える手で隣に並ぶ。満身創痍の身体に、残響が小さく疼く。
『無月。下がっていてもいい』
「……下がりません。彩華様を、守る使命が」
声が、掠れている。黒花の目が、無月を一瞥した。分家の失敗作、とでも言うような視線だったが、すぐに白嶺へ戻る。
「同じ流派の刃を、娘に向けることになるとはね。あなたが家を出てから、ずっとこの日を想定していたわ」
『あなたの刃を、私が止める。母上』
白嶺は踏み出した。
残響で鈍った身体を、意志で引きずるようにして。黒花の滅虹が、静かに構える。母の刃は、容赦がなかった。
最初の一合が、夜に火花を散らした。




