第77話「同期」
美咲が同期会に顔を出したのは、久しぶりだった。
部署が違う同期たちが、駅前の居酒屋に集まっていた。入社当時はよく飲んでいたが、ここ一年は仕事を理由に断り続けていた。今夜は、なぜか足が向いた。加藤さんの「大好き」という言葉が、頭のどこかに残っているせいかもしれない。何も覚えていない夜の、唯一の残り香が、人の温もりを求めてしまった。
席に着くと、すぐに声が飛んだ。
「美咲じゃん。久しぶりすぎる」
「仕事忙しいって、本当だったんだ」
美咲は笑顔で応対しながら、向かい側の席に目を止めた。石川奈々が、手を振っている。営業の同期で、会えばいつも仲良く話す相手だ。社内では美人で通っていて、今日も落ち着いた色の服を着て、周囲の視線を自然に集めていた。
「奈々ちゃん、久しぶり」
「美咲も、元気そうでよかった。最近、顔色いいね」
二人はグラスを合わせ、他の同期の話に軽く混ざりながら、自然と二人だけの話題に落ちていった。仕事の愚痴、上司の話、部署の異動の噂。しばらくして、奈々が笑いながら言った。
「ねえ、美咲は今、好きな人いるの?」
美咲の手が、わずかに止まった。
「……いる。でも、叶わないってわかってるから。見てるだけで、いいと思ってる」
「それ、すごく消極的だよ。好きなら、もう少し自分から動いてもいいんじゃない?」
「動けないの。相手が、遠すぎて」
美咲は笑ってごまかした。奈々はそれ以上は追わず、自分のグラスを傾げる。
「奈々ちゃんは?」
「私も、いるにはいるよー」
「やっぱり。奈々ちゃんみたいに美人だったら、私ももう少し素直になれるのかな」
「美咲は美咲でいいよ。ただ、見てるだけって決めるのは、まだ早いと思うけどね」
奈々の声は優しかった。だが、その目の奥に、自分の「いるにはいる」相手のことが、少しだけ影を落としているのが美咲にはわかった。誰なのかは聞かない。聞かれたくない話を、自分も抱えているから。
同期会は、その後も穏やかに続いた。
美咲は帰り際、奈々と改札で別れた。
「またすぐ会おう」
「うん。次は私も誘うね」
奈々の背中が、人混みに消えていく。美咲は自分の胸の奥に残る白嶺の声を、もう一度だけ確かめた。叶わないとわかっている。見てるだけでいい——そう自分に言い聞かせても、今日の奈々の言葉が、小さく刺さっていた。
(……もう少し、自分から動いてもいいのかな)
答えは出ないまま、美咲は夜のホームに立っていた。




