第71話「絡む糸」
美咲の変化は、翌日からさらに明確になった。
朝の挨拶が、以前より長い。白嶺の席に来る用事が、増えている。必要のない確認を、何度もしてくる。白嶺が他の社員と短く話していると、美咲の視線がすぐにそこに向く。熱くて、甘くて、離れたくない、という色が混じっている。
藍の静けさが残っている白嶺には、その熱がいつもよりはっきり感じられた。境界が曖昧な分、他人の感情が内側に滲みてくる。美咲の執着が、桃色の糸のように、自分の周囲に絡みつき始めている。
昼休み前、玲奈が美咲の席に寄っていった。
「ねえ、最近ちょっと変よ。加藤さんのことばかり見て。いい加減にしなさいよ」
美咲は画面から顔を上げた。目が、以前の美咲ではなかった。穏やかで、しかしどこか遠く、熱を帯びている。
「加藤さん以外に、どう思われてもいいです」
声は静かだった。怒りでも反発でもない。ただ、事実を述べるように言った。玲奈の顔が、強張る。
「……はあ? 何言ってるの」
「本当に、いいんです。加藤さんだけ見ていてくれれば」
玲奈は何も言い返せなかった。美咲の目が、正常な嫉妬や憧れの熱ではないことを、肌で感じたからだった。玲奈は一歩引き、「勝手にすれば」と短く吐き捨てて席に戻る。手が、わずかに震えていた。
白嶺は、その一部を見ていた。桃色の気配が、美咲の内側で本格的に紡がれ始めている。放置すれば、彼女を繭に閉じ込める。斬るなら、早くなければならない。
帰宅後、白嶺は玄関で靴を脱ぎ、壁に寄りかかった。
無月がリビングから顔を出す。彩華はすでにベッドにいるらしい。
「おかえりなさい。彩華様は、先ほど休まれました。変わったことはありません」
『そう』
「……白嶺様の方は? 顔色が、少し悪い」
『気のせいよ。少し、残っているだけ』
無月はそれ以上聞かなかった。聞かない代わりに、湯飲みを一つ出して白嶺の前に置く。白嶺はそれを受け取り、床に座った。刀を置いた身体は、今日もだるい。藍の静けさと、美咲から受け取った桃色の熱が、胸の奥で混じっている。
『無月。しばらく、夜に出ることが増えるかもしれない』
「承知しています。彩華様は、私が守ります」
『頼む』
短いやり取りだった。白嶺は湯飲みを置き、天井を見た。桃色の糸が、すでに美咲の内側で濃くなっている。藍が残っているうちに、次が来ている。間を置く余裕は、なさそうだった。
白嶺は目を閉じ、自分の境界を測った。まだ、持てる。まだ、斬れる。
彩華を守るために、次の色も、斬る。




