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色を斬る母「白嶺」  作者: 雨-Ame-
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第70話「桃色の火種」

藍の静けさは、朝になっても完全には引いていなかった。

白嶺は彩華を抱き上げる動作が、半拍遅れる。境界が曖昧なまま、世界の輪郭が少しだけ柔らかい。秘密を誰かに預けたくなるような、軽い穴が胸の奥に残っている。白嶺はそれを意識的に閉じようとしながら、支度を終えた。

無月が彩華を受け取る。短い報告と、短い会釈。白嶺はそれを確認してから家を出た。刀を置いたあとの身体は、今日も少しだけだるい。

会社に着くと、そのだるさとは別の熱が、すぐに近づいてきた。

美咲だった。

「加藤さん、おはようございます。昨日、少し早く帰られましたよね。大丈夫でしたか?」

『大丈夫よ』

「本当に? ……よかった。私、加藤さんのこと、ちゃんと見てますから」

言葉の端に、熱がある。以前の心配や期待とは違う。自分のものを確認するような、独占の熱だ。白嶺は短く頷いて席に向かった。美咲の視線が、背中に張りつく。藍の静けさの中で、その熱がいつもより鮮明に感じられた。

午前中、白嶺が資料を取りに席を立ったとき、美咲も一緒に立ち上がった。必要のない距離だ。白嶺が止まると、美咲も止まる。目が合った瞬間、美咲の瞳に、桃色の何かが揺れた。

「……加藤さん以外、いらないって、思うこと、ありますか?」

突然の言葉だった。美咲は自分で言ってから、顔を真っ赤にして視線を逸らす。

「い、いえ、何でもないです。すみません」

白嶺は何も答えなかった。答えられないうちに、美咲は自分の席に戻っていく。胸の奥で、藍の静けさと別の、甘くて絡みつく気配が重なった。

(……桃)

名前は、まだ呼ばない。呼ばなくても、わかった。美咲の内側で、何かが本格的に動き始めている。慕いと憧れと、一瞬見えた独占欲が、色の入口になっている。

白嶺は書類を抱えたまま、静かに息を吐いた。

藍が残っているうちに、次の色が来ている。間を置く余裕は、なさそうだった。

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