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色を斬る母「白嶺」  作者: 雨-Ame-
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第64話「ぼんやりした夜」

玲奈は、あの長く休んだ期間のことを、うまく思い出せなかった。

熱があった気がする。夢を見ていた気がする。誰かに理想を見せられて、追いかけて、憎んで——その先が、白い霧の中にある。はっきりしているのは、最後に「加藤白嶺」の気配があったことだけだ。助けられた、という感覚がある。なぜ助けられたのか、どう助けられたのかは、わからない。ただ、戻ってきたあと、以前のように加藤を見るたびに胸が熱くなることが、なくなっていた。

嫌いは、嫌いだ。口も、立つ。

だが、執着の熱だけが、抜け落ちている。

玲奈は自分の席で書類を整理しながら、遠くから白嶺の後ろ姿を見た。特別な感情は湧かない。ぼんやりした夜の記憶だけが、時折、夢の端に残る。

(……助けられた、んだよな。多分)

それ以上は、追わなかった。追えるほど、記憶が残っていなかった。


同じ頃、白嶺は社内で、また薄い喪失感を覚えていた。

誰かに話した気がする。大事なことを、そっと置いてきた気がする。内容は思い出せない。相手も、わからない。藍の気配は、昨日より少しだけ濃い。眠りの端で、誰かがこちらの内側を覗いているような感触がある。

『……面倒ね』

独り言は、誰にも聞こえない。白嶺は書類に印をつけ、次のページをめくった。


夜、白嶺が帰宅すると、無月が彩華を抱いてソファに座っていた。

『今日の報告は』

「特に何も。食欲はある。夜の泣きは少ない」

『上出来ね』

白嶺は鞄を放り出し、そのまま床に座り込んだ。スーツのまま、背中を壁に預ける。無月が眉を寄せる。

「……着替えろ」

『あとで。今日は会議が三つあった。肩が終わってる』

「白嶺様は、刀を持っていないとき、本当にだらしない」

『取引だ。文句は、彩華を見ていろの範囲外』

無月はため息をつき、彩華をベッドに移してから、白嶺の鞄をどかした。湯を沸かす音がキッチンからする。白嶺は目を閉じたまま、その音を聞いていた。刀を握っていないときの自分を、無月は露骨に「だらしない」と言う。否定しなかった。事実だったから。

藍の気配は、家の中にも薄く残っている。

秘密を預けたくなるような、眠りの端の感触だ。白嶺はそれを、意識の端で測りながら、今日は早く床に就くことにした。

次の色は、もう近くまで来ている。

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