第59話「土と光」
クチツチは、無月を飲み込んだまま、白嶺に向き直った。
土の腕が複数伸びる。重い。遅いが、一度捉えれば離さない感触だ。「もう立たなくていい」という誘いが、足元から直接上がってくる。白嶺は残虹を振り、腕を断ちながら間合いを詰めた。無月の気配が、異形の内側で弱く残っている。まだ、完全には消化されていない。
『返せ。その子を』
「光を、食べているところなのに。邪魔しないで」
クチツチの声は、依然として優しく、疲れていた。白嶺は歯を食いしばり、刃を走らせる。浅い斬撃では届かない。本体の核は、土の層の奥にある。無月を傷つけずに、それを断たなければならない。
影が地面を覆い、白嶺の足首を捉えにかかる。白嶺は踏み込みを変え、残虹を正眼に構えた。刃の先から、虹の光が溢れ始める。
【 花無垢 】
刀身を中心に、虹色のオーラが広がった。
クチツチの土の体が、外側から崩れていく。ひびが走り、腕が折れ、大きな目が光に焼かれる。その内側から、無月の姿が土くれとともにこぼれ落ちた。
「……また、封じるの。休めば、楽になれるのに」
『休んで、何も残らないなら、いらない』
光が収束する。
クチツチの気配が、消えた。
無月は地面に倒れ、浅い息を繰り返していた。意識はないが、生きている。白嶺は近づき、脈を確認する。問題はなさそうだった。だが、安堵する暇はない。胸の奥に、低い安息が流れ込んでくる。立たなくていい、という感覚が、優しく、しかし確実に、白嶺の意思を沈めようとする。
白嶺は自分の太ももを強く掴み、感覚を残した。
無月をここには置けない。家の人間が、すぐに嗅ぎつける。
白嶺は無月を背負い、夜の道を戻った。
仮の場所に下ろし、最低限の処置だけして、その場を離れる。長く関われば、無月をさらに危険に晒す。家は、失敗した手練れを、簡単には許さない。
無月が目を覚ましたのは、それから数時間後だった。
見知らぬ天井。体が重い。眩虹は、傍に置いてあった。白嶺が回収して、置いていったらしい。無月は上体を起こし、自分の手を見た。土の感触が、まだ爪の間に残っている。
失敗した。
白嶺を斬れず、残虹を回収できず、色の霊に飲み込まれた。家に戻れば、どうなるかわかっている。分家の長女で、器にもなれず、与えられた使命すら果たせなかった人間に、居場所はない。
無月は眩虹を鞘に戻し、ゆっくりと立った。
行く宛が、なかった。白嶺の元へ行くことも、許されない。家に帰ることも、できない。
夜の風が、窓の隙間から入ってくる。
無月は何も言わず、暗い部屋の中に立ち尽くしていた。




