第49話「三振り」
虹結家には、色の霊を封じるために鍛えられた刀が三振りあった。
残虹、滅虹、眩虹。
いずれも家に伝わる封印の刃であり、器と対になることで真価を発揮する。中でも残虹は、三振りの中で最も刃渡りが長く、刀身に独特のクセがある。扱いづらいとされ、歴代の使い手も限られていた。だが、長身の白嶺にはその長さとバランスが合った。最も使いやすい一振りだったからこそ、家を出るとき、白嶺は迷わず残虹だけを選んだ。
残る二振り——滅虹と眩虹は、今も家の手練れが帯びている。
もし、その手練れたちが残虹を取り戻すために動くなら、それは監視や通告の段階を超える。白嶺は、娘を守るだけでなく、刀を巡る直接的な衝突にも備えなければならなくなる。
そのことを、白嶺は会社の休憩時間に、改めて意識していた。
書類の数字を追う目が、一瞬だけ虚空を泳ぐ。残虹は、今も引き出しの奥にある。返すつもりはない。だが、家が本格的に手練れを投入してきたとき、残虹一本でどこまで抗えるのか。答えは、まだ出せずにいた。
美咲が席の近くまで来て、小さな声で話しかけてくる。
「加藤さん、お疲れですか? 少し顔色が……」
『大丈夫よ』
「本当に? 無理しないでくださいね」
白嶺は短く頷いた。美咲の心配は本物だ。だが、三振りの話も、家の手練れの話も、彼女には関係ない。関係させてはいけない。
悠人が廊下の向こうを通り過ぎる。目が合った。軽く会釈を交わし、すぐにそれ以上の関係は作らない。給湯室の一件以来、彼の視線が少し変わっていることはわかっている。それでも、今は深く追えない。
退勤後、白嶺は彩華を迎えに行く道で、いつものルートを外した。
監視の気配は直接感じない。だが、家が動いている以上、油断はできない。滅虹や眩虹を帯びた人間が、いつ街に現れるかわからない。残虹を取り戻し、彩華を次の器に据える。そのための準備が、すでに始まっている。
白嶺は娘を抱き上げ、小さい手が髪に絡む感触を確かめた。
『……返さない』
短く、心の中で呟く。
刀も、娘も、どちらも渡すつもりはない。
だが、家が本気で手練れを投じてきたとき、自分にどれだけの覚悟があるのか。
白嶺は、その問いを、今日はじめて真正面から見据えていた。
夜の空気が、肌に冷たい。
色の気配は遠い。家の影は、近い。
白嶺は娘の体温を腕の中に感じたまま、帰り路を歩いた。




