第44話「理想の欠片」
玲奈の違和感は、翌日も消えていなかった。
朝、鏡を見たとき、自分の顔が少しだけ他人に見えた。化粧はいつもの通りなのに、目元が遠く、口元が強張っている。加藤白嶺の顔が、ふと重なる。白い髪、整った輪郭、余裕のある目。自分が欲しかったもの、手に入れられなかったものが、あの女の形をしてちらつく。
(……何で、あの人ばっかり)
会社に着いても、その感覚は続いた。加藤が席にいるだけで、胸の奥が熱を持つ。嫌っているのに、目が追ってしまう。美咲が加藤に話しかけているのを見ると、指先が冷たくなる。自分がここにいる意味を、急に疑いたくなる。
午前中、玲奈は加藤のデスクに書類を届けに行った。必要以上に短い言葉で済ませるつもりだった。
「これ、確認お願いします」
『ありがとう』
加藤は顔を上げ、軽く頷く。その瞬間、玲奈の中で何かがひび割れた。ありがとう、とだけ言われて、何が残るのか。自分は、もっと欲しがっている。認められたい。追い越したい。あるいは、引き摺り下ろしたい。
「……加藤さんって、本当に何も感じてないんですか」
思わず、声に出ていた。加藤が少しだけ目を細める。
『何の話?』
「いえ。何でもありません」
玲奈は書類を置いて、すぐにその場を離れた。後ろで加藤が何か言いかけた気がしたが、聞かなかった。自分の声が、いつもより少し高く、少し渇いていた。
昼休み、玲奈は一人で屋上に出た。風が強い。手すりに肘をついて、下を見る。理想の自分が、風の向こうに立っている気がした。白い髪で、誰にも揺るがない顔をして。それは加藤に似ていて、加藤ではない。玲奈がなりたかった、別の自分だ。
(……届かない)
届かないから、憎い。憎いのに、欲しがってしまう。玲奈は手すりを握りしめ、しばらく動かなかった。
同じ頃、白嶺は美咲から短い報告を受けていた。
「中村さん、今日、少し変でした。加藤さんに、変な聞き方をしてて」
『変、とは』
「何も感じてないんですか、みたいな。急に」
白嶺は頷いただけだった。玲奈の熱は、昨日よりはっきりしている。色の気配ではない。だが、人の内側が、何かの入口を開き始めている感触はあった。性質の近い色霊に覚えがある。だがまだ早い。取り憑くには、もう少し歪みが必要だ。
白嶺は画面に目を戻した。
玲奈の熱は、昨日よりはっきりしている。色の気配ではない。だが、人の内側が、何かの入口を開き始めている感触はあった。まだ形にはなっていない。ただ、歪みが進行していることだけは、間違いなかった。
家の影は、今日も直接は触れない。次の色の気配は、まだ遠い。玲奈の内側で起きていることだけが、静かに進行していた。




