第4話「朱い影」
赤い影が、月の下で形を成していく。
ベンチに座っていた女性の身体が、ゆっくりと後ろへ引き込まれるように沈み、代わりに異形が立ち上がった。
花弁のように裂けた大きな口。単眼。長く伸びた複数の腕。熱を帯びた赤い気配が、周囲の空気を歪ませる。
アケバミだ。
白嶺は残虹を静かに抜いた。刃が月明かりを吸って、淡く光る。
『……出てこい、というのは、もう遅いか』
異形が笑った。声は女性のものではなく、何人もの感情が重なったような、渇いた響きだった。
「器か。懐かしい匂いだ。その身体から、私たちは逃げ出したんだったな」
白嶺は答えない。足を一歩、前に出す。
アケバミの腕が、鞭のようにしなった。熱を持った赤い爪が、白嶺の顔を狙って伸びる。
白嶺はそれを、最小限の動きでかわした。残虹が弧を描き、最初の腕を弾く。
『……腕、多すぎない? 収納どうしてるの』
アケバミは完全に無視して、さらに二本の腕を叩きつけてきた。
白嶺は小さく息を吐き、刀を構え直す。
【 蝶の七舞踊 】
小さく名を呼ぶ。
刀筋から、虹色の残像が蝶のように散った。アケバミの複数の腕が、軌道を乱される。一度、二度、三度。白嶺は間合いを詰めながら、正確に急所を測っていた。
「うざったい……! その刃、嫌いだ!」
アケバミが胴体を大きく開く。赤い光が凝縮され、熱を伴って放出された。白嶺は低く身を沈め、それを薙ぎ払うように残虹を振り抜く。草が燃え、土が爆ぜる。
(まだ、足りない)
白嶺は息を整え、刀を正眼に構えた。
刃の先から、虹の光が溢れ始める。花びらのような粒子が、静かに舞い上がる。
【 花無垢 】
刀身を中心に、虹色のオーラが球形に広がった。
アケバミが身を強張らせる。赤い影が、光に溶けるように外側から崩れていく。
「……また、封じるのか。お前の中に」
『ええ。大人しくしてくれると、お互い楽なんだけど』
「うるさい、器」
アケバミの声は、最後まで白嶺の言葉を受け流していた。
光が収束する。
アケバミの形が、完全に消えた。
代わりに、ベンチに女性が倒れ込んでいた。呼吸はある。意識は戻っていないが、取り憑かれていたものはない。
白嶺は残虹を構え、ゆっくりと息を吐いた。
その瞬間だった。
熱いものが、胸の奥に流れ込んでくる。
激しい生への執着。怒り。渇き。誰かの、どこかの、長く蓄積された「赤」が、一気に白嶺の内側へ崩れてきた。
膝が、僅かに折れる。
『……くっ』
白嶺は刀を支えに、その場に半身を沈めた。
月は、変わらず上にあった。




