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第36話「芽の匂い」
白嶺が緑の気配に気づいたのは、彩華の髪を乾かしているときだった。
タオルで頭を優しく押さえる。湯気と一緒に、いつもの乳児の甘い匂いが立つ。その下に、ごく薄い、土と若葉のような香りが混じっていた。白嶺の指が、一瞬止まる。
気のせいかと思う。
だが、胸の奥で、何かが小さく根を張るように反応していた。
赤の熱でも、橙の沈みでも、黄の甘さでもない。
もっと静かで、湿度を含んだ、芽が土を割るような感触だ。
白嶺はタオルを置き、彩華を抱いてリビングに戻った。娘はもう眠たそうに目を細めている。白嶺はいつものように布団に下ろし、傍に座った。
緑の匂いは、部屋の中に残っている。窓を開けても、完全には出ていかない。外から来ているのか、自分の内側が反応しているのか、区別がつかない。
『……次は、緑』
名前を、短くだけ呼んだ。
呼ばなくても、身体が先に理解していた。
白嶺は彩華の小さな手を、自分の指で包む。娘は何も知らない顔で、眠りの中に落ちていく。白嶺はその手を離さず、しばらく同じ姿勢でいた。
家の影は、まだ直接的な接触をしてこない。
色の方は、すでに動き始めている。
どちらが先に来るのかは、わからない。
わからないまま、白嶺は娘の寝息を聞いていた。




