第35話「見られている」
玲奈は、最近の美咲が気に入らなかった。
加藤白嶺の席を、目で追う回数が明らかに増えている。会議中も、給湯室でも、退勤時も。あからさまに意識しているのがわかって、見ていて腹立たしい。少し容姿が良いだけの加藤が、何をそんなに特別なのだと思う。
昼休み、玲奈は美咲の後ろを歩いていた。美咲がスマートフォンを操作している。画面に映っているのは、どうやら加藤の姿を遠目に撮った写真らしい。すぐに消されたが、玲奈の目には入った。
「……本気で好きなの? あの人」
美咲が肩を跳ねさせる。振り返ると、顔が赤い。
「ち、違います。ただ……」
「ただ、じゃないでしょ。目が完全にそうなってる。加藤さん、あなたのことなんて、ほとんど見てないわよ」
美咲は何も言い返せなかった。玲奈はそれ以上追及せず、先に歩いていく。美咲はその場に立ち尽くしたまま、握ったスマートフォンを強く握りしめた。
(……見てない。わかってる)
わかっているのに、熱は引かない。むしろ、玲奈に言われたことで、余計に意識が白嶺に向かってしまう。美咲は自分の席に戻り、画面を開いた。仕事の文字が、頭に入ってこない。
同じ頃、白嶺は会社の別の階で、短い打ち合わせを終えていた。
廊下を曲がったとき、窓ガラスに映る自分の後ろに、黒いコートの男が一瞬重なった気がした。振り返ると、誰もいない。気のせいか。家の監視は、すでに始まっている。前回の男以来、直接的な接触はない。だが、見られている感覚は、消えていなかった。
白嶺はエレベーターに乗り、自分の階へ戻る。美咲が席で俯いているのが見えた。最近、あの子の視線が強い。家を訪ねさせてからの変化だ。白嶺は特に声をかけず、自分の席に着いた。今は、家の影の方が優先だった。
退勤時間。白嶺は先に帰り支度を始める。美咲が「お疲れ様です」と声をかけてくる。白嶺は短く頷いた。美咲の目が、少し赤くなっている気がした。疲れか、別のものか。白嶺は深く考えなかった。
外に出ると、風が冷たい。
白嶺は駅とは逆方向に、一度だけ歩いた。誰かがついてくるかどうか、確認するためだ。人の気配は、すぐに途切れた。監視は、まだ「見せる」段階なのかもしれない。本格的に動くのは、もう少し先。
白嶺は方向を変え、彩華を迎えに行く道へ戻った。
娘の小さな手が、今夜も白嶺の髪に絡む。その感触だけを頼りに、彼女は夜の入口へ歩いていった。




