第32話「残る熱」
美咲は、あの土曜日以来、毎晩のように白嶺のことを考えていた。
薄いキャミソールの肩紐。お団子にした白い髪。低い声で「ちゃんと見てるから」と言われた瞬間。思い出すたびに、胸の奥だけでなく、身体のどこかが熱を持つ。最初は我慢していた。考えるだけなら、まだよかった。だが、夜、一人で布団に入ると、その熱が抑えきれなくなる。
美咲は顔を埋め、小さく息を殺した。
白嶺の顔を、声を、肌の露出を、意識の端に置きながら、自分の熱を冷ます。終わったあと、必ず自己嫌悪が来る。それでも、次の夜もまた、同じことをしてしまう。
(……加藤さんに、こんなこと思って)
朝になると、美咲はいつもより念入りに顔を洗った。鏡に映る自分の目が、少しだけ充血している。会社では普通に振る舞わなければいけない。普通に、加藤さんに「おはようございます」と言わなければいけない。
月曜日。
美咲は白嶺の席に近づきすぎないよう、意識して距離を取った。声をかけるときは、笑顔を作る。白嶺は『おはよう』と短く返す。その声を聞いただけで、昨夜の熱が、身体の奥で小さく疼いた。美咲は慌てて自分の席に戻った。
玲奈が、また鼻を鳴らした気がした。美咲は無視した。
同じ頃、白嶺は会社の窓から外を見ていた。
家紋の包みを燃やした夜から、警戒は常に続いている。次は人の形をして来るはずだ。残虹は、引き出しの奥に移した。彩華の保育園のルートも、少し変えた。周囲には気づかれない程度に。
美咲の視線が、時折自分に強く向いていることには気づいていた。週末の訪問の影響だろう。白嶺はそれを、今は深く追わなかった。家の影の方が、優先順位が高かった。
退勤後、白嶺は彩華を迎えに行く。
娘を抱き上げたとき、久しぶりに肩の力が少し抜けた。色の気配は、今夜も遠かった。家の影は、近い。
白嶺は鞄の中の引き出しの鍵を、指で確かめた。
まだ、来るな。もう少しだけ、この普通を保たせてくれ。
そう思いながら、彼女は夜の道を歩いた。




