第31話「返却を求めるもの」
帰宅後、白嶺は彩華を床に下ろし、すぐには鞄を開けなかった。
夕食の準備をし、娘と一緒に食べ、入浴させ、寝かしつける。いつもの手順を、いつもより少しだけ丁寧に、しかし急かさずに進める。彩華が完全に眠りに落ちたのを確認してから、白嶺はリビングのテーブルに鞄を置いた。
包みを取り出す。虹結の家紋が、電灯の下で小さく光った。
布を開き、紙を広げる。文字は変わらない。
『次の器は、すでに選定されている。
返却を求める。残虹も、娘も。
——虹結』
白嶺は紙を、指で二度、三つに折った。そして、コンロの火で端から燃やした。炎が紙を這い、家紋の刺繍が入った布も一緒に灰になる。白嶺はそれを水で流し、手を洗った。
残るのは、感触だけだ。
家が、本格的に動いている。電話を拒否し続けた先に、直接、形あるものが届いた。次は、人の形をして来る可能性が高い。
白嶺はクローゼットを開け、残虹の包みを手に取った。布を外し、鞘のまま膝に置く。冷たい。重い。家に返すつもりは、最初からなかった。彩華を渡すつもりも、なかった。
それでも、これまでの「逃げる」だけでは足りなくなる。
白嶺は鞘に手を添えたまま、しばらく動かなかった。
窓の外に、月が出ている。薄い光だ。色の気配は、今夜は感じない。家の影の方が、よほど近くにあった。
白嶺は残虹を布に包み直し、クローゼットの奥へ戻す。鍵のかかる引き出しに移すことも考えたが、今はまだしなかった。焦って隠し方を変えれば、かえって不自然になる。
ソファに座り、白嶺は天井を見た。
彩華の寝息が、壁の向こうで続いている。
『……渡さない』
短く、明確に呟く。
誰にも届かない言葉だったが、白嶺の中では、それが今夜の結論だった。
家が動くなら、自分も動く。
色を斬り続けることと、娘を守ること。その両方を、これから同時にやらなければならない。
白嶺は電気を消し、部屋の暗さに目を慣らした。
眠りは、浅くなるだろう。それでも、今夜は眠る。明日も、彩華は起きるのだから。




