第25話「蜜の味」
二十二時を回っていた。
白嶺は部屋の照明を落とし、クローゼットから黒い布を取り出した。中古の着物だ。袖を通すと、布の感触が肌に冷たい。残虹を腰に当て、紐を結ぶ。鏡に映った自分の髪が、白から虹色へと、ゆっくりと色を変えていくのを、彼女は黙って見つめていた。
彩華の部屋のドアに、耳を近づける。規則正しい寝息が聞こえる。白嶺はそれを確認してから、玄関の鍵を開けた。
甘い気配は、住宅街の奥から流れてきていた。
公園の外れで、白嶺は歩みを緩める。児童館の前のベンチに、小さな人影があった。十歳前後の少女だ。白いワンピースを着て、膝の上で手を組んでいる。夜の公園に一人でいるにしては、不思議と自然な佇まいだった。
白嶺が距離を詰めると、少女が顔を上げた。目が合った瞬間、その瞳が蜜のような熱を帯びているのがわかった。
「……器さん、来たのね」
少女の声に、別の声が重なる。優しくて、母性的で、底が知れない。
『……子供に、取り憑くの』
「温もりを、いただいているの。優しさを、集めているの。子どもは、それがたくさんあるでしょう? あなたも、誰かに優しくしてあげたいでしょう? その気持ち、少し分けてくれない?」
白嶺は残虹の柄を握り直した。
『出てこい』
少女の周囲の空気が、甘く歪む。黄の気配が凝縮され、形を持っていく。丸みを帯びた異形が、少女の背後に立ち上がった。胸元は蜂の巣のように光を宿し、大きな円環の目が白嶺を捉えている。
ミツガミだ。
「意地悪な器さん。でも、いいの。私が、温かくしてあげるから」
光の腕が、柔らかく伸びてくる。熱はない。触れたものの内側から、何かを抽出しようとする感触だけがある。白嶺は横に体をさばき、残虹の切っ先でそれを断った。光が散る。
『……子供を使うのは、反則よ』
「...」
ミツガミは首を傾げたまま、次の腕を複数伸ばしてきた。白嶺は身を低くし、刀を構える。
胸の奥で、何かが小さく軋んだ。彩華の顔が、一瞬だけよぎる。
白嶺は歯を食いしばり、軌道を測った。
短い虹の軌跡が牽制のように走る。ミツガミの腕が、僅かに軌道を乱す。白嶺はその隙を見計らいながら、次の間合いを探っていた。
決着は、まだ先だった。




