第18話「沈みが引くまで」
橙の沈みは、赤の熱より長く残った。
朝、白嶺は彩華を抱き上げながら、また同じ思考を意識した。
(……これをして、何になる)
すぐに打ち消す。打ち消すこと自体が、もう習慣になりつつあった。
会社では、美咲が休憩時間に近づいてきた。
「加藤さん、今、少しお時間いいですか? 相談というか……私、最近、自分の仕事の進め方に自信がなくて」
『内容を聞いてから、答えるわ』
「はい。実は……」
美咲は書類を広げて、自分の担当部分を説明し始めた。白嶺はそれを黙って聞き、短い指摘を二つだけした。美咲は真剣な顔でメモを取る。
「……加藤さんに話すと、少し整理できます。ありがとうございます」
『佐藤さんは、思っているよりできてるわよ』
美咲が目を見開いて、それから小さく笑った。
白嶺は、その笑顔を見て、胸の奥の沈みがわずかに薄れた気がした。気のせいかもしれない。それでも、悪くない感触だった。
夜。
彩華を寝かしつけたあと、白嶺は残虹の包みを膝に置いた。
布を捲らず、ただ重みを確かめる。
沈んだ思考は、まだ完全には消えていない。
だが、朝ほど濃くはない。彩華の寝息を聞いていると、少しずつ、輪郭が戻ってくる。
『……もう、いい』
誰にともなく呟く。
橙の沈みに、区切りをつけるように。
白嶺は包みをクローゼットに戻し、窓を開けた。
冷たい空気が、部屋に流れ込む。月は薄い。色の気配は、今夜は遠かった。
ソファに座ったまま、白嶺は目を閉じた。
次の色が来るまで、もう少しだけ、この静けさを保ちたい。
沈みが、完全に引くには、もう一日か二日かかるかもしれない。
それでも、今夜は、かなり浅くなっていた。
白嶺は、そのまま短い眠りに落ちた。




