第12話「薄い影」
次の色の気配は、急には近づいてこなかった。
白嶺は普段通りに出勤し、普段通りに仕事をし、普段通りに彩華を迎えに行った。
赤い残香は、もうほとんど意識しなくてよくなっている。指先の熱も、朝の苛立ちも、消えた。
消えたあとには、小さな空洞のようなものが残る。何かを一つ、自分の中から失った感触だ。白嶺はそれを、封印の代償として受け入れることにした。
会社では、美咲が今日も近くにいた。
「加藤さん、今度の休日、よかったら一緒にランチどうですか? 新しくできたお店が気になってて」
『休日は、予定があるの』
「あ、そうなんですね。残念です」
美咲は少しだけ肩を落としたが、すぐに笑顔を戻した。白嶺はそれ以上何も言わなかった。
美咲は、白嶺の私生活をほとんど知らない。子供がいることも、まだ知らない。白嶺から話さないからだ。
玲奈は相変わらず遠巻きに見ている。悠人は、必要なときだけ言葉をくれる。
その均衡が、今はちょうどよかった。
夜。
彩華を寝かしつけたあと、白嶺は窓の外を見た。
月は薄く、雲がかかっている。色の気配は、まだ遠い。
それでも、昨日よりは少し近い。
白嶺はクローゼットを開け、残虹の包みに手を触れた。抜かない。確認するだけだ。
布の感触は乾いていて、冷たい。
『……焦らなくていい』
自分に言い聞かせるように呟く。
焦れば、また誰かを巻き込む。次の色を斬るときは、もう少しだけ、自分の状態を整えてからにする。
電話が、また振動した。
画面を見なくても、わかる。同じ系統の番号だ。
白嶺は着信を拒否し、電源を切った。
部屋が、一段と静かになる。
彩華の寝息だけが、小さなリズムを作っていた。
白嶺はその音を聞きながら、目を閉じた。
次の色が、どんな感情を持ってくるのかは、まだわからない。
わからないまま、今夜は眠ることにした。




