第11話「残るもの」
禁忌の話を、誰かにしたわけではない。
それでも、昨夜自分の中でそれを整理してしまったあと、白嶺の朝は少しだけ重かった。
彩華はいつも通り起きて、いつも通り泣いて、いつも通り白嶺の髪を掴んだ。
白嶺はそれを受け止めながら、ふと「この子も、いつか何かを知らされるのだろうか」と思った。知らされなければいい。知らないまま、普通に生きてくれればいい。
朝食の準備をしながら、白嶺は自分の指先を見た。
赤い熱は、もうほとんど残っていない。それでも、完全に元通りになった実感はなかった。何かが、一つ、確実に減っている。
会社では、美咲が朝から機嫌が良かった。
「加藤さん、今日の午後、空いてますか? 少し相談したいことがあって」
『内容は?』
「仕事の進め方というか……私、加藤さんのやり方を見てると、自分の未熟さがよくわかって」
『佐藤さんは、佐藤さんのやり方でいいわ』
「そんなこと言われても……加藤さんみたいになりたいんです」
美咲は少し顔を赤くして、視線を逸らした。白嶺はそれ以上何も言わなかった。
最近、美咲の視線が以前より長くなっている気がする。気のせいかもしれない。赤の残香が、他人の感情を必要以上に拾ってしまうのかもしれない。
玲奈は今日も距離を取っていた。都合が良かった。
退勤間際、悠人が再び書類を持ってきた。
「加藤さん、これで全部です」
『ありがとう』
「……最近、少し疲れているように見えます」
白嶺は書類の封を確認しながら、顔を上げなかった。
『気のせいよ』
「そうですか」
悠人は短く返事をして、その場を離れた。
白嶺は彼の背中を見送りながら、昨夜の電話の着信を思い出した。拒否した番号。虹結の影。
家は、まだ本格的に動いていない。
だが、動かないまま終わることはないと、白嶺はわかっていた。
夜。
彩華を寝かしつけたあと、白嶺は残虹を布から出した。
刃を抜かず、鞘のまま手のひらで支える。冷たい。重い。
『……次は、いつ』
問いかけに、刀は答えない。
窓の外に、月が出ていた。赤くはない。だが、以前より少し近く感じる。
白嶺は鞘を握り直した。
胸の奥で、赤いものとは別の、薄い何かが動いた気がした。
まだ形にはならない。
ただ、次の色が、遠くないところにいることだけは、ぼんやりと伝わってきた。
白嶺は残虹を布に包み直し、クローゼットの奥に戻した。
今夜は、まだ出ない。
出るときは、もっと準備ができてからにする。




