第10話「禁忌」
虹結家には、古い掟があった。
器である長女は、強い情動を自らに許してはならない。
恋に落ち、その感情に身を委ねてはならない。
家の管理を離れて、封印を危険に晒してはならない。
そして、色の霊を自ら解き放つ行為は、最も重い禁忌とされた。
子を成すこと自体は、家の存続のために必要とされてきた。
だが、妊娠と出産は封印を大きく揺るがす。だからこそ、器が出産するときは、家の監視下で、感情を極限まで抑えた状態で行うのが古来の作法だった。
白嶺は、その作法をすべて無視した。
器は、代々「静かな器」であることが求められた。
喜びも、怒りも、悲しみも、深く味わってはならない。色の霊は感情を糧にする。器の心が動けば動くほど、封印は不安定になる。
だから幼い頃から、白嶺は「感じないこと」を訓練された。泣いても長く泣くな。笑え。だが本気で笑うな。人を好きになるな。
それでも白嶺は、ある男を好きになった。
普通の、優しくて、虹結の名も、色の霊も知らない男だった。
白嶺は彼の前でだけ、少しだけ「人」でいられた。家の人間に知られぬよう、逢瀬を重ね、やがて彼の子を身ごもった。
妊娠がわかったとき、白嶺は初めて、本当の意味で怖くなった。
腹の中の命が、封印をどう揺らすかわからなかったからだ。
それでも、産むと決めた。
家には戻らなかった。管理下に入れば、生まれてくる子がどう扱われるか、わかっていたから。
産声を上げた瞬間、十二の色は一斉に目を覚ました。
白嶺の身体を内側から突き破り、世界へ散っていった。
家の管理を離れ、感情を抑えぬまま出産したこと。それが、封印の完全な崩壊を招いた。
家は、すぐに動いた。
「汚れた器に、もう用はない」
「次の器を確保しろ」
老輩たちの言葉は、冷たく、明確だった。
次の器とは、彩華のことだ。まだ何も知らない、白嶺の娘。
白嶺は家を出た。正確には、逃げた。
残虹だけを持ち出し、姓を変え、街に潜んだ。
加藤白嶺として、OLとして、母親として、細く長く生き延びることを選んだ。
家は、まだ本格的には動いていない。
だが、いつか必ず来る。
電話の着信は、その予兆に過ぎない。
夜、白嶺は彩華の手を握りながら、目を閉じた。
『……お前だけは、巻き込みたくない』
呟きは、誰にも届かない。
胸の奥に残る赤い熱とは別の場所で、別の種類の重さが、静かに沈んでいた。
禁忌を犯した代償は、まだ終わっていない。
これから、少しずつ、形になって現れてくる。
白嶺は娘の手を、もう一度だけ握り直した。




