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78.回復魔法

 予期せぬかたちで出会ってしまった私と、エタ☆ラブの主人公たるジルは、一瞬まじまじと見つめあった。


(な、なんか、目の前にジルがいるって不思議な気分……)


 エタ☆ラブをプレイしていた時は、私はジルを操作していた。つまり、ジルとしてこの世界を歩んでいた。

 それが、今や私は、「世界を救え」と意味の分からない指令を受けて、悪役令嬢の妹としてこの世界を生きている。

 (ドラゴン)の傍らに立つ怪訝な顔をした少女は、何度見てもゲーム画面でよく見たエタ☆ラブの主人公ジルだった。

 この世界の顔面偏差値は異常に高いため、さすがの私も並大抵の美男美女に対してはさして驚かなくなった。しかし、やはりジルは格別だ。

 目深にフードを被っているけれど、可憐で凛とした風貌は隠せていない。意志の強さを感じさせる瞳に、ふっくらとした桜色の唇。数々の攻略対象のキャラクターを骨抜きにしてきた、魔性の美少女。


「私の知ってるジルよりは幼いけど、やっぱり、この子はジルだわ……」


 私が思わずつぶやくと、驚いたヘンリックがジルの肩を揺さぶった。


「じ、ジル! お前、なんで名前がバレてるんだ!?」

「し、知らないって! 私、こんないかにも貴族みたいなお嬢様に、会ったこともないもん!」


 ジルはたじろいで一歩下がった。そんなジルに、私はじりじりと近づく。


「え、えっと、ジル。驚かないでほしいんだけど、私、ずっとあなたのこと探していたのよ! あれ、こういったら不審者っぽい……? とにかく、怪しまないで! えっと、どこから話せばいいかな……」

「わ、わけがわからないわ!」

「そ、そうだよねえ!」


 私は不審がるジルに大きく頷く。

 ジルの当惑も当然だった。今の私の挙動は完全に不審者のそれだし、第一、私はジルのことについてよく知っているけれど、ジルは私については全く知らないのだ。なんせ、エタ☆ラブの世界線上では、エリナとジルが会うのは少なくとも4年後のはずなのだから。

 私はなんとかジルを落ち着かせようと手をオロオロとさまよわせる。


「ねえ、ジル、とりあえず、話したいことがたくさんあるの。今はどこに住んでるの? この後、時間ある? あっ、これじゃナンパしてる人みたいな言い方みたいね!?」


 私がじりじりと近づき、ジルとヘンリックがどんどん後ずさりしていく。

 ヘンリックがジルを庇いながら、端正な眉根を寄せた。


「おいジル、こいつ、本格的に頭おかしいヤツっぽいぞ。確実にお前を狙ってる! いったんここは身を引いたほうがよくないか!?」

「あー、待って待って待って! 本当に怪しいものじゃないから!」


 私は慌てて手をブンブンと振ってみたものの、発言すればするほど、私の胡散臭さが増している気がする。

 現に今、ジルとヘンリックからは明らかに不審者を見る目で私を見ていた。横にいたシルヴァも不可解な面持ちをして私を見ている。


「ま、待って、話せばわかるから! 話を……」


 私がなんとか言葉をつごうとしたその瞬間、それまでおとなしかった竜が前触れもなく暴れ始めた。

 竜の横にいたジルとヘンリックがギリギリのところで飛びのいて避ける。


「おい、竜が目を覚ましたぞ! クッ、思ったよりボスが渡してくれた魔術具は効かなかったようだな!?」

「まだこの魔術具は試作段階だとおっしゃっていたし、仕方ないわ」

「とにかく作戦は失敗だな。気味の悪い女にも会ったし、撤退するぞ!」

「ええ。そこの女の子のことは引っ掛かるけど、……そうしましょう」


 ジルはポケットから何かを取り出すと、流れるようなしぐさで小さく呪文を唱え、魔法を放つ。

 私は慌てて魔法を阻止しようとしたものの、一歩遅かった。あっという間にあたりに強い風が吹き荒れる。シルヴァが飛んできた瓦礫から私を庇い、視界からジルの姿が消えた。バリバリと王宮の庭木が根っこから粉砕される音が響く。

 ジルの魔法をまともに食らった竜がのたうち回り、耳をつんざくような咆哮をあげる。

 私は少なからず驚いた。


(な、なんで今のジルがこんな強力な魔法を使えるのよ!)


 ジルの魔法は強力で、私とシルヴァの魔力をもってしても、防御魔法で自分の身を守るのが精いっぱいだった。

 確かにジルはエタ☆ラブでの屈指の魔力を持っていたけれど、アカデミーで魔法の訓練をしていないジルが使う魔法としては、あまりに強すぎる。

 ゲームの中の主人公ジルは、アカデミーに入った時は人の怪我を癒す魔法しか使えなかったはずだ。


(なんか、エタ☆ラブと矛盾しているところがあちこち出てきているような……?)


 明らかに、なにかがおかしかった。エタ☆ラブの物語は、狂い始めている。


 やがて竜巻の威力が弱まり、私とシルヴァが何とか体制を立て直した時にはジルとヘンリックの姿はそこになかった。


「ああっ、行っちゃった……」

「エリナ、油断するな! まだ竜が残っている!」


 シルヴァが鋭く叫ぶ。私はハッとして、竜のいたほうを振り返る。

 ジルの魔法をまともに受けた竜は、赤い瞳で私たちを睨んでいた。よくよく見れば、ジルの放った魔法で粉砕された木の破片が、ドラゴンの腹に刺さっている。翼もおかしな方に曲がっていた。大量の血が、地面を濡らしている。


「竜が怪我を! ひ、酷い……」

「あの子、どうやら俺たちじゃなくて竜を狙って魔法を放たようだな。この竜に利用価値がなくなったから始末した、というところか」

「そ、そんな……」


 私は困惑する。エタ☆ラブの中では、ジルは虫一匹すら殺せないような心優しい聖母のような女の子のはずだ。こんな酷いことをするような子ではない。

 竜が苦しそうにもう一度鳴く。狂気を宿していた瞳が、徐々に赤色から緑色に変わっていった。折れた翼が痛々しい。

 シルヴァが端正な顔を歪めた。


「……残念だが、手当はできそうもないな。エリナ、少し離れていろ。これ以上、苦しむことがないよう一思いに首を斬る」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 私はシルヴァを押しのけ、竜に近づく。

 シルヴァが息をのんだ。


「エリナ、止めろ! 危ないだろう!」


 私はシルヴァを無視して、竜の顔の前に立つ。

 竜は攻撃してくることもなく、澄んだ緑色の眼で私を見つめた。瞳は凪いだように淀みがない。私に助けを求めるように、竜はもう一度鳴いた。

 私は、振り返ると、シルヴァを安心させるために少し微笑んだ。


「……シルヴァ様、大丈夫です。この竜はもう、暴れることはないはずです」

「なんでそんなことが分かるんだ!」

「なんとなく、です……。恐らく、あの子たちが魔法で竜を錯乱させて、人間を襲わせていたんです。でも、今は、この竜は正気を取り戻しています」

「正気を取り戻している? 本当か?」

「ええ。現に、私に危害を加えようとしていませんよね。先ほどまでの竜であれば、残りの力を振り絞って襲ってくるはずです」

「それは、そうかもしれないが……」

「手遅れになる前に、ここで治療します」

「しかし、エリナ! もし治癒のあとにまた暴れたら今度こそ俺らは危険だぞ」

「その時はその時で、何とかしましょう」


 私は、一つ大きく息を吸い、竜の鼻先に手を伸ばす。


「……もう大丈夫」


 ゴツゴツした竜の鼻先に触れると、ひんやりとしていた。

 回復魔法は一度だけ兄のロイが見せてくれたので、やり方はわかる。魔力を手元に集中させ、ゆっくりと竜の身体に流し込む。

 竜の体が薄い水色に発光し、徐々に竜の瞳に生気が戻ってくる。


「……これで、どうですかね」

「これは、……すごいぞエリナ! 傷が治っている!」


 シルヴァが嬉しそうに歓声をあげた。どうやら即席の回復魔法は成功したらしい。私はほう、とため息をつく。それと同時に、傷が治ったことに気づいた竜が嬉しそうに私の頬に鼻面を寄せた。


「わっ、びっくりした! くすぐったいよ~」


 漆黒の竜は嬉しそうにグルグルと喉を鳴らし、私の頬にグリグリと頭をこすりつける。この竜はかなり人懐っこいようだ。さながら大きな犬のようで、なんとなく可愛い。もちろん、私を襲ってくることもなかった。

 私が思った通り、一時的に狂乱に駆られていただけで、今の竜は大人しく、人間に害を加えることもない。

 シルヴァは私たちの様子を見て腕を組む。


「恐れ入った。回復魔法も完璧じゃないか。ブルスターナにきてから、エリナは信じられないほど魔法を上達させたんだな……。一年前まで俺の簡単な魔法で喜んでた女の子が、ここまで成長するなんて……。さすがアイゼンテール家の娘、とでも言うべきなのか? 稀代の魔法の使い手になること間違いなしだ」

「そんな、まだまだですよ。現に、ジルのあの魔法、防御するのでやっとでしたから……」

「そうだ。あの逃げた女の子、ジルという名前なのは間違いないのか? どこで知り合ったんだ? というか、らしくもないほど慌ててたな?」

「あー。とんでもなく複雑な事情がありまして……」


 どこから話そうか、と私が目を泳がせたとき、ふいに人の声と複数の足音が近くで聞こえた。

 シルヴァが茶目っ気たっぷりにヒュウ、と口笛を吹いて私にウィンクをする。


「おっと、やっと助けが来たようだ! 第一騎士団のヤツらか? 助けに来るのが遅すぎて、全部エリナと俺で解決しちまったぞ。……おーい、誰か! こっちに竜がいるぞ! 人手をよこしてくれ!」


 そう言って、シルヴァは大きく手を振る。シルヴァの声に気づいたのか、複数の足音が急速にこちらに向かってきた。

 ほどなくして庭木の影から現れたのは、護衛をぞろぞろと引き連れた背の高い人物だった。

 私は眼を丸くする。


「……え、ローラハム公(おとうさま)?」


 私とシルヴァは予想外の人物の登場に一瞬顔を見合わせる。当のローラハム公も一瞬神経質な鉄面皮に驚きの色が浮かべた。

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