77.翼竜の使者
漆黒の翼竜は、血のような赤い瞳でまずぐるりとあたりを見渡した。そして、怒りを帯びた低い声をあげる。竜が放つ荒々しい殺気に肌が粟立つ。
近衛兵たちが困惑した様子で後退りした。
「竜だ、竜だぞ! なぜここに!?」
「調教場から逃げたのか!? いや、ありえない! すべての個体は鎖でつながれているはず……」
パニックになっている衛兵たちに、私は叫んだ。
「ゴタゴタ言ってないで、ここから皇帝とアベル様を連れて早く逃げて!」
刹那、竜が後ろ脚で跳躍し、尻尾を振った。尻尾の軌道は過たずガラスのシャンデリアにぶつかり、シャンデリアが騒々しい音をたててこちらに向かって飛んできた。
このままではその場にいる全員がガラスのシャンデリアの下敷きになってしまう。
(まずいッ……! 確実に私たちを殺そうとして――……ッ)
巨大なシャンデリアが私たちを押しつぶす前に、私は間一髪のところで、シャンデリアを魔法の力で押し戻した。騒々しい音をたててシャンデリアが大理石の壁にぶつかり、砕け散る。
「……しゃ、シャンデリアが!?」
「誰も怪我してない!?」
「あ、ああ、大丈夫だ。陛下も無事だ!」
回りを見待たすと、アベルも皇帝も腰を抜かしているものの、怪我をしている様子はない。私から少し離れた場所にいた衛兵たちも、幸いなことに誰もぺちゃんこにならずにすんだらしい。
隣にいたアベルが目を丸くした。
「シャンデリアが吹き飛んだぞ!? 今のは、エリナがやったのか? さすが魔法貴族アイゼンテール家の娘だ!」
「アベル様、感心している場合ではありません! 早くここから離れて! ここは私が食い止めます!」
「そんな! エリナ一人をここに残すわけには……」
アベルが私の手を掴んだ刹那、竜はなにかを呼ぶような甲高い耳障りな声で吼えた。その途端、落ちたシャンデリアから凄まじい数の羽虫のような何かがとび出し、あちこちに跳ねた。羽虫が通った場所には激しい火の粉が舞い、あっという間に壁のタペストリーや装飾品に火がついていく。
衛兵たちがあわてた様子で叫んだ。
「うわああ、竜の咆哮で炎妖精が暴れている! 火が燃え移るぞ!」
「うそでしょ!? 炎妖精は夜の国にしかいない妖精のはず!? なぜここに!?」
「王宮のシャンデリアは全て炎妖精を閉じ込められた結晶でできているんだ!」
「そんな、夜の魔物を結晶化する!? 危険すぎます!」
私は驚いて声をあげる。その隙に、殺気だった竜はまっすぐ衛兵の一人を狙って跳ねた。
(油断した! 魔法が間に合わない!)
私は息をのむ。しかし、竜の鋭い牙が衛兵の胴元に食らいつく前に、強い風が吹き、竜が横ざまに吹き飛んだ。
「オラァ!」
「シルヴァ様!」
「第一騎士団のシルヴァ・ニーアマン、後れて参上! おやまあ、たいそうなお客さんが来てるようだな」
そう言うが早いが、シルヴァはもう一度呪文を唱え、強力な魔法を放つ。シルヴァの「喜の魔法」だ。シルヴァからの攻撃をまともに食らった竜が、ガラスをぶち破り、怒りの咆哮をあげながら窓から落ちていく。
シルヴァはひとまず安心、とばかりに大げさなため息をついてみせた。
「騒々しいと思ったら、案の定大変なことになっていたな。エリナはなんでこう、逐一トラブルのど真ん中にいるんだ?」
「そんなことを言われるなんて心外です!」
私は唇を尖らせて反論する。シルヴァはただ肩をすくめた。
色々言いたいことはあるけれど、今は後回しだ。私はとりあえず燃え盛る炎を魔法で消し、皇帝になるだけ落ち着いた声で話しかける。
「陛下、とりあえず竜は退けましたが、またこの場所に戻ってくる可能性はあると思います。ここは私が食い止めますから、早く避難を!」
「いや、しかし、君のような衛兵でもないご令嬢にこのような場を任せるのはいかん。我々もここに残って……」
「陛下、私たちは大丈夫です。それに、貴方様がいなければこの国は崩壊してしまいます。御身の安全を第一に考え、避難を」
「……ああ、その通りだ。まったく、かような乙女にこのような危ない仕事を任せてしまってすまぬ。エリナ・アイゼンテール、この恩は直に返そう」
皇帝は強く私の手を握ると、踵を返して私のつくった衛兵ともにもうもうと煙が立ち込める退路を進んだ。
その場に残ったアベルが私を見る。
「俺はここで戦う! エリナ、君を守る」
「勇ましいのは結構ですが、勇敢さと命知らずとをはき違えてはいけませんよ、殿下」
氷より冷たい声でアベルを咎めたのはシルヴァだった。アベルはシルヴァをギッと睨む。しかし、この国の皇子に睨まれても、シルヴァは一切動じなかった。
「聡明と名高いアベル王子ならわかるはずです。今この場に残ると、貴方は確実に足手まといになる」
「シルヴァ様、そんな辛辣なことを言わなくても……」
「事実だ。さあ、アベル王子。……早く避難を」
アベルの漆黒の瞳がシルヴァを見つめる。アベルは唇をかんだものの、ややあって悔しそうに頷いた。
「シルヴァ・ニーアマンの言う通りだ。俺は弱い。ここでは確実に足手まといになる。……ここは任せた」
「ご英断です」
さらりとシルヴァは頷く。アベルは逡巡した後、私の手を取って恭しく手の甲に口づけた。私は驚きすぎて息をのむ。
「いつか、いつか君を守るほど強くなる」
「!?」
「エリナ、武運を」
そう言うと、アベルはさっと踵を返して皇帝のあとを追った。
シルヴァは横で舌打ちして、呆然とする私の手の甲を袖でごしごし拭く。
「クッソ、油断した! あのマセガキ!」
「……はっ、なんか意識が飛びそうに……!」
私はブンブンと首を振る。何とか冷静さを取り戻すと、オホン、と咳ばらいをする。
「お言葉ですけれど、王子に向かって『マセガキ』なんて汚い言葉使うのは感心しませんよ」
「あいにく、俺は口が悪くてね。まったく油断も隙もない……」
「それより、ここの炎を鎮火しないと……!」
「それなら心配いらない。可哀想な話だが、魔術具から出た炎妖精はすぐに命尽きる。ここの火もじきに収まるだろう」
シルヴァの言う通り、確かに当初の炎の勢いは収まり、部屋の炎は収まり始めている。
あちこち飛び回っていた炎妖精たちは、今や力尽き、悶えながら最後の閃光を放って消えていく。
「……なんだか、炎妖精が可哀想ですね」
「アイツらのおかげで、カウカシアの夜は明るいんだ。いちいち同情してられないさ」
シルヴァは軽く嘆息した。
「それより、あの竜が問題だ。あれは、王宮で飼っている竜の若い個体だろうな。肢に切れた鎖がついていた。とりあえず、一階のやつらが抑えられるか心配なところだが……」
「そうですよね。……シルヴァ様はこの場所を守ってください。私は、あの竜を追います」
「そうだな、ここで……って、追わないと!?」
驚いたシルヴァがすっとんきょうな声をあげた。
「なんでそんな考えになるんだよ!」
「あのまま放っておいたら悪いことになる気がするんです」
私はそう言うが早いが、竜が落ちていった窓に走ろうとする。そんな私の腕をシルヴァが慌てて掴んだ。
「嘘だろ! あれだけ言ったのに、また真っ先に危険に突っ走るエリナの悪癖が出てるぞ!」
「私は大丈夫です! あとで合流しましょう!」
「その根拠のない自信はどこから来てるんだ! 頼むから俺の寿命を縮めないでくれ!」
「できることをやらないと、誰かが死ぬかもしれないんですよ!?」
「他人の心配をしている場合か? 死ぬのはエリナかもしれないんだぞ!」
「過保護ですよ。先ほども言いましたが、私は大丈夫です! みっちり毎週魔法を教えてもらってますからね!」
「大丈夫なわけないだろ! 心配するこっちの身にもなってみろ! どうしても行くのなら、俺も一緒だ!」
「好きにしてくださいな」
そういうや否や、私たちはそろって窓から飛び出した。竜が通ったあとは盛大に荒らされており、道のようになっている。竜を追うのは容易そうだ。
私たちはふわりと地面に着地すると、軽く頷いて、王宮の庭を走り出す。
「あの竜は怪我をしていましたし、そう遠くへは行っていないはず……」
「こっちの方面は竜の飼育場だから、帰巣本能で元いた場所に戻ろうとしているのか?」
「それならば、なぜわざわざ王宮の方に来たんですかね?」
竜は賢く、人間に従順な生き物だと聞く。だからこそ、王宮の敷地内に飼育場があるのだ。
それなのに、今夜は人を襲ってきた。確実に、あの竜の瞳は恨みに満ちていて、私たちを確実に殺そうとする意志を感じた。
(何かが、おかしい)
その違和感の理由をうまく説明できないけれど、なにかが確かにおかしいのだ。
王宮の庭の丘あたりまで来たところで、私は目的の竜を発見した。
「……あっ、竜がいました。あそこです! 妙にぐったりしてるような……」
「……! エリナ、止まれ!」
横を走っていたシルヴァが急ブレーキをかけ、私の腕を掴んで無理やり茂みにひきこむ。
「シルヴァ様! な、なんですか、いきなり……」
「シッ、誰かいる」
「!」
私は反射的に口で手をおさえた。それから、茂みの陰からそっと竜の様子をうかがう。
(やっぱり、あの竜だ……!)
予想通り、漆黒の竜はそう遠くに行ってはいなかった。王宮の庭の隅でとぐろを巻いている。多少は怪我をしているものの、そう深い怪我ではなさそうだ。眠っているのか、獰猛な目は閉じられている。
そして、竜の傍らに、二人の人影がみえた。目深にフードを被っていて顔は見えないけれど、背格好から私と同じ年頃の子供のように見えた。なにやら真剣に喋っている。
「竜の近くに子供が二人!? 危険です!」
助けないと、と立ち上がろうとした私のドレスの裾を、シルヴァが掴んだ。
「……待て! あいつら、竜の傷を癒しているぞ」
「なんですって!?」
私は混乱した。
「ダメです! 確かに怪我をしているのはかわいそうだけど、まず鎖に繋いでからでないと暴れられたら対処しようがない……」
「誰かそこにいるな!?」
子供のうちの一人が、私たちに気づいたらしく、振り向きざまに魔法を放つ。一陣の風が私たちを襲ったものの、間一髪のところで、シルヴァが私を抱えて横ざまに飛び、事なきを得た。
「あ、危なっ!! 子供のくせに、強力な魔法を使うじゃないか!」
焦った声でシルヴァは額につたう冷や汗をぬぐい、剣を抜いて立ち上がる。茂みから飛び出してしまったため、私たちはいやおうなく竜の傍らにいた子供と向き合った。
竜の傍らにいたのは、ヘーゼル色の瞳の男の子と、こぼれ落ちるほど大きな紫色の瞳の女の子だった。どちらも、目深にフードを被っている。年は、私より少し年上だろう。二人とも、見るからに焦った様子だった。
ヘーゼル色の瞳の少年が、唇を噛む。
「クソ、ここで見つかるなんて……」
「焦らないで、ヘンリック。大丈夫よ。私たちはボスの指示通りに動けばいい」
芯の強さを感じさせる、凛とした声で少女が答える。
(ん、ヘンリック?)
私は首を傾げる。そういえば、この二人、どこかで見覚えが――……
「……!? あ、あなたは!」
私は驚きのあまり口をパクパクさせた。私がこの世界でずっと探していた人物に、こんなところで会うなんて。
「ジル!? なんでここに!?」
そこにいたのは、エタ☆ラブの主人公、ジル・ピピンその人だった。





