57.戸惑い
ヴィーフ研究所を出ると、秋風が頬を撫でた。足元でオスカーがけたたましく鳴いている。軽々と私を担いでいるシルヴァに、唖然としていた私はやっと抗議の声を上げた。
「ちょ、ちょっとシルヴァ様! いきなり断りもなしに担ぐなんて無礼ですよ! おろしてください!」
「すまない。俺の婚約者殿はこうでもしないと、あの場をテコでも動かなそうだったからな」
爽やかに笑うと、シルヴァは私を地面におろす。幸いにも研究所の前の通りは人通りが少なく、情けなく担がれている私は誰にも目撃されずにすんだようだ。
私がワンピースの皺を延ばしていると、シルヴァが顎に手を当てて、私の様子を上から下まで確認した。
「怪我は……、してなさそうだな。元気そうだし」
「ええ、もちろん、怪我なんてしていませんけど……」
「ならば良かった。さて、行くか」
そう言って、シルヴァは踵を返してスタスタと歩き始める。
珍しくあまり言葉を交わしたくなさそうなシルヴァの前に、私は回り込み、腰に手を当ててまっすぐに顔を見上げた。
「なんで、シルヴァ様がここに?」
「まあ、俺は騎士だからな。お姫様が危ない目に遭っている気がしたならどこにでも馳せ参じるのさ」
「シルヴァ様、適当なことを言ってごまかさないでください」
「……」
「本当のことを教えてください」
シルヴァの形のいい黒色の瞳をじっと見つめると、ややあってやりにくそうに視線を外された。
「……エリナの目を見ていると、何もかも見透かされている気がして調子が狂うな。いつもそうだ」
「話してもらえますか?」
ふう、とため息をつくと、シルヴァは頭をガシガシとかいた。ややあって、歯切れの悪い口調で話し始める。
「……わかった、降参だよ。ローラハム公の命令でここに来た。いきなり、早馬で使者が来たんだ。エリナを迎えに行けと」
「やはり、ローラハム公が……」
私がさらに質問をしようとしていたその時、昼過ぎを告げる鐘が町中に鳴り響いた。シルヴァは慌てた顔をする。
「おっと、ここで待っていてくれ。どこにも行くなよ! 俺は馬を連れてすぐ戻ってくる。もし怪しいヤツが近寄ってきたら大声を出すんだ」
いいな、と念を押すと、シルヴァはくるりと踵を返すと駆け足で去っていく。仕事から抜けてきてここまで馬で来たということは、本当に急いで向かったのだろう。
私は仕方なく、言われた通りにオスカーと住宅街の街角でシルヴァを待った。
「……オスカー、これからどうしよう」
私は思わず、オスカーにつぶやく。オスカーは黄金色の瞳で私を見上げた。
(オスカーは夜の国の魔物で、私は魔物たちが使う魔力と同じ虚の魔法を使える……)
急にあまりにたくさんのことを、知りすぎてしまった気がする。
まず、虚の魔法のこと。ポーリから虚の魔法のことなんて一度も聞いたことがない。姉のルルリアと読んだあらゆる恋愛小説の中でさえもその存在は言及されていなかった。
でも、グラヴィスは、私が「虚の魔法が使える、夜の国の子」だとはっきりと断定した。私はどうやらかなり特殊な部類の人間らしい。
確かに、私の出生については謎が多い。表沙汰にはなっていないものの、アイゼンテール家の城で働く人々の間では、末娘のエリナはローラハム公の子ではないのではないか、という噂はまことしやかにささやかれていた。真偽は不明だが、母であるソフィア・アイゼンテールは1年ほど姿を消し、私を連れて戻ってきたという噂もあるし、父親であるローラハム公からはあからさまなまでに冷遇されている。
ただの悪役令嬢の妹だと思っていたエリナ・アイゼンテールの存在は、いよいよきな臭くなってきた。
(ローラハム公は、私を夜の国の子と知っているから、私の正体を隠そうとしているのかな)
それであれば、私の正体を暴きかねない存在だった大魔女グラヴィスとの会話を、ローラハム公が盗聴しようとしたのにも納得がいく。
夜の国はアイゼンテール家が治める北方の領土の北限、オルスティン山の向こうにある謎に包まれた闇の国だ。夜の国に住む異形のモノたちの存在を恐れて、人々はオルスティン山には決して近寄らない。夜の国に住む住民たちは、このカウカシア王国では忌み嫌われている。
(まさか、その忌み嫌われる国の怪物たちと同じ魔法を使えるのが、私なんてね……)
夜の国の魔力を有する魔法使いは、おそらく、というか十中八九、人々にとって畏怖の対象となるだろう。ローラハム公にとっても、私の存在がバレてしまうと困るに違いない。なにしろ、数百年小競り合いを起こしてきた憎き敵国・夜の国の魔力を有する魔法使いを、あろうことか娘として育てているのだ。夜の国と繋がっている、とバレてしまえば、アイゼンテール家の権威は失墜しかねない。
そのうえ、私が生きているこの世界は乙女ゲームのエタ☆ラブの世界で、そのエタ☆ラブは最終的に夜の国と敵対し、魔王と対決せざるを得ない状況になる。つまり、この国は近々夜の国と再び強く敵対し始めるのだ。
そうであればなおさら、私の正体は隠し通さなければならない。
私は考えを整理するために、思わずぶつぶつ呟き始める。
「それにしてもなぜ、ローラハム公は夜の国の子の私をわざわざ養育しているんだろう? わからないなぁ……。強い魔力を持つ魔法使いをアイゼンテール家に取り入れておきたかったから? それとも、気まぐれ? そんなわけないかぁ……。なんだか、あんまりにもいろいろありすぎて、訳がわからなくなって来た……」
「……ェリナ、ダイジョ、ブ……?」
不意にしゃがれた声に話しかけられて、私は驚く。周りを見回しても誰もいないので、必然的に喋ったのは足元で私を見上げているオスカーだけだ。
「オスカー、その姿でも喋れたんだ」
「……ウ、ン……」
「全く、オスカーが夜の国の魔物なんて、びっくりだったよ。でも、確かにただの仔犬にしては、オスカーは頭が良すぎたもんねえ」
そう言って、私はオスカーを同じ目線になるまで抱き上げた。黄金色の瞳がまっすぐに私を見る。
思い返してみれば、オスカーはずっとただの仔犬ではなかった。私の指示はやけにしっかり聞くし、仔犬にしては大人しく、粗相も全くしない。元いた世界でも犬を飼ったことがなかったので、これが普通だと思っていたけれど、どうやら普通ではなかったらしい。
ややあって、オスカーはコトリと首を傾げた。
「……オデ、コワク、……ネェノ?」
「えっと、オスカーのこと怖くないかって? いやね、怖いわけないじゃない。もうお兄さまがオスカーを拾って、何か月も一緒にいるのよ」
「……ソ、カ」
「でも、オスカーの正体を知ったら怖がる人がいるかもしれない。とりあえず、私の前以外で、人の言葉を話しちゃだめだよ。人の姿になってもだめ。ずっと一緒にいるために、約束ね」
「……ン……」
オスカーは素直にコクリと頷いた。私は、それから、と付け足す。
「普通に私が着替えている時にも同じ部屋にいたけど、今後は着替えの時は出て行ってもらうからね」
「……! ……ナ、ニモ…ミテ、ナイ……」
「嘘つきなさい。私の目を見て言える?」
「……ワン」
「こういう時だけ犬のふりするの止めなさい!」
「オ、リル……」
「あっ、こら!」
オスカーが私から身をひねって私の手から逃れようとジタバタし始めたところで、馬の嘶きが聞こえた。すぐに、シルヴァの青毛の立派な体格の馬がこちらに走ってくるのが見える。
シルヴァは私の姿を認め、身軽にひらりと馬から下りた。
「エリナ、待たせたな。さっきは話の腰を折ってすまなかった。急いで来たから、従者もつけずに馬を適当なところにつないできたんだ。盗られてしまったらたまったもんじゃない。さて、相乗りするから、犬は抱いていてくれるか?」
「わかりました。そう言えば、仕事を抜けてきたと……」
「ああ、そうだ。今日はこれ以上抜けられなくてな。この後、家まで送ろうと思っていたが、時間がない。エリナには悪いが、職場に一緒に行ってもらう。話はその後だ」
「えっと、そうでしたら、中心地まで送ってくださいな。そこからであれば、私は歩いて帰れますから。お話はまた、時間があるときで構いません」
私の言葉を聞いたシルヴァが、重いため息をつく。
「全く俺の婚約者殿は危機意識が低いようだ。ここはブルスターナだぞ。貴族のお嬢様一人が歩いて無事でいられる場所じゃない。大人しく俺についてくるんだな」
「でも……」
「色々聞きたいことがあると思うが、とりあえず全部後だ。なんせ今日の仕事はかなり重要でな」
そういうと、シルヴァはオスカーを抱いた私を軽々と馬に乗せ、自らも私の後ろに飛び乗る。
「そんな大切なお仕事ならなぜ……、きゃあっ」
「急げ、我が愛馬よ! 全力疾走だ!」
シルヴァの声で、青毛の馬は全力で走り出す。強い向かい風で私の銀髪をさらった。
「しっかり犬を掴んでおいてくれよ!」
「ひゃ、ひゃあい……」
「大丈夫だ、俺が後ろに乗っているのだから落ちることはない」
シルヴァは、私の耳元でささやいた。胸がドキドキしたものの、果たして美男子の婚約者に耳元でささやかれたのが原因だったか、本気の全力疾走する馬の速さにびっくりしたのが原因か、どちらかわからない。それ以上に、時々すれ違うブルスターナの住民の皆さんをこの立派な体躯の馬がうっかり蹴っ飛ばしてしまうのではないかと思うと気が気ではなかった。
(色々聞きたいことはあるけど……)
とりあえず今は、オスカーをしっかり抱いて馬に乗っているのが精いっぱいだ。
こうして、混乱する私を乗せたまま、私達はブルスターナの街を疾走し始めた。
誤字脱字を指摘していただいた方、ありがとうございました!





