56.夜の国の魔物と、夜の国の子
私のコサージュをあっという間に粉々にしたグラヴィスが、うず高く積まれた本の上に座り、長い足を組んだ。
「このポンコツ弟子、盗聴されているのにも気づけないなんてまだまだ修行が足りないわ」
「盗聴!? いったい誰が? 我が研究所を盗聴して何の利益が!?」
オロオロと手を彷徨わせるユフディをしり目に、私は不思議なくらい落ち着いていた。心当たりはすぐに思いつく。
「ローラハム公の仕業ですね」
「フン、もちろんこの悪趣味な意匠はローラハムに決まってるじゃない。さっき壊した悪趣味なアクセサリーは遠隔からこちらの声を聞く魔術具よ。アカデミー時代のローラハムはね、魔法が使えないから、ひたすら魔術で補っていたの。だから、こういう魔術具の作成は朝飯前、むしろ得意分野ってわけ」
ユフディはグラヴィスの言葉を受けて、床に散らばったコサージュの破片を拾い、まじまじと見つめた。
「……グラヴィスちゃんの言う通り、魔力を感じる。確かにこのコサージュは魔術具じゃ……。ということは、ずっと話が筒抜けじゃったんかいな」
「そうでしょうね。まあ、聞かれて困る話でもあったんじゃない?」
そう言って、グラヴィスは人の悪い笑みを浮かべた。
「例えば、アイゼンテール家の謎の深窓の妖精嬢、エリナ・アイゼンテールの正体とか、ね」
ユフディは訳が分からず、私とグラヴィスを交互に見やる。私達の間に、しばらく気まずい沈黙が流れた。
(ゾーイはローラハム公にグラヴィスちゃんとの一件を話したんだわ)
通りであの心配性のゾーイが、猫可愛がりしている私を大魔女の元に赴くのを許したはずだ。裏にはローラハム公がいたのだ。そしてローラハム公は、この研究所で話される何かを、聞こうとしていた。
グラヴィスは頬に手を当てて、小首をことんと傾げる。
「じゃあ、話を元に戻しましょう。ユフディ、エリナ・アイゼンテールが何属性の魔女なのか当ててみなさい」
「お、おう、いきなりクイズときたか。そうさな……、エリナ君が持ってきた報告書にはいろいろ書いてあったが、全ての魔法をエリナ君が使ったとは儂は思わん。なんせ、喜・怒・哀・楽すべての属性の魔法が組み合わさっていたからの。エリナ君のそばにいた人物も魔法を発動したはずじゃ。それを踏まえて一つ一つ検証の必要が……」
「ハズレよ」
ユフディの長い所論をあっさり否定すると、グラヴィスは小さく呪文を唱え、ひらりと手を振った。刹那、足元に強い風が吹き荒れる。ソファの下にいたオスカーが、まるで何かに捕まれたかのようにグラヴィスの前に引っ張り出された。
無理やりグラヴィスの前に引きずり出されたオスカーが、助けを求めるように私に向ける。
「……ッ! オスカー! グラヴィスちゃん、オスカーに何を!」
「不肖の弟子たちに教えましょう。ヒントはこれよ」
私の叫びはあっさり無視された。見えない力に抵抗し、暴れまわるオスカーに、薄く微笑んだグラヴィスの手が触れる。まばゆい光が部屋中に広がった。
(ま、眩しい……!)
私は反射的に目をつむる。ユフディがパニックを起こしたように叫び、グラヴィスの高笑いが部屋中に響いた。
ややあって、ドサッと何か重いものが床に落ちる音がして、グラヴィスがふう、とため息をついたのが聞こえた。
「やはり、思った通り。二人とも、そろそろ目を開けなさい」
恐る恐る目を開けると、まず散らかった部屋が目に入った。オスカーの姿がない。満足げに微笑むグラヴィスの前に、褐色の肌の一人の男が床に這い、顔だけあげてグラヴィスを睨んでいる。男の横顔から見える鼻梁は彫刻のように整っており、どこか人間離れしているようにも見える。長い黒髪に隠れて、瞳の色は見えない。
急に現れた男にユフディが驚きの声をあげる。
「だ、誰じゃ……? いつの間に儂の研究室に入った?」
「馬鹿ね、ユフディ、アナタが招き入れたじゃない」
軽やかに笑うと、ウラヴィスはしなやかな腕を伸ばし、黒髪の男の顎をくいっと上げる。男の黒い髪がハラハラと形の良い額を流れた。現れた目は見慣れた黄金色だ。
「……黄金色の瞳!? まさか、オスカー?」
「……ゥン、……ァ…、エリ……ナ……」
男は低いしわがれた声で頷き、怯えたように私に身を寄せる。
「……オデ、…コノ、マジョ……コワァ、イ……」
驚くべきことに、私の推測は当たったようだ。急に現れた男は、オスカーだった。グラヴィスは満足げに深く頷く。
「そう、この男の正体はアナタの連れてきたあの黒犬よ。アナタはずっとこの男と行動を共にしていたってこと」
「全然気づかなかった……。オスカーって人間だったのね……」
「フフフ、まさか。コレは人間なんかじゃない。ただの異境の魔物よ」
「異境の、魔物……?」
「おおかた黒妖犬かなにかかしら? 人の形をとれるということは、それなりに長く生きてきた証拠ね。まあ、なんだっていいわ」
肩を竦めたグラヴィスに、呆然としていたユフディが我に返ったように怒鳴った。
「い、異境の魔物じゃと!? その男、夜の国の魔物だと言うのか! い、いけない、エリナ君どきなさい! 危険じゃ!」
ユフディはそう言うと、呪文を唱え始める。部屋中に熱気を帯びた風が吹き荒れ、バサバサとぶ厚い本たちが宙を舞う。魔法を使おうとしているのだ。
私は反射的にユフディとオスカーの間に入った。
「だ、ダメです! この子はオスカー、私の連れてきた黒犬なんです!」
「エリナ君が連れてきた仔犬でじゃろうと、夜の国のモノはいかん! いやはや、最初から分かっていたなら、この研究所に招き入れなかった。我々に害を与えかねん存在じゃ! 排除せねば! さあ、そこをどきなさい!」
「害を与える存在であれば、犬の姿の時にとっくに攻撃しているはずです! 攻撃にふさわしいタイミングはいくらでもありました」
「そ、それは……、そうじゃが……」
私の反論に、ユフディの言葉が尻すぼみになる。私達の様子を面白そうに見ていたグラヴィスが、ユフディが攻撃をやめると、つまらなさそうに唇を尖らせた。
「なぁんだ、ここでバチバチやりやってくれれば話は早かったのに。……さて、クイズの続きよ。エリナ・アイゼンテールの属性は何? ヒントは、このヒトもどきとエリナは、全く同じ魔力を持っているってことよ」
「……!? そんな、それは、それだけは絶対にありえん!!」
「ありえるでしょう。夜の国の魔物がそれほどまでに懐いていることも、喜・怒・哀・楽どれにも当てはまらない魔法がつかえることも、ちゃんと説明がつくわ。それに、この博識のグラヴィスが言うことなのだから、正しいに決まってるでしょ」
ユフディはしばらく考えたものの、もう一度、ありえない、と激しく頭を振る。
訳が分からず、呆然としている私に、グラヴィスは怪しいまでに赤い唇で笑う。
「エリナ、ネタばらしをしてあげる。アナタの魔法の属性は、虚」
「……虚?」
「エリナ・アイゼンテール、アナタは虚の魔法が使える、夜の国の子なのよ」
グラヴィスがそう言った途端、玄関のベルが鳴り響く。そして、無遠慮にドアをガチャガチャと鳴らす音が聞こえた。
「やだ、思ったより早かったわね」
グラヴィスはため息をつくと、片手を振る。人間の姿になったオスカーがたちまち煙に包まれ、見慣れた黒犬の姿に戻る。オスカーは驚いたようにクルクル回ったが、ややあって嬉しそうに私の足元にすり寄ってきた。
グラヴィスは立ち上がって伸びをする。
「さあ、今日のレッスンはお開きにしましょ。ユフディ、客人よ。さっさと迎えなさい。このままだとドアがまた壊れるわよ。あと、私は疲れたから寝るわね」
「グ、グラヴィスちゃん、話が途中で……!」
「私は疲れたの。これ以上、この姿を保てな……」
みなまで言うことなく、奥のクッションにグラヴィスは仰向けに倒れこむ。シュルシュルと何かが擦れるような奇妙な音をたて、あっという間にグラヴィスの姿は老婆に変わった。
やれやれ、とばかりにユフディは首を振り、玄関に向かう。老婆の姿になったグラヴィスが、皺だらけの瞼を少しだけあけて、私を見つめた。
「エリナ、わかっていると思うけど、ローラハムには用心なさい。またここに来たいのであれば――、いえ、アナタが真実を知り、魔法を極める気があれば、またいつでもここへ来ればいい。もしアナタが真実から目をそらし、今の魔法が使えない状態に甘んじたいのであれば、今日の話でもなんでも、ローラハムにすれば良いわ」
「……また来ます」
「よろしい、それでこそ我が弟子。真実の究明こそが魔法の礎となるわ。さあ、手を出しなさい」
「……あっ、このコサージュ。直しといてくれたんですね」
「直したっていったって、形だけよ。魔術具としての機能はもうないわ。まあ、この研究所はこんなに高そうなアクセサリー代を弁償できるほど、裕福ではないの」
茶目っぽくウィンクすると、グラヴィスは長く息をはいて、眠りにつき始める。
それと同時に、二人分の騒がしい足音がこちらに向かってきた。足元にいたオスカーが不機嫌そうに低く唸る。
「き、君は誰じゃ! 名乗ってからこの家に入れ! こら、止まらんか!」
「エリナ、エリナ、どこだ!」
突然侵入してきたらしい来訪者に怒るユフディの声に交じって、聞きなれた低い声が私を呼ぶ。
部屋のドアが開き、背の高い黒髪の美男子が顔を出した。私の顔をみて、少しホッとした顔をする。
「え、シルヴァ様?」
予期せぬ人物の登場に、私は驚く。シルヴァの陰から現れたユフディは、私の反応を見て意外そうな顔をした。
「なんだ、エリナ君の知り合いかね! 急に入ってくるからてっきり強盗かなにかかと!」
「高名なるユフディ師よ、挨拶が遅れて申し訳ない。俺も急いでいたんでね。俺はエリナ・アイゼンテールの婚約者、シルヴァ・ニーアマン。今日のところはエリナを帰してもらう。なんせ俺の婚約者殿は身体が弱い」
一気にそれだけいうと、シルヴァは大股でこちらに来て、断りもなしに軽々と私を持ち上げる。
「えっ、ちょっと! シルヴァ様!」
「俺も仕事を抜けてきた。急いでるんだ。ということで、婚約者が世話になったな」
そう言って、ヒラヒラと手を振ると、来た時と同じように唐突にシルヴァは踵を返して部屋を後にした。戸惑う私に、別れの挨拶もさせないまま。





