36.不可解な出来事
(こ、これは走馬灯なのかな)
私はぼんやりと思う。
迫り来る土砂も、私を必死で庇おうとするシルヴァの動きも、何もかもがスローモーションに見える。
(あれ、走馬灯って自分の人生を振り返るような映像がながれるんじゃなかったっけ?)
シルヴァが私を迫り来る土砂から守ろうと私を荒々しく伏せさせ、覆いかぶさるようにして私を抱きしめた。バラバラと細かな砂や石が頬を打つ。シルヴァが私を庇ったところで、迫り来る巨大な土砂から体を守ることはできないことはわかりきっている。
逃げて、と言ったのに、シルヴァは結局私を守ろうと身を呈してくれた。
(私がモタモタしたばかりに、巻き添えにしてしまって申し訳ないな)
私はシルヴァが回した腕にただ守られることしかできない。なんて無力なんだろう。
迫り来る土砂の中には大小の岩石が混じっていた。この岩石と土砂に押しつぶされてしまえば、私たちはひとたまりもない。
(ああ、この岩石、なんかもったいないんだよなあ。壊れた橋に材料に活用できたらいいのに)
身体中がカッと熱くなったのを感じながら、私は死ぬ間際にそんな馬鹿げたことを考えていた。
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「エリナ嬢! シルヴァ殿! どこだー!!」
誰かに呼ばれてハッとした時には目の前が真っ暗だった。ただ、覚悟していたような苦しさは感じない。
「あれ、苦しくない? 生きてる……」
「……嘘だろ」
私に覆いかぶさるようにして膝をついていたシルヴァが恐る恐る上体を起こすと、まっさきに澄んだ秋晴れの青空が見えた。どうやら私の視界が真っ暗だった原因は、シルヴァの体躯が視界を遮っていたのが原因だったようだ。
「た、助かりましたね?」
「……らしいな」
私とシルヴァは不可解な顔をしながら、二人で見つめあってほっとため息をついた。二人とも泥と埃だらけだが、目立ったところに怪我はない。
あたりを見渡すと、土砂はきれいに私たちを避けて流れていた。まるで、私達を何か見えない壁が守ったように。
土砂崩れはだいぶ大規模だったようで、先ほどまであったはずの舗装された石畳の道は跡形もなくなっていた。木々がところどころ根元からなぎ倒されている。
「立てるか? ここにずっといるのは危ない。移動するぞ」
私はシルヴァの手を借りて、何とかふらふらと何とか立ち上がった。足にうまく力が入らず、倒れかけるのを慌ててシルヴァが支える。
「おい、大丈夫か!?」
「えっと、たぶん、腰が抜けちゃったみたいで」
「ああ、なんだ。怪我はしてないな?」
「えぇ……。どこも大丈夫です」
私の返答に、ほっとしたようにシルヴァはため息をついた。
「おーい、俺たちは無事だ! ここにいる!」
シルヴァがよく通る声で助けを呼ぶと、すぐに人影が見えた。デイ男爵だ。
「あっ、いた! 二人とも無事だ! おい、見つけたぞー! こっちだ!」
デイ男爵が私たちを見つけて驚きの声をあげ、それを聞いた住民たちがぞろぞろと集まってきた。
「おい、本当だ!二人とも生きてるぞ!」
「土砂の動きがおかしいとは思ったが、こりゃ奇跡だ!」
住民たちは私たちの姿を見てとにかく驚いている様子だった。こんなにも大規模な土砂崩れで生き残ることができたのだから、無理もない。
「あの土砂崩れで生き残ったことについては、俺たちが一番驚いてるけどな」
シルヴァが私だけにしか聞こえない声で呟く。私も小さく頷いた。
住民たちの先導で、私達は安全な場所へ足早に避難する。ざっと見た感じ、あの場にいた住民たちは皆、怪我もなく無事なようだった。皆、私の声を聞いて命からがら逃げだせたらしい。
「こんなでかい土砂崩れでも誰一人として死ななかった! 奇跡としか言いようがねえ!」
「その通りだ。これも最初に土砂崩れに気づいたエリナ様の一声のおかげだ。星々の思し召しかもしれねぇ。ありがてえことだ」
口々に騒ぎ、私に頭を下げ始める住民たちをなだめて、デイ男爵はよく通る声で朗々と話し始める。
「皆がわかっている通り、我々の命はエリナ嬢のおかげで助かったようなものだ。領主として心からの謝意を表したい」
デイ男爵は深々と私に礼を取る。住民たちも一斉に頭を下げる。私は慌てて首を振った。
「あ、当たり前のことをまでです」
「そう謙遜することはない。間違いなく、エリナ嬢は我々の命の恩人なのだからな。もちろん礼はするつもりだ」
改めてデイ男爵は住民たちに目を向け、テキパキと指示を出し始める。
「とにかく、みんな無事で何よりだ。このまま、村に今日は戻るぞ。再び土砂崩れが起きる可能性もあるから、森はしばらく立ち入り禁止だ。橋の件に関してはまた後日改めて考えよう」
デイ男爵の言葉に、住民たちは思い思いに返事をし、ぞろぞろと村への帰路へつき始める。男爵も大股で皆の先頭を歩き始めたので、私は慌てて後を追った。
「あの、デイ男爵! 借りていたあの美しい鹿毛の牝馬ですが、土砂崩れから逃げられるよう、手綱を放してしまって……。どこに行ってしまったか、ご存じありませんか?」
「ああ、馬のことなら大丈夫だ。住民何人かが猛スピードで村に戻る二匹の馬を目撃している。あいつらも賢いからな。恐らく、今頃村の馬房に戻っているはずだ」
「……それは、良かった」
「それよりも、ここから村まで距離があるが歩いて帰ることはできるか? エナには療養に来ているというのに、こんなに動かせるとは、俺もさっきからちと心配になってきてな」
あご髭を撫でながら、デイ男爵は心配そうに首をかしげる。
「ここあたりで待っていてもらえれば、先に人を行かせて、馬を取ってこさせるが……」
「いえ、心配には及びませんよ、デイ男爵」
いつの間にか私たちに追いついていたシルヴァが話に割って入ってくる。
「地盤が緩んでいる今、ここに残るほうが不安です。まあ、いざとなれば俺が婚約者を担いで帰ればいい」
「おお、それはさぞかしエリナ嬢にとっても心強いだろう。さすが、屈強な騎士が揃う第一騎士団の騎士殿だ。噂に違わぬ健剛っぷりだな」
「婚約者よりいつも身に着けている甲冑のほうが重いくらいですから、いつもの鍛錬よりはずっとマシです」
シルヴァはそう言って悠然と微笑んでみせる。デイ男爵は納得したようで、それでは任せたぞ、と大きく頷いた。
蚊帳の外だった私は慌てて口をはさむ。
「わ、私は担がなくても大丈夫ですから! これくらいの距離なら平気で歩けますよ!」
「はっはっは、エリナ嬢もなかなかにたくましい。まあ、無理はなさらんことだ」
デイ男爵は歯を見せて笑うと、ふとまじめな顔になり、後ろを歩く住民たちに聞こえないように、声を潜める。
「して、エリナ嬢。今回のアレは、どのような魔法ですか?」
「え?」
いきなりのデイ男爵の質問に、私は当惑する。
「ま、魔法……?」
「土砂崩れを予測し、その上あれほどの大魔法を使うとは、御見それしました。あのような偉大な魔法、私は見たことがありません。エリナ嬢は優れた魔法使いとお見受けした。さすが魔法貴族アイゼンテール家の出自なだけありますな」
「……えっと、誤解しているようですが、私、魔法はまだ使えないのです」
私は素直に答える。土砂崩れの予測ができたのは元いた世界の学校教育の賜物だし、そもそも、私は自分の魔法の属性すらまだはっきりわかっていないへっぽこ魔法使いなのだ。
デイ男爵は虚を突かれたような顔をした。
「……またまた、エリナ嬢はよく謙遜なさる方だ」
「いえ、本当なんです。おそらく、あればシルヴァ様がやったのでは……」
話を振ったシルヴァが途端に引きつった顔をした。
「いや、絶対に俺じゃない。とっさにあんな芸当、俺にはできかねるからな」
「え……」
じゃあいったい誰が、と私達3人は顔を見合わせた。





