37.帰路と秘密
結局、私はデイ男爵の邸宅に到着する前に、情けなくシルヴァに背負われていた。膝は笑い、足が棒のようだ。身体が鉛のように重い。私が体力をつけるために日々していた庭の散歩は、まだまだ温かったらしい。
(帰りの道のりくらい平気で歩けるとかなんとか自分で豪語しておいて、結局このザマよ……)
チラチラと周りを歩く人たちからの、心配そうな視線を感じて恥ずかしい。改めてこの身体の体力のなさを呪いたくなる。私が重いため息をつくと、私を背負っていたシルヴァが反応した。
「よほど疲れているようだが、大丈夫か?」
「いえ、疲れてはいないのですが、あの、私重くないですか……?」
「問題ない。さっきも言ったが、これくらい騎士団の訓練と比べたらはるかにマシだ。なにより、俺の婚約者殿は羽のように軽いからな」
シルヴァは揶揄い交じりに軽やかに笑う。多少は社交辞令も含まれているだろうけれど、シルヴァの言葉に嘘偽りはなさそうだった。私を背負いながら長距離を歩いているのにも関わらず、シルヴァは息も上がっている様子もなければ、疲れている様子もない。それどころか、額には汗一つかいていないのだ。デイ男爵が称賛していた通り、さすが屈強な騎士団の騎士の一人なだけある。
ただ、さすがに私を負ぶっている分足取りも重くなるようで、いつの間にか私たちは村へ向かう集団の最後尾を歩いていた。
沈みかけた眩しいほどの夕日がエナの森を赤々と照らし、私達の影を伸ばす。
「あの、私も体力をつけたいので、参考までに教えてほしいのですが、騎士団での訓練とは実際何をするのですか?」
「うーん、よくやるのが麦袋をいくつか担いで崖を昇降したり、甲冑をつけたまま川を泳いだりする訓練だな」
私は絶句する。まるで参考になりそうもない。というか、そんな無茶な訓練を実行したら確実に私は死ぬ。
「それから、変わったものだと、家畜を担いで丘を全力疾走する訓練とかもあるな。アイツら暴れるから疲労も倍増……」
「あ、もう大丈夫です。参考にならないことだけは十分にわかりましたので」
「ははは、そうかもしれないな。まあ、正直なところ、魔法を使ったのであれば、ここまで疲れているのも納得がいくんだが……。一般的に、魔法を使うと体力が著しく消耗するものだからな」
「何度も言いましたが、魔法を使った覚えはありませんよ」
シルヴァもデイ男爵も、私が土砂から身を守るために魔法を使ったと信じきっているようだった。ただ、私は魔法を使った覚えは一切ない。結局、どうして私たちが土砂崩れにまきこまれて無傷で済んだのかは真偽不明のままだ。
「あれは、シルヴァ様が守ってくれたのではないのですか?」
「それはないだろうな」
確かに、と私は頷く。土砂から飲み込まれる寸前、シルヴァは魔法を使ったようなそぶりは全く見せなかった。
「俺は『喜』の魔法使いだが、情けない話、土砂崩れの瞬間はとてもじゃないが喜びの感情なんて思い起こすことはできなかった。恐ろしくてたまらなかったからな」
「そう、ですよね」
魔力の使用は、感情のコントロールが必要になる。それゆえに、魔法を使うにはいついかなる時でも感情を制御する必要がある。しかし、今回のように土砂崩れに巻き込まれながら感情のコントロールをしろ、と言われても難しいだろう。たとえ、シルヴァのような優秀な魔法騎士であっても、だ。
そうはいっても、私が魔法を使ったとも考え難い。
「私の場合は、まだ自分の属性すらわかってませんし、喜・怒・哀・楽どの感情に由来する魔力もごく微量で、手元を照らしたり、そよ風を起こしたりするのがやっと……程度のありさまなので」
「うーん、そうなんだよな。ただ、逆に考えると、なんらかの条件がそろってあの瞬間、どの属性かの魔力が開花したと思えば説明がつくんじゃないか?」
「何らかの理由……?」
「例えば、あの土砂に巻き込まれる瞬間、何を考えていた? 土砂に飲み込まれる恐怖か? それとも、死ぬかもしれない悲しみ? はてまた馬や民たちを助けた達成感か?」
「あの時は……」
私は首を傾げた。土砂に飲み込まれるあの瞬間、何もかもスローモーションのように見えたのはしっかり覚えている。迫りくる土煙も、私を必死で守ろうとするシルヴァも。
ただ、自分が何を考えていたかと言われると、あまり記憶がさだかではない。
(ただぼーっと、土砂の中の岩が橋になればいいのにな、って思ってた気がするけど……)
我ながら、死を前にしている思考にしては暢気すぎる気がしてさすがに恥ずかしい。これを言ってしまうと、必死で私を守ろうとしたシルヴァに呆れられてしまう気がして、私はとっさに頭を振った。
「すみません、実はあんまり覚えてなくて」
「まあ、そうだよな。あの時にパニックになるのも無理はない。さすがの俺も、あの瞬間死を覚悟したからな」
シルヴァは軽く苦笑する。
迫りくる土砂を前に、逃げて、とは伝えたものの、シルヴァはモタモタする私を置いて逃げなかった。それどころか、決死の覚悟で私を庇い、守ろうとしてくれたのだ。
「……あの、もっと早く礼を言うべきでしたが、土砂から私を守ろうとしてくれて、ありがとうございました」
「おいおい、いきなりなんだ。照れるじゃないか」
「あの時、シルヴァ様は私を見捨てて走り去っても、誰もきっとシルヴァ様のこと、責めたりはしなかったと思います。でも、シルヴァ様は私を助けようとしてくれた。それって、すごく勇気がいることだと思いますし、すごいことだと思います。シルヴァ様の気高い騎士道精神に、感服致しました」
ありがとうございます、と重ねて礼をいう私に、シルヴァはしばらく何も答えなかった。いつもよどみなく話の受け答えをする彼にしては珍しい。
「あの、シルヴァ様……?」
私は背負われているので、シルヴァの表情をうかがうことができない。かろうじて見えている青みがかった黒髪に見え隠れする耳が、かすかに赤くなった気がした。あたり一面を赤色に染める夕焼けがそうみせているだけかもしれないけれど。
しばらくして、シルヴァは口を開いた。
「……いや、すまない。驚いてしまってな。貴族のご令嬢なんて守られるのが当たり前の存在なんだ。そうたいそうな礼を言う必要もないんだぞ」
「当たり前のことだとは思いませんけれど……」
私の言葉に、シルヴァは皮肉げに鼻を鳴らす。
「……当たり前のことをしたまでだ、と言いたいところだが、いつもの俺なら、逃げていたな。どういうわけか、身体がとっさに動いたんだ。……つくづく俺らしくないことをしたと思う、全く」
「誰だって、あのような場にいたら逃げるに決まっていますよ」
「あまり買いかぶってくれるな。そもそも、守ろうとしたのは確かだが、実際あの土砂に飲み込まれてしまっては、俺は何の役にも立てなかっただろう」
「……勝算の見込みがない条件下での自己犠牲の精神は、あまり感心できません。次こういうことがあったら、私を見捨ててさっさと逃げてくださいね」
「次があってたまるか!」
間髪入れぬシルヴァのツッコミに、確かに、と私は頷いた。できれば金輪際こういう目には遭いたくない。
「……お、村が見えてきたな」
シルヴァが前方を指さす。木々に隠れて、エナの村が見えてきた。人家には明かりがぽつぽつと灯り始めている。
「シルヴァ様、ここで私を下ろしてくださいな。背負われている姿なんてゾーイとミミィに見られたら、余計な心配をさせてしまいそうで」
「まあ、それもそうだな」
私は礼を言ってシルヴァの背から下りた。足は相変わらず疲労で重いが、背負われているうちに多少は回復したらしい。先ほどよりだいぶましだ。
村の人々には先に土砂崩れがあったことがすでに伝わっていたらしく、橋の様子を見に行った男たちの帰りを家族たちが村の入り口で待っていた。
村人たちがこちらに駆け寄ってくる。
「あんた、無事でよかった!」
「土砂崩れが起こったと聞いて、気が気ではなかったよ!」
口々に村で待っていた住民たちが皆の無事を確かめ、喜び、抱き合う。
(みんな無事でよかった……)
ほっとしている私の横にいつの間にか立っていたデイ男爵が、私の背中を軽くたたいた。
「エリナ嬢、改めて皆を代表して礼を言わせてくれ。誰も失うことなく、みなこうやって無事に帰ってこられたのは、エリナ嬢のおかげだ。ありがとな」
「……いえ」
「今すぐにでも皆の前でエリナ嬢の功績を讃えたくて仕方がないのだが、疲れているようだし今日はやめておいたほうがいいか?」
男爵の申し出に、私は慌てて首を振る。気恥ずかしいし、何より一刻も早くシャワーを浴びて身体中の泥汚れを落としたい。私の反応に男爵は少し残念そうな顔をしたが、軽く頷いた。
「俺はもう少しこっちで用事があるから、先に帰ってくれ。すまないが、キリーと母上に遅くなる旨もできれば伝えてほしい。それでは、またあとで」
「ええ、わかりました」
私とシルヴァは頷くと、騒ぐ住民を横目にそっとその場を去った。
「シルヴァ様、ゾーイとミミィには今回のこと言わないでくださいね」
「さすがに言われなくてもそうするつもりだ。あの二人に本当のことは言ったら、泡を吹いて卒倒するぞ」
「さすが、短い付き合いながら、二人のことをよくわかっていますね」
私はシルヴァの答えに頷く。あの二人に今回の一件はなるだけ知られないほうがいい。デイ男爵家の邸宅の明かりが見えたころ、ふいに、二つの人影がこちらに向かってくるのが見えた。
「噂をすれば影ってな」
シルヴァが口笛を吹く。ゾーイとミミィだ。どうやら、デイ男爵家の邸宅の前で私の帰りを待っていたらしい。
「お、お嬢様が帰ってこられました!」
「エリナ様!」
駆け寄ってきた二人ともすでにすっかり憔悴しきった顔をしていた。
「土砂崩れに巻き込まれたと聞きました。まあまあこんなに泥だらけになって」
やはり二人にも土砂崩れの一報が届いていたらしい。泥だらけの私の顔を優しくゾーイのふくよかな手が拭いた。そして、ゾーイは耐えられなくなった様子で私を強く抱きしめておいおいと泣き始める。後ろに控えていたミミィも、大きな目からこぼれ落ちるような大粒の涙を流した。
「先に村に馬だけ帰ってきたと聞いた時はもう、お二人が心中でもしたんじゃないかと思いました……。そしたらすぐに土砂崩れに巻き込まれたなんて一報が入ったものだから。もう気が気ではなくて」
「心配かけてごめんなさい」
「本当に、本当にゾーイは心配したんですよ。明日は念のために一日お休みしましょう。怪我がないか念のためにお医者様にも見ていただきますからね」
ミミィも「無事でよかった」と、涙声で頷く。
「見ての通り、土砂崩れには巻き込まれてないわ。私は無事だし、怪我もしてないから安心してね。それより、すぐにでもお風呂にはいりたいかも。泥だらけだし、着替えもしたいわ。二人とも、準備をお願いできる?」
ミミィとゾーイは即座に頷いて家の中に戻る。
私の横で静かに立っていたシルヴァがそっと小さな声で私に向かって呟いた。
「俺たちに限って心中はないだろ……」
「まあ、そうですね」
「こりゃ、本格的に今日のことは内密にしないといけないな。大げさじゃなく本当のことを聞いたら二人は泡を吹いて倒れるぞ」
私はシルヴァの言葉に真剣な顔で頷いた。





