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34.騎士の義務

 デイ男爵家の屋敷の夕日がよく見える客室で、私と私の婚約者、シルヴァ・ニーアマンは久しぶりの再会を果たした。


「私とミミィは夕食の準備がありますので、ごゆるりとお二人の時間を過ごしてくださいませ」


 積もる話もあるでしょうから、とゾーイは付け足すと、私たちを置いてゾーイとミミィ、それからゾーイの母、バセロナはニコニコ笑いつつそそくさと退散する。部屋には呆然とする私と、微笑むシルヴァと、ソファを陣取ったオスカーが残された。

 しばらくの沈黙の後、私はため息をついて腕を組むと、シルヴァに向かい合う。上目遣いで睨むと、シルヴァは軽く肩をすくめた。


「久々に会った婚約者に向かって、そんなに怖い顔するなよ」

「どうして事前に教えてくれなかったんですか?」

「うーん、まあ事前に言ったら断ってくるのが目にみえてたからな。いつもの通り、仕事優先してください、ってな。だから、仕方なしにゾーイさんに相談したってワケ」


 つまり、ゾーイはグルだったらしい。ついでに、おそらくミミィも。


「……仕事は?」

「これはれっきとした仕事だ。ここからブルスターナまでの山道は山賊も多いから、護衛が必要なんだよ。護衛は騎士団の仕事のうちの一つだからな。カウカシア国民を守るのは騎士の義務だ」

「……上長の方の許可は?」

「そうくると思った。これが騎士団長のサイン入りの護衛任務の行程書。これで文句は言えないだろ?」


 シルヴァはそう言って、胸元のポケットから一枚の書類を取り出してみせる。全く反論できなくなってしまった私はぐぬぬ、と唸った。

 今回の件に関して言えば、シルヴァのほうが何枚か上手だ。悔しさで唇を噛む私に、慣れた様子で片目をつぶってウィンクしてくるあたり、どうしても相変わらずチャラチャラした印象がぬぐえない。

 私は悔し紛れに口を開いた。


「シルヴァ様の行動は、公私混同しているとしか思えません。護衛なら、他の方でもよかったはずです」

「つれないこと言わないでくれ。せっかくこうやって大手を振ってエリナに会うチャンスが巡ってきたんだから」


 そう言うと、シルヴァはふわりと手を広げて首をかしげてみせる。抱擁しよう、という意味だとしっかり気づいたものの、私はシルヴァを思いっきり無視してオスカーが陣取るソファへ腰をかけた。

 オスカーは膝の上に頭をぽてりとのせる。


「おいおい、抱擁くらいさせてくれよ」

「いくら婚約しているとはいえ、婚儀前の男女が抱き合うなんてはしたないです。遠慮させていただきます」

「相変わらず、俺の婚約者殿はお堅いな」


 そう言ってさりげなく私の座っているソファに腰掛けようとしたシルヴァに、突然寝ていたオスカーが猛然と吠えはじめた。牙をむいて。

 さすがのシルヴァも、オスカーのあまりの剣幕にたじろいだようだ。


「……ああ、これが噂の仔犬か」

「名前、伝えていませんでしたか? オスカーって名前です」

「ふぅん、やけに立派な名前をもらってるじゃないか」


 しばらくオスカーとシルヴァは睨みあっていたものの、結局シルヴァが先に折れ、少し離れた腰掛に腰を下ろした。オスカーは再びシルヴァを一睨みすると、再び私の膝の上に頭をのせて心地よさそうに目を細め、ウトウトし始める。


「俺はその犬にずいぶん嫌われたらしいな」

「オスカーがあそこまで敵意むき出しにしているのは初めて見ました。いつもは大人しい子なんですけどね」

「これじゃ、番犬だな。俺は婚約者にうかつに近づくこともできない」


 シルヴァが苦い顔をしたが、ふいに嬉しそうに顔をほころばせた。


「思ったより顔色が良いな。元気そうで何よりだ」

「おかげさまで。……婚約パーティーで倒れてからは、御迷惑おかけしました。あの、いろいろ気を遣わせてしまったみたいで」

「……迷惑だと思ったことはないが、とにかく心配した。春の間高熱にうなされてずっと目を覚まさないし、ダメだと言われた時もあったからな」

「……」

「本当に、安心した。回復したとは聞いていたし、手紙のやりとりもしていたが、こうやって直接会って、また話がしたかったんだ。護衛任務の話も、実はかなり無理を通した」


 そう言って、シルヴァは感慨深げに私を見つめる。漆黒の瞳が熱心にこちらを見つめているのが無性に恥ずかしくなり、私はごまかすように俯いた。オスカーは気持ちよさそうに私の膝の上で寝ている。


(私は、この人がどれくらい本気でこういうことを言ってくるのかよくわからない)


 シルヴァが8つも年下の私と婚約した理由は、わかりきっている。アイゼンテール家の財力と権力、そして貴族としての地位だ。かわいそうなシルヴァは、そのために私のような幼い少女と婚約させられることになった。本来私のような年下の婚約者なんて、内心厭わしくて仕方ない存在だろう。

 それでも、時々こうやって真剣に見つめられる熱を帯びた瞳に、驚いてしまう時がある。


(あっ、もしかして実は少女趣味(ロリコン)だったりするのかな……)


 それはそれでやだな、と思いつつ、私はオスカーの頭を撫でた。


□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇□◇


 夕食ができた、とミミィに呼ばれ、シルヴァと共に階下の食堂へ降りると、大柄な男性がこちらを見て微笑んだ。


「いやあ、挨拶が遅れて申し訳ない。エリナ嬢、そしてシルヴァ殿、ようこそ我が領土へ! ここは何もない場所だが、きれいな水とおいしい空気だけは豊富にあると自負している。ゆっくりしていってくれ」


 鷹揚(おうよう)に笑って私の手をがっちり握るのは、ゾーイの兄であるトーリス・デイ男爵だ。白髪は混じっているが、ゾーイと同じ豊かな茶色の髪と、優しい目元が、二人が兄妹だと如実に物語っている。

 握手の後で、男爵は改めて家族を紹介してくれた。


「これが母のバセロナで、これは我が妻のキリー。それから、メイド二人にと執事一人がいる。何か困ったことがあれば誰かに声をかけてくれ」


 キリーと呼ばれた、くすんだ金髪の女性が夕食を配膳していた手を止め、おっとりと頭を下げた。キリーは夕食を運び終えると、私達を席に案内する。食卓にはすでに色とりどりの夕食が並んでいた。どの料理も素朴だがおいしそうだ。

 男爵は手ずから発泡酒をふるまい、料理を盛り分けてくれた。キリーやバセロナも懇切丁寧に料理の説明をしてくれる。


「これは、この前採ってきたばかりのキノコで作った煮つけで、こちらの伝統料理なの」

「わあ、美味しいです」


 素朴な料理の数々に舌鼓をうちつつ、私は微笑む。私の隣に座っていたシルヴァも、全ての料理を絶賛しながら片っ端から平らげていく。相変わらず気持ちがいいほどの食べっぷりだ。

 おいしい料理が気分をほぐしたのか、食卓は笑顔が絶えない。アイゼンテール家には全くない、家族のだんらんに、私はなんとなく元の世界の家族のことを思い出して懐かしい気持ちになった。


「いやあ、こんなにわが家の夕食が賑やかなのも久しぶりだなぁ! うちの息子や娘たちはみんな独り立ちしてしまったし、元領主(じいさん)もポックリ死んだし、この広い屋敷も持て余し気味だった。こうやって客人が来るのは大歓迎だ」


 発泡酒を一気に飲んだ男爵が呵々大笑する。

 バセロナと同じくして、男爵もかなりもてなすのが好きな部類の人物らしかった。ざっくばらんで親しみやすい性格はかなり好感が持てる。


「暖かい歓待、感謝いたします。ところで、先日の大雨で大変な時とお聞きしましたが、大丈夫ですか?」

「ん? ああ、まあ大丈夫じゃないけど、何とかなるだろ!」


 はっはっは、と笑う男爵に、向かいに座るゾーイが呆れた顔をした。


「お嬢様、橋の件はちょっと大変みたいなんです。デイ男爵領はほとんど林業で生計をたてているんですけれど、森に向かう橋が壊れてしまったみたいで」

「ええ、それってかなり大変じゃない! 仕事ができないってこと?」

「橋が直るまでは、そうなるでしょうね」


 困った顔で頷くゾーイに、男爵は苦り切った顔をする。


「ゾーイ、あまり客人に渋い話をするなよ」

「そうは言ったって、事実なんだから!」

「そりゃそうなんだけどよぉ……」


 しゅんとした顔をする男爵に、ゾーイは厳しい顔をしている。バセロナもキリーもゾーイの言葉にうんうん、と頷いているあたり、どうやらこの家は女性のほうが権力を握っているようだ。


「もしよかったら、明日にでも領土を見て回って良いかしら?」

「おお、特に自慢できるような場所はないが、ぜひ見てまわってくれ!」

「体調が良ければ、馬で遠乗りもしたいのだけど……」

「お、エリナ嬢は馬に乗れるのか! それだったら、うちに栗毛の良い馬がいる。ぜひ、乗ってやってくれ」


 話題が変わったことに喜んだ男爵は嬉しそうな顔をしたが、ゾーイは難しい顔をした。


「いけませんわ! 森は危険ですし、もし万が一のことがあったら……」

「それなら、俺も一緒にいこう。雨でぬかるんでいるところもあるだろうし、何かあったときに俺がいれば対応できるだろう。これも騎士の義務だ」

「まあ、シルヴァ様が一緒であれば安心ですわ! そうして下さいな、エリナ様!」


 シルヴァの一言で、一瞬でゾーイは手のひらをひっくり返す。

 こうして、翌日私とシルヴァは二人でエナの視察に向かうことになったのだった。

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