33.ゾーイの故郷
「お嬢様が羨ましいです……」
馬車の中で揺られながらゲッソリした顔でミミィが呟く。ゾーイも青い顔をして頷いた。
「え、どうして?」
「だってお嬢様、ずーっと寝てるじゃないですか。私、どうしても馬車の中で寝られなくて。たとえ寝られたとしても、今度は夜に寝られなくなってしまって次の日寝不足になってしまうんです」
「ああ、なるほど。私は割とどこでも寝られるからなぁ」
私は苦笑して頷いた。
元の世界ではかなり仕事が忙しかったため、とにかく常に寝不足に悩まされ続けていた私は、いつの間にかいついかなるどんな時、どんな場所でも問題なく寝られることができる特技を身に着けていた。バスの中、満員電車の中、はてまた会社のトイレでも、寝ようと思えばすぐ眠りにつける。
そして、その特技(?)が今、全力で役に立っている。
ミミィがゲッソリとした顔で呟く。
「宿屋の寝心地が悪いベッドにあたると、どうしても寝られませんし……」
「ここのところミミィはずっと寝不足だもんね」
「そうなんです~」
半泣きになりながら、ミミィは困った顔をする。
ゾーイはともかく、ミミィは馬車での旅行が初めてのため、慣れぬ生活にとにかく四苦八苦しているようだった。
アイゼンテール家の城を出発して1週間が経とうとしている。私たちはようやくアイゼンテール家の領土であるオルスタを抜けたところだ。そして、私達は馬車の中でとにかく暇を持て余していた。
私達はよく話すほうだけど、話題にも限界がある。その上、私の体調を考慮して今回の旅程はゆったりめに組んであるため、とにかく移動時間が長いのだ。ということで、退屈な時間を潰すにはもはや寝るしかない。
この馬車の旅でゲッソリしていないのは私だけだ。足もとのオスカーもずっと狭い馬車の中で閉じ込められているストレスが溜まってきたのかだいぶイライラしている。持ってきたお気に入りの骨もボロボロだ。
「ルルリアお姉さまから借りた本をまた読む?」
「いいえ、もう3度は読んだので大丈夫です……」
「そうよねぇ……」
私はミミィに差し出したぶ厚い恋愛小説をそっとカバンの中にしまう。荷物になってしまうからと1冊しか持ってこなかったけれど、もう少し借りてくればよかったかもしれない。
車窓から見える景色はここ最近ずっと森ばかりだ。森を抜ければ街が点在し始めるらしいけれど、ゾーイ曰くあとしばらくかかるらしい。
「そういえば、そろそろお昼でしょう。お腹もすいてきたし、ちょっと馬車止めて、外の空気を吸いましょう」
私が提案すると、ミミィが顔を輝かせ、馬車を走らせていた御者にすぐに馬を止めるよう伝える。よっぽどじっとしているのが耐えられなかったらしい。
ほどなくして馬車は止まり、ゾーイとミミィが手早く後続の荷馬車に駆け寄ると、昼食の準備をし始める。オスカーも勝手に馬車を降りて思いっきり伸びをして嬉しそうに駆け回り始めた。
私は、馬車から少し離れたところでたばこをふかしたりパンをかじったりしている4人の御者たちに声をかけた。
「お疲れ様。ここまで安全にきてくれて、ありがとう」
4人の御者たちは顔を上げて軽く頭を下げた。
彼らはアイゼンテール家お抱えの御者で、オルスタとブルスターナの往来にかなり精通していると聞いている。その上、この旅の用心棒も兼ねており、そこそこ腕もたつようで、心強い存在だ。
リーダー格の背中の曲がった高齢の御者が微笑んだ。
「お嬢様、身体のほうは大丈夫ですかい?」
「私は今のところ大丈夫。座りっぱなしが多少辛いだけかな」
「この調子であれば夕方にはエナにつきますでしょう。エナにはしばらく滞在しますから、その時にゆっくり休んでくだせえ」
「ええ、貴方たちもエナではゆっくり休んでちょうだいね。ちょっとだけど、お給金も弾むわ。おいしいものを食べてね。馬たちもかなり疲れているだろうし、十分休めるといいんだけど」
私がそう答えると、御者たちが一斉に顔を見合わせる。なにかおかしなことを言ったかしら、と首をかしげると、先ほどの年配の御者が恐縮したようにペコペコと頭を下げた。
「お嬢様はこうやってワシらにまで声をかけ、気を遣ってくださる。こんなうれしいことはねえですよ。貴族の方々のなかで、お嬢様はとみに優しい人だ」
「そんなことはないわよ。頑張っている人を報いるのは当然のことだと思うけれど……」
私がそう言った時、ちょうどミミィが私を呼びに来た。昼食ができたらしい。
「それじゃ、午後もよろしくね」
そう言って私が軽く手をふると、御者たちは恭しく頭を下げた。
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御者が言ったとおり、私達は無事に夕方にはエナに到着した。エナはこじんまりとした町で、可愛らしい石畳の通りに赤い瓦屋根の素朴な家々が並んでいる。
「ああ、エナに帰ってくるのは何年振りでしょう!」
久しぶりの故郷に感極まったように目元を潤ますゾーイに案内されて、私達はこのあたり一帯を治める男爵家を訪れた。
男爵家は街と同じように素朴なつくりの屋敷で、私達はしばらくここに滞在することになっている。
「ここがゾーイの生まれ育った場所なのね」
「ええ、生まれてから結婚するまでここにおりました。ここは、全然変わっていませんわ。本当に懐かしくて感慨深いです」
ゾーイは慣れた様子で屋敷のドアを開ける。夕日が差し込んで明るいホールの向こうから、ドアが開いた音に気が付いた誰かがこちらに向かって走ってきた。高齢のご婦人のようだ。
「ゾーイ、ゾーイなのね! 久しぶりねえ。おかえりなさい」
走ってきた気品あふれるご婦人がゾーイを優しく抱きしめた後、温かい笑顔で私たちも屋敷の中に迎え入れる。どうやらゾーイのお母さんのようだ。優しい目もとがそっくりだった。
遅れて私たちの到着に気づいた年かさのメイド二人と執事一人がやってきて、私達に丁寧な礼をしたあと、テキパキと荷物を部屋まで運び入れてくれる。
バセロナは改めて私に柔らかに微笑みかける。緑色をベースにした刺繍のドレスは多少古びていて、目元のしわは深いけれど、不思議なほどに気品があってチャーミングな人だ。
「ようこそ、エリナ・アイゼンテールお嬢様。私はバセロナ・デイです。娘がいつもお世話になっております。手紙で話はよく聞いておりますよ」
「初めまして、エリナ・アイゼンテールと申します。それから、こちらがミミィと犬のオスカーです。これから4日ほど、お世話になります。よろしくお願いいたします」
ミミィが慌ててピョコリとお辞儀をし、オスカーも「ワン!」の一声鳴いた。
「ミミィもオスカーも話には聞いていますよ。ようこそ我が家へ。エナのような山奥の町に寄っていただき、私達は本当に嬉しいのですよ。どうぞ好きなだけ泊まっていってくださいな」
嬉しそうにバセロナは私の手を握って上下に振る。私たちは心から歓迎されているようだった。ウキウキとバセロナは部屋を案内し始める。私たちは三階の眺めのいい一番良い客室に通された。
客間は西向きで、窓からはきれいな夕日が見える。オスカーは我先にと、居心地のよさそうなソファを陣取った。
「孫たちも独り立ちしてしまって、この屋敷も部屋も余っているわ。こんな田舎、めったにお客さんなんて来ないんだから! あまり豪勢なことはできないけれど、精いっぱいもてなさせていただきますわ」
「いろいろと気を配っていただいて、ありがとうございます」
「ごめんなさいね、本来はこの城の領主が挨拶しなければいけないのに、あいにく先ほど、所用で出て行ってしまいまして。もう少しで帰ってきますからね」
バセロナの言葉に、後ろにいたゾーイが目を吊り上げた。
「まあ、お兄様ったらまた猟に出かけたんでしょう! デイ家の主人になってしばらく経ったと言うのに、全く未だに自覚がありませんね」
「ああ、違うのよ、ゾーイ。実は数日前に大雨が降ったのだけど、森の奥の橋が崩れていたと知らせが入ってしまって。あちこちで崖崩れも起きているみたいだし、様子を見に行ったの」
「あら、それは大変!」
ゾーイとバセロナが眉根を寄せてヒソヒソと話し始める。私達はどうやら大変な時に来てしまったらしい。
ようやくゾーイと話し終えたバセロナが私に親しげな微笑みを浮かべた。
「そんなことよりエリナ様、先客の方も着ていらっしゃいますよ」
「え、先客? どういうこと?」
「あら、ナイショだったかしら?」
茶目っぽくバセロナは微笑む。まったく心当たりのない私は、一瞬怪訝な顔をした。先客、と言われても誰かと約束した覚えは全くない。
ふいに、私達の後ろでクツクツと誰かが低い声で笑うのが聞こえた。私は振り返る。
「……え」
思いがけない人の登場に、私は思わず言葉を失った。
「さっきから後ろに立っているんだが、まるで気付かないな?」
青みがかった髪と漆黒の瞳。あいかわらず嫌味なほど整った顔立ち。
「久しぶりだな、俺の婚約者殿!」
「……シルヴァ様!」
そこには、数か月ぶりに会う私の年上の婚約者が立っていた。





