16.婚約者とのひと時
「あれ、これって……」
慌ただしく昼食を終え、空いた時間でパーティーの段取りを確認しているとき、私は思わずゾーイに確認した。忙しそうに書き物をしていたゾーイが手を止める。
「私、ローラハム公に挨拶して、みんなに紹介された後、シルヴァ様とダンス踊らなきゃいけないの? 最初に?」
「……エリナ様、ダンスは……?」
「踊れないかなぁ……」
「そうですよねぇ。まあ、シルヴァ様と現時点でかなり身長差もありますから、踊ること自体に無理がありますし、今回はダンスは免除していただきましょう。アカデミーに入るまでには一通り覚えていきましょうね」
この世界の貴族にとってはダンスは常識と同じレベルの嗜みらしいけれど、私は元の世界でも運動会でソーラン節を踊ったことがある、程度の経験しかない。いきなりダンスを踊れ、と言われてもかなり無理があった。とにかく、今回のダンスが免除されたことで私はほっとする。
私はページをめくり、みっちり詰められたスケジュールを確認しながら、ため息をついた。
「今日、この後はすぐセバスチャンと打ち合わせ、そのままシルヴァ様とお茶、そのあとも予定があって……。ああ、このシルヴァ様の時間、節約できないかなぁ。もったいないなぁ」
「何を言ってらっしゃるんですか! 大事な殿方とのお時間は一番に優先しなければいけませんよ」
私のため息を一笑して、ゾーイは私に今日の勝負服に着替えるよう促した。
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「やあ、この前ぶりですね」
「ごきげんよう、シルヴァ様」
カウカシア王国式の正式な礼をすると、シルヴァ・ニーアマンはきびきびとした動作で私に恭しく礼を返した。それから、自然に私の手を取って指の先に口づけをする。
(うわあ、キザ! 鳥肌たっちゃう)
この扱いはいつまでたっても慣れない。私はぎこちなく笑うと、シルヴァにソファに座るように促す。
シルヴァは、前回会ったときは正装だったものの、今回は二人だけで会うということもあり、帯刀はしておらず、仰々しい胸飾りたちも取っ払われている。身体のラインにピッタリ沿った深い藍色の魔法騎士の制服は、あいかわらずすらりとしたシルヴァによく似合う。
対して私は、鮮やかな黄色のドレスだ。ゾーイが選んでくれたもので、袖がふわりと膨らんだデザイン。少し動きにくいのが難点だ。
シルヴァ様はにっこりと微笑んで頭を下げた。
「この度は、正式に婚約を受諾していただいてありがとうございます」
承諾したのは私の意志ではないものの、私は無難に頷いた。
「いえ、こちらこそ」
「これで晴れて、あなたは俺の婚約者殿になったわけですね。本当に、あなたのような美しい人と婚約ができて、うれしく思っています。俺の生涯の誉れです」
「……!」
よく通る低い声でよくもまあここまで甘いセリフをペラペラ言えたものだ、と絶句する私を見かねて、間を持たせるようにミミィが気を利かせてすぐに紅茶とお菓子を出してくれた。
今日の茶菓子は、私が作り方を教えて、ガウスが改良を加えたお手製シフォンケーキだ。
シルヴァは不思議そうな顔をした。
「これは、見たことのない茶菓子ですね」
「そうなんです!お嬢様が考案されたお菓子ですよ!」
ミミィが我がことのように自慢げにシルヴァに告げる。私は苦笑してみせた。
「お口にあえばよろしいのですが」
「これは……!すごくおいしいですね」
一口かじってシルヴァが目を見張る。どうやら甘いものが好きらしく、顔をほころばせ、あっという間に出されたシフォンケーキを一口で食べてしまった。
あまりにあっという間に食べたので、私があぜんとして見ていると、食べ終わって目が合ったシルヴァが、少しばつが悪そうに微笑む。
「すみません、あまりにおいしくて。仕事から直行したもので、移動中に軽く昼食はとったのですが、お腹空いていて、思わず全部食べてしまいました」
「いえ、すごくおいしそうに食べてもらえてうれしいです」
「お世辞抜きに、本当においしかったですよ。しっとりしてて、程よい甘さで。俺の婚約者殿は、素晴らしくおいしいものを作る才能がおありのようだ」
「褒めすぎですよ。……あの、敬語はやめていただけませんか? 私みたいな子供にそこまでかしこまる必要はありませんから」
「いつか頼もうとおもってました。じゃあ、やめますね」
オホン、ともったいぶって咳ばらいをして、シルヴァはまぶしい笑顔で微笑んだ。
「これからよろしく。できれば俺にも、敬語やはめてほしい」
「……善処します」
いくら婚約者とはいえ、明らかに年上の青年に馴れ馴れしく話しかけるのはさすがに気が咎め、私は一時保留にしておいた。なんとなく相手の思うままに距離を詰められるのもなんとなく癪だ。
からかうような笑みを浮かべて首をかしげるシルヴァをいなすように、私は咳ばらいを一つして、話題を変える。
「正式な婚約にあたって、今月の末に私たちの婚約パーティーがあります。その際の段取りと注意点についてお話させてください」
「ずいぶん唐突に業務連絡が始まるんだな?」
「……からかわないでくださいませ。あまり時間もないですし、必要なことですので!」
私は押し付けるようにゾーイから受け取った段取り表を渡す。
「当日のスケジュールはこの紙に書いた通りです。あまり準備まで時間がないので、座興もほとんどありませんし、比較的簡単なスケジュールにはなります」
「了解。ざっとみて、今のところはこのスケジュールで問題ない…と思う。それで?」
「一点変更がありまして。皆様に挨拶した後の最初のダンスですが、今回は省くことにしました」
「ああ、俺たちの身長差がありすぎるからか。わかった」
さして深入りせずに、シルヴァはテキパキと頷いた。口が裂けても貴族の嗜みたるダンスができない、とは言えず、私はあいまいに笑ってごまかす。
「パーティーのスケジュールに異論、問題点があれば早めにお知らせください」
「今は思いつかないけど、持ち帰ってじっくり検討しよう。それから、手伝えることがあったら言ってほしい。二人のための婚約パーティーなんだから」
「……思いつけば依頼します。それと、一応前もってお知らせしておきますが、私のドレスはおそらく白になると思います」
「白か。陶磁のような肌のエリナに似合う色だと思うな。近々見せてもらっても?」
さらりとお世辞を言い、次の約束を取り付けてくるあたりが、油断ならない。私は一瞬口をつぐんだ。
ずっと温めていた言葉を言う時が来たかもしれない。
「あの、先に言っておくべきでしたが、正式な婚約にあたって、少し、いいですか?」
「ん、何?」
「シルヴァ様にとって、8歳も年下の私が恋愛対象外なのはわかりきったことです。シルヴァ様は少女趣味がある方でもないようにお見受けしますし」
「は……?」
シルヴァの目が点になる。後ろで控えていたミミィとゾーイがそろって「ブフ!」と吹き出した。
「恋愛感情のない、形だけの婚約になることは承知しております。だからその、頑張って私の気を引こうとか、恋愛をしようとか、そういった無理をしていただかなくても結構です!疲れてしまうでしょうから」
「え、エリナ……!?」
「あっ、もちろん、私にずっと一途であれとは言いません。誠実なお付き合いであれば、私以外の恋人を作ろうが、私は気にしませんからね。あくまで、誠実なお付き合い、に限りますけれど!」
「……ん!?」
「親が決めた以上、お互いに従わざるをえない状況にありますけれど、あくまでこの婚約は見せかけのもの。頑張って乗り切っていきましょう!」
私の言葉に、シルヴァは面食らったようだが、そもそも10歳の女の子を口説く18歳の青年なんて常識的に考えて、ちゃんちゃらおかしいのだ。
シルヴァが狙っているのは、あくまでの有力貴族アイゼンテール家のコネクションと権力。そんなことわかりきっている。だから、こんな鳥肌が立つような茶番、私はできるだけ早めに終わらせたかった。
「私のような子供には、気障なセリフも、歯の浮くような誉め言葉もいりません。私は、人として付き合うのであれば、嘘偽りなしの態度で接してほしいのです」
「……なるほど、大人びているな、とは出会った時から思っていたけど、ただ単にマセてるだけじゃなかったか」
(まあ、中身は26歳恋愛経験なしのただのOLですからね)
そう言いかけるのをぐっとこらえて、私は真剣な目でシルヴァを見つめる。
シルヴァは私の言葉にかなり驚いたのかしばらく放心していたが、前髪を少しかきあげ、漆黒の目を少し開け閉めして、それから大口を開け、膝を叩きながら呵々大笑した。初めて見るシルヴァの相貌に、私はぎょっとしたが、たぶんこれがシルヴァの素なのだろう。
「これはなかなか、俺の婚約者殿は一筋縄ではいかないな」
「まあ、そういうことです。無理はしないでくださいね」
私は頷くと、窓の外を見た。だいぶ日が傾いてきている。夕日がギラギラと輝いていた。
「では、この辺で。私そろそろ、次のスケジュールにうつらなければなりませんので! シルヴァ様はもう少しゆっくりなさってくださいませ! 今度、お菓子を差し入れいたします。何かあれば今後はお手紙でお願いします!」
そう言って立ち上がると、私はさっさと踵を返す。シルヴァはひらひらと手を振ると、ソファにうずもれるように姿勢を崩すと、フー、と大きなため息をついた。
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「私に一途である必要はない、ねぇ……」
燃えるような西日が差し込む部屋で、苦笑交じりに誰かがそっとつぶやいた。
「まあ、俺は婚約者殿には一途でいてほしいけどね」





