~御殿山~ 4
宴の支度が整うまで、そこかしこに菊の花が飾られている府内を、経清たちが散策していると、女の下人に呼び止められた。
「散位様、伊具郡司様、大変申し訳ございませぬが、こちらへ来て頂けますでしょうか?」
華やいだ雰囲気を楽しんでいるのを中断されて、二人して訝しげな顔を向けると、申し訳なさそうに下人は言い訳をした。
「お嬢様方が、お二人をお招きせよと仰せでして・・・・。」
「なんと・・。」
「・・あい分かった。」
一瞬驚いた顔を見せた二人は、すぐに笑顔になって頷いた。
案内された建物の中では、菊の花を豪華に飾り、有加たちがそれに黄色く染めた真綿を被せているところであった。
「菊の着綿ですか。」
経清が、有加に向かって言葉をかける。
「あ、経清様!」
綿を被せるのに夢中になっていた三姉妹が、一斉に振り向いて、顔を輝かせると、一加が声を上げた。
「永衡様、ご一緒にいかがですか?」
中加が、永衡の手を引く。
「申し訳ございません、無理にお呼び立てしたようで・・・。」
有加が、経清に向かって頭を下げる。
「そ、そんなことはございません。都を思い出します。」
経清が、慌ててかぶりをふる。
「そのような所にお立ちになっていないで、経清様もご一緒に被せましょう!」
室の入り口付近でつっ立ったままの経清の手を、一加が引っ張る。
重陽の節句で行われる風習に、『菊の着綿』というものがる。
重陽の日、菊の花に黄色の染料で染めた真綿を被せ、翌早朝に朝露を含んだ綿を菊より外す。外した綿で体を拭い、菊の薬効で無病を願ったという。
正殿で、重陽節会が執り行われた。
菊酒を嗜んだりしたことから、菊花宴とも呼ばれる。
菊酒とは、文字通り酒に菊の花を浸したものであり、中国のある故事からきているともいう。
---中国の三国時代、魏の武将鍾会は、自ら作った詩の中で菊の素晴らしさを並べ立てて、『菊酒は神仙の飲み物である』と謳いあげた。
---あるいは、魏の初代皇帝曹丕は幼い時は非常に身体が弱く、このままでは長生できないといわれていた。そこで、菊酒を勧められて取り入れた後は、その身体は強健となり、遂に皇帝になることができたという。
菊酒を呑み、膳を囲み、宴が進むと、やがて舞の刻限となった。
正殿奥にしつらえられた神前に、醴酒と土毛が供えられ、『国栖舞』が奉納される。
『国栖』とは、大和国吉野郡あるいは、常陸国茨城郡に、古より居住したといわれる人々をいう。
『常陸国風土記』では、『土蜘蛛』『八束脛』とも称したという。
これらの人々は、今の大和朝廷が大和の地に至る前に、元々その地に住んでいた人々のことを指しているともいえるのかもしれない。
八束脛は、脛が長いという意味もあるというが、神武東征の折り、大和の地で最後まで抵抗したのが長髄彦といい、この人は脛が長かったからそう呼ばれたともいわれる。
---長髄彦と安倍氏・・・、とりあえず今は、このくらいに留めておく。
狩衣、烏帽子姿の舞翁ニ名、笛翁四名、鼓翁一名、謡翁五名の計十二名の舞手と奏者が、正殿前に設けられた、炬火で囲まれた舞所へと進む。
笛を奏でながら進んでくると着座し、祝詞奏上のあと奏が始まった。
全員が、一つ目の歌と二つ目の歌を謡う。
楽器をそれぞれがとり、笛に合わせて三つ目の歌を謡う。
すると、舞翁が右手に鈴、左手に幣のついた榊を持って立ち上がる。
謡翁の一人が『正月』と発すると他の者が『えんえー』と囃す。
舞翁が鈴を振りながら舞い、左回りにまわる。
笛と鼓が同時に奏されている。
左回りに四回まわりながら、正月から十二月までの同じ所作を十二回繰り返す。
終わると最後の歌を謡う。
歌の最後に、右手を口元にあてて上体をそらし、礼拝する。
『国栖舞』が終わると、菊の花を飾った三姉妹が出てきて、いつもの巫女舞を舞った。
菊の薫りに包まれた、鎮守府の夜が更けていった。




