第9話 圧倒のDランク昇格試験
『初心者の迷宮』第三階層で巨鬼を討伐した俺とクラリスは、地上へと戻り、昼下がりの冒険者ギルド支部へと足を運んだ。
石造りの重い扉を押し開けると、ロビーには昼時の依頼や換金に訪れた冒険者たちがまばらに行き交っていた。
俺たちは真っ直ぐ、空いていた受付窓口――ミレーヌさんの前へと向かった。
「お疲れ様です、ミレーヌさん。中層の素材を納品に来ました」
声をかけると、カウンターで書類を整理していたミレーヌさんが顔を上げた。
藍色の髪を揺らし、深緑色の瞳を細めて穏やかに微笑みかけてくれる。
「お帰りなさいませ、エルンさん、クラリスさん。ふふ、探索お疲れ様です」
「はい。まずは、こちらをお願いします」
俺は腰の革袋に手を入れ、取り出したものを窓口の木製トレイの上へと置いた。
ゴトン。
硬質な重い音を立てて、大人の拳ほどもある巨大な魔石がトレイに収まった。
深く澄んだ青色の輝きが、窓口のカウンターを鮮やかに照らし出す。
「……っ!?」
それを見た瞬間、ミレーヌさんの動きがピタリと止まった。
穏やかだった表情が一変し、息を呑んで魔石を見つめる。
ミレーヌさんは天賦スキル【真贋鑑定】を発動し、瞳に微かな魔力の光を宿らせた。
「こ、この魔石……本物の巨鬼のものです。『初心者の迷宮』の中層に生息しているはずですが……エルンさん、昨日Eランクになったばかりなのに、もう中層の主を倒されたのですか……!?」
ミレーヌさんは目をこれ以上ないほど丸く見開き、魔石と俺の顔を何度も交互に見比べた。
だが、絶句したのも束の間、ハッと我に返ると身を乗り出して俺の身体を隅々まで見回した。
「お怪我はありませんか? 無事で何よりですが……本当に無茶は禁物ですよ」
心から案じてくれるその言葉に、胸の奥が温かくなる。
俺の隣で、クラリスが背筋を伸ばし、凛とした声で言葉を添えた。
「ええ、二人とも無傷ですわ。間違いなく私たちが協力して討伐いたしました」
「クラリスさんまで……! 本当に怪我がなくて良かったです……」
ミレーヌさんは胸に手を当ててホッと息を吐き出すと、気を取り直して受付の表情に戻った。
魔石を魔導端末の検品台に乗せ、指先で端末を操作する。
「巨鬼の討伐実績、確かに確認いたしました。規定の討伐実績を満たしているため、エルンさんはDランクへの昇格要件を完全にクリアしています」
ミレーヌさんは端末の画面を見つめたまま、少し表情を引き締めて説明を続けた。
「ただ……Fランクからわずか一日余りでのDランク昇格は、ギルドでも前例のない異例の早さです。ギルド規約に基づき、急激な昇格に伴う事故防止と実力把握のため、地下訓練場での指導員による『実力確認』を受けていただくことになります。合否を決める試験ではなく、安全確認のための模擬戦ですが……受けていただけますか?」
「問題ありませんわ」
俺が答えるより早く、クラリスが自信に満ちた笑みを浮かべて言った。
「彼の力なら形式的な確認に過ぎません。すぐに受けさせていただきますわね」
クラリスの後押しに、俺も頷いてミレーヌさんに向き直った。
「わかりました、実力確認を受けます」
ギルドの地下にある訓練場は、頑丈な石壁に囲まれた、土煙の舞う広大な空間だった。
昨日Eランクに上がったばかりの新人が巨鬼の魔石を持ち込み、実力確認を行う――その珍しい報せを聞きつけた冒険者たちが、訓練場の周囲にぞろぞろと集まってきていた。
「おい、あの少年だろ? 昨日まで『銀翼の剣』で荷物持ちをやってて追放された呪い持ちの雑用ってのは」
「ああ。相手はベテラン指導員のガルドだぞ」
「いくらなんでも巨鬼を一人で倒せるわけねえよ。仲間が倒したのを拾っただけじゃないのか?」
集まった冒険者たちから、半信半疑のヒソヒソ声が漏れ聞こえてくる。
だが、今の俺にはそんな雑音はまったく気にならなかった。
土煙の立つ訓練場の中央へ進み出ると、対戦相手となる大柄な男が木剣を肩に担いで立っていた。
無数の傷痕が刻まれた革鎧を着込み、不敵な笑みを浮かべるベテラン剣士――ガルドだ。
「Eランクに上がったばかりの少年が巨鬼を討伐したと聞いて驚いたが……安心しろ。大怪我をさせないよう手加減してやるから、思い切り打ってこい」
「よろしくお願いします」
俺は訓練用の木剣を受け取り、自然体で構えた。
訓練場の端では、ミレーヌさんが胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、ハラハラとした様子で見守っている。
「それでは――実力確認の模擬戦、開始してください!」
ミレーヌさんの澄んだ声が響き渡った。
「行くぞ、坊主!」
ガルドが木剣を上段に構え、鋭く踏み込んできた。
手加減しているとはいえ、歴戦の指導員らしい無駄のない太刀筋だ。
だが――。
Lv20に到達し、腕力80・敏捷81となった俺の目には、その踏み込みの軌道も木剣の振り下ろしも、驚くほど緩やかに見えていた。
俺は最小限の体捌きで、振り下ろされる木剣の軌道をわずかにかわした。
そのまま、ガルドの懐の内側へと滑らかに踏み込む。
「速い……!?」
ガルドが目を見開き、咄嗟に木剣を引き戻して胸の前で防御の構えを取った。
反応の速さはさすがベテランだ。
だが、俺は足腰に魔力を巡らせ、【身体強化】の力を木剣へと一気に乗せた。
下段から鋭く斬り上げる。
バキィィンッ!!
訓練場全体を揺るがすような、凄まじい破壊音が炸裂した。
ガルドが両手で支えていた頑丈な訓練用木剣が、根元から真っ二つに叩き折られ、木片が派手に弾け飛んだ。
「ぐわっ……!?」
強烈な衝撃と風圧に耐えきれず、ガルドの巨体が後ろによろめき、床に尻餅をついた。
その喉元へ、俺の木剣の切っ先が寸止めで突きつけられる。
交わしたのは、最初の一合だけだった。
「…………」
ガルドは冷や汗を滝のように流しながら、折れた木剣の柄と、自分の喉元にある切っ先を交互に見つめた。
そして、信じられないものを見るような目で、呆然と呟いた。
「ば、化け物か……!? 完全に手も足も出ねえ……」
訓練場を取り囲んでいた冒険者たちも、全員が完全に静まり返っていた。
誰一人として言葉を発することができず、開いた口が塞がらないまま息を呑んでいる。
呪い持ちの雑用という先入観は、木剣とともに木っ端微塵に砕け散っていた。
張り詰めた沈黙を破ったのは、慌てた足音だった。
「が、ガルドさん! エルンさん! お二人ともお怪我はありませんか!?」
ミレーヌさんが目を丸くしたまま駆け寄ってきた。
俺が木剣を引き、ガルドに手を差し伸べて立たせると、ミレーヌさんは胸を撫で下ろしてホッと息を漏らした。
訓練場の端では、クラリスが腕を組んで誇らしげに微笑んでいた。
一階の窓口に戻ると、指導員のガルドから「実力はDランク帯を遥かに上回っている。事故の心配は一切ない」という太鼓判の報告書が即座に届けられた。
ミレーヌさんは先ほどの模擬戦の衝撃からまだ目を白黒させていたが、嬉しそうに微笑んで俺の銀色のカードを受け取った。
「実力確認の報告、確かに受領いたしました。それでは納品実績と同期してカードを更新いたしますね」
ミレーヌさんがカードを魔導端末のスロットへ差し込み、魔力を通す。
端末が淡い青白い光を放ち、澄んだ美しい魔導音がロビーに響き渡った。
キィィン――。
カードの表面に刻まれていた『E』の文字が光に包まれ、鮮やかな『D』の刻印へと書き換わった。
パーティを追放されてから、わずか一日余り。
俺は正式に、Dランク冒険者となったのだ。
「それと、こちらが換金報酬になります。巨鬼の魔石と、第二階層で回収された魔石の分を合わせまして、金貨一枚と大銀貨四枚になります!」
カウンターの上に置かれた革袋には、黄金色に輝く金貨と、ずっしりとした大銀貨が収められていた。
昨日の報酬を遥かに超える大金だ。
「エルンさん、Dランク昇格おめでとうございます! まさかガルドさんまで圧倒してしまうなんて……ギルドでも滅多に見られない異例のスピード昇格ですよ!」
ミレーヌさんは目を丸くしながらも、満面の笑顔で祝福してくれた。
「ありがとうございます、ミレーヌさん」
俺が礼を言ってカードと報酬を受け取ると、隣のクラリスが満足そうに頷いた。
「ふふ、当然の結果ですわね。ですがエルンさん、私たちの探索はまだ途中ですわ。次はいよいよ『初心者の迷宮』最深部、泥巨人の討伐ですわね」
「ああ、もちろんそのつもりだ。次で初心者の迷宮を攻略しよう」
俺が力強く頷くと、ロビーのあちこちから冒険者たちのどよめきが聞こえてきた。
「おい、あいつ本当に即日でDランクに上がりやがったぞ……」
「指導員のガルドを一撃で沈めた新星だ……本物の怪物だぞ」
向けられる視線が、先ほどとは明らかに変わっていた。
俺とクラリスはロビーを抜け、出入口へ向かって歩き出した。
そのときだった。
ロビーの一角にあるギルド併設の酒場から、激しい物音が響き渡った。
バンッ!!
木製のテーブルに分厚いジョッキを叩きつけるような音とともに、荒々しい怒声がロビーに響く。
「ふざけんな! あの呪い持ちの役立たずが無能なのは、一番近くで見てた俺たちがよく知ってんだよ! 何かの間違いか、インチキな魔道具を使って騙したに決まってんだろ!」
視界の端で立ち上がって怒鳴り散らしていたのは、金褐色の短髪を逆立て、鋼鉄の胸当てを着けた男――ラウルだった。
訓練場から戻ってきた冒険者たちの噂話を聞きつけたらしく、取り巻き相手に声を荒らげている。
「で、でもリーダー……カードが正式にDランクへ更新されたって……」
「チッ……! Dランクごときになったくらいで調子に乗りやがって。次の依頼は『深淵の迷宮』上層への進出だ! そこで大物を狩って、俺たちの格の違いを見せつけてやる!」
ラウルが吐き捨てるように叫ぶ。
俺とクラリスは出入口へと向かう足を止めることもなく、その怒声を背中で聞き流した。
一度も振り返ることなく、俺はギルドの重い木扉を静かに押し開けた。
外に出ると、夕方前の心地よい風が吹き抜けていく。
俺とクラリスは、次なる『初心者の迷宮』最深部を目指して歩き出した。




