第7話 迷宮疾走と相棒の誕生
『初心者の迷宮』第二階層にある安全地帯の小部屋で、俺は新しくパーティを組んだ魔導士の少女、クラリスと向き合っていた。
先ほど牙狼の奇襲を受けて乱れていた彼女の呼吸も、短い休息を取ったことで完全に落ち着いている。
俺たちは重い扉を開けて通路へ戻る前に、これからの探索方針と戦術のすり合わせを始めた。
クラリスは手入れの行き届いた青と白の魔導ローブを整え、背筋をピンと伸ばして魔導杖を構え直した。
「出発する前に、私の手札を正確にお伝えしておきますわ。私の手札は風だけではありませんの。【魔力感知】で敵の接近を事前に捉え、風で突進の勢いを削ぐほか、【雷魔法】による麻痺や拘束も可能です。エルンさんは突出した敵の撃破と、私の防衛をお願いできますか?」
理路整然とした提案だった。
名門の教本通りといった無駄のない組み立てで、前衛と後衛の役割がはっきりと分かれている。
「了解だ。クラリスが足を止めてくれた敵は、俺が全部確実に仕留めるよ」
俺が迷いなく頷くと、クラリスは澄んだ碧眼を瞬かせ、どこか誇らしげに小さく口元を緩めた。
「頼もしい返事ですわね。私の魔法を信じてくださるのなら、こちらも全力でお応えいたします。……参りましょう、エルンさん」
俺は腰の新調した鉄の剣の位置を確かめ、安全地帯の頑丈な鉄扉を押し開けた。
冷たく湿った迷宮の空気が肌を撫でる。
俺とクラリスは並んで歩き出し、第二階層の通路へと再び足を踏み入れた。
石造りの通路を進んでいくと、前方に左右へと分岐するT字路の回廊が見えてきた。
その角の手前で、不意にクラリスが足を止め、先端に風の宝珠を嵌め込んだ魔導杖を前方へ向けた。
「エルンさん、止まってください。【魔力感知】に反応がありますわ」
「どこからだ?」
「正面の通路から牙狼が五頭、こちらへ向かって走ってきています。さらに……左側の横穴から大蜘蛛が二体、天井を伝って回り込もうとしていますわ」
正面と側面からの挟撃を狙う動きだ。
普通の冒険者パーティなら足を止めて陣形を組み直すところだが、位置と数が事前にわかっているなら恐れる理由はない。
「クラリス、先制で仕掛けられるか?」
「ええ、お任せくださいな!」
クラリスが魔導杖を掲げると、先端の宝珠が淡い光を放った。
「風よ、吹き荒れなさい――【突風】!」
放たれた激しい突風が、正面の通路から飛び出してきた牙狼の群れへ真正面から叩きつけられた。
ギャンッと先頭の牙狼が体勢を崩し、後続の仲間と折り重なるようにして突進の勢いを大きく乱す。
さらにクラリスは淀みない動作で杖先を左の横穴へと向けた。
「迅雷よ、穿ち縛りなさい――【雷撃】!」
バチィッ! と鋭い紫電が奔り、天井から飛び降りようとしていた大蜘蛛二体の巨体を正確に撃ち抜いた。
青白い火花が弾け、大蜘蛛たちは脚を激しく痙攣させてその場に縫い止められる。
「今ですわ、エルンさん!」
「よしっ!」
俺は足腰に魔力を巡らせ、【身体強化】と【瞬歩】を同時に発動した。
ダンッ!
石畳を爆ぜるように蹴り抜くと、景色が一瞬で後方へと吹き飛んだ。
体勢を乱して密集していた牙狼たちの眼前へと一瞬で割り込み、腰の鉄の剣を一気に抜き放った。
ズバァッ!
横薙ぎに振り抜いた白刃が、先頭の牙狼の胴体を骨ごと両断した。
真っ二つになった体が床へ転がるのと同時に、俺は流れるように身体を半回転させた。
旋回する遠心力を乗せ、左右から立て直そうとしていた二頭目と三頭目の首へ、鋭く刃を滑らせる。
ヒュンッ――ドシュッ!
二つの首が宙を舞い、血飛沫とともに床へ落ちる。
さらに俺は踏み込み、怯んで足を止めた四頭目の眉間へ一直線に切先を突き刺し、返す刃で最後の一頭の首筋を真一文字に切り裂いた。
すべて一撃。
息をつく間もなく、俺は雷で痺れて動けない大蜘蛛のもとへと【瞬歩】で肉薄した。
地を払う鋭い足払いで大蜘蛛の長い脚を薙ぎ払い、体勢を崩してガラ空きになった胴体を一刀両断する。
硬い外殻を難なく断ち割ると、残る一体の頭部へも鉄の剣を深々と突き立てた。
ドサリ、と最後の魔物が絶命して床へ崩れ落ちる。
交戦開始から、わずか数秒足らずの出来事だった。
直後、倒れた魔物たちの死骸から、青白い光の粒子が一斉に噴き上がった。
天賦スキル【経験値×100】によって百倍に膨れ上がった霊質の奔流が、視界を青く染め上げながら、激流となって俺の胸元へと吸い込まれていく。
熱い霊質が全身を満たしていく感覚を受け止めながら、俺は剣先を振って血糊を払った。
クラリスは魔導杖を構えたまま、俺の胸元へと吸い込まれていく膨大な光の奔流に目を丸くして固まっていた。
だが、すぐに我に返ったように小さく頭を振り、周囲の通路へ視線を走らせて索敵へ意識を戻した。
周囲に敵の気配がないことを確認し、深く息を吐き出して杖を下ろす。
「……今の光の量にも驚きましたけれど、それ以上に……素晴らしい前衛ですわ」
クラリスはまだ少し戸惑いを残しながらも、ほっと表情をほころばせた。
「私の牽制と拘束に合わせて、ここまで迷いなく仕留めてくださるとは思いませんでした。本当に頼もしいですわ」
「クラリスの魔法のおかげだよ。敵の足が完全に止まっていたから、前だけに集中して踏み込めた」
「ふふ、お互い様ですわね」
俺たちは軽く頷き合い、すぐに次の通路へと意識を向けた。
それから約一時間、俺たちは第二階層の奥部へと順調に通路を進んでいった。
クラリスが通路の先にある魔物の気配を素早く捉え、風で突進の勢いを削ぎ、雷で動きを封じる。そこへ俺が一気に間合いを詰めて、鉄の剣で確実に息の根を止めていく。
彼女が作った隙に俺が踏み込む形が決まるたびに、倒した魔物から百倍の霊質が激流となって俺の胸へ流れ込んできた。
ドクン、と胸の奥が心地よく跳ねる。
頭の中に澄んだ鐘の音が響き、脳裏に跳ね上がる数値が心地よく連鎖した。
――――――――――――――――
【レベルアップ】
エルン:Lv10 → Lv11 → Lv12 → Lv13 → Lv14 → Lv15
HP:46 → 66
MP:44 → 64
腕力:40 → 60
体力:40 → 60
敏捷:41 → 61
魔力:39 → 59
――――――――――――――――
(Lv15……! 短時間で一気にここまで上がったのか……!)
連戦の中で身体に溜まりかけていた微かな疲労感が、レベルアップの瞬間に全身を駆け巡る熱い奔流によって瞬時に洗い流されていく。
身体の芯から新たな活力が溢れ出し、全身の感覚がより鋭く研ぎ澄まされていくのがわかった。
腕力60、敏捷61。
かつて『銀翼の剣』で荷物持ちをしていた頃には考えられなかった力強さが、全身に満ちている。
鉄の剣を軽く握り直すだけで体が羽のように軽く感じられ、振るう刃の鋭さや速度も格段に増しているのがわかった。
「ふぅ……よし、次だ」
俺は剣の血糊を払い、倒れた魔物たちから手早く魔石を回収していった。
荷物持ち時代に何百回とこなした解体の手際で、あっという間に素材を回収し終えて立ち上がる。
ふと振り返ると、クラリスが魔導杖を胸元で握りしめたまま、信じられないものを見るような目で俺を見つめていた。
「……エルンさん」
「ん? どうしたんだ?」
「……普通、第二階層の魔物を相手に連戦したら、途中で小休止を挟むのが定石ですのに、貴方のスタミナと威力はどうなっているのですか? 私の魔法にこれほど正確に合わせ続けられる前衛など、見たこともありませんわ」
クラリスは呆気にとられたようにため息をついた。
「それに、戦うごとに剣の鋭さや踏み込みの速度が増しているように見えますけれど……私の気のせいですの?」
「あ、ああ……体が温まって調子が出てきたのかもしれないな」
俺が頭を掻きながら適当にごまかすと、クラリスは納得のいかない様子でじっとこちらを見つめた。
光の量といい、この異常な成長ぶりといい、疑問に思うのも無理はない。だが、クラリスはそれ以上深く問い詰めることはせず、小さく息を吐いた。
「……今は深く聞きませんわ。ですが、その調子が続いてくれるなら頼もしいですわね」
「ああ。まだまだいけるよ」
「ふふ、次の階層へ向けて、私もさらに威力の高い詠唱を準備しておきますわ」
俺たちは言葉を交わし、さらに迷宮の奥へと足を進めた。
奥部の入り組んだ通路を抜けると、視界が一気に開けた。
そこは、天井の高い巨大な石造りの広間だった。
広間の向こう側には、さらに地下深くへと続く巨大な下り階段が口を開けている。
ここから先が、『初心者の迷宮』の第三階層――中層と呼ばれる危険地帯だ。
「ここが第二階層の最奥か……」
俺が周囲を見回したとき、クラリスが床の一点を見つめて小さく息を呑んだ。
「……エルンさん、足元を見てください」
クラリスが指し示した湿った石畳の上を見て、俺は息を詰めた。
そこには、巨大な足跡が深く刻まれていた。
大人が両足を揃えてもすっぽり収まるほど巨大で、頑丈な石畳をめり込むように深く抉っていた。
その足跡は、広間を横切り、第三階層へ続く下り階段の奥へと消えていた。すでに通り過ぎた痕跡のようだ。
クラリスが足跡のそばにかがみ込み、微かに残る魔力の気配を確かめてから、引き締まった表情で顔を上げた。
「……これは、巨鬼の足跡ですわ」
「巨鬼……オーガか」
「この足跡の深さ……まだ新しいですわね。中層の巨鬼は、第二階層の魔物とは比べ物になりません。あの怪力をまともに受けたら、一撃で叩き潰されます。……ここからは、今までのように簡単にはいきませんわ」
クラリスは真剣な眼差しで、階段の奥に広がる暗闇を見つめた。その声には強い緊張が滲んでいたが、逃げ出そうとする気配は微塵もなかった。
中層のDランク魔物といえば、以前の俺なら名前を聞いただけで逃げ出していた相手だ。
だが、短時間の連戦でLv15まで上がり、身体能力が跳ね上がった今の自分なら、十分に渡り合える感覚がある。何より、後ろには的確に隙を作ってくれるクラリスがいる。
俺は腰の鉄の剣の感触を確かめ、階段の奥を見据えた。
「わかった。油断せずに行こう。……俺が前で確実に隙を作る。クラリスの魔法を合わせてもらえれば、俺たちなら倒せるはずだ」
クラリスは驚いたように一瞬目を見張り、それからふっと小さく息を吐いて、凛とした笑みを浮かべた。
「……ええ、背中は任せてくださいな。行きましょう、エルンさん」
言葉を交わした俺たちは、暗がりが広がる階段の先をまっすぐに見据え、中層への一歩を踏み出した。




