第5話 元パーティとのすれ違い
夕暮れの冒険者ギルド支部、ロビーの出入口へ向かうと、外から木扉が開いた。
入ってきたのは、磨き上げられた鋼鉄の胸当てを着け、背中に大剣を背負った男――今朝まで俺が所属していたDランクパーティ『銀翼の剣』のリーダー、ラウルだ。
両脇には、下品な笑みを浮かべた二人の取り巻きを連れている。
「あァ? なんでてめえがまだこんなところにいやがるんだ、無能が……おい、追放されて泣きついたが門前払いでも食らったか?」
ラウルは大股で歩み寄ると、俺が身につけている使い古された革鎧を見下ろし、左頬を歪めて嘲笑を浮かべた。
俺は何も答えず、視線を静かに外して横をすり抜けようとした。
すでに朝の時点で、この男たちとの縁は切れている。何を言われようと、相手にする理由などどこにもない。
だが、すれ違おうとした瞬間、ラウルの取り巻き二人がニヤつきながら横へ回り込み、出口を塞ぐように立ちはだかった。
「おいおい、リーダーが話しかけてやってんだろ。無視してんじゃねえよ」
「無能のくせに生意気だな」
進路を遮られ、俺は足を止めざるを得なかった。
その拍子に、俺の革鎧の隙間から、懐にしまっていた銀色の冒険者カードの端がわずかに覗いた。
右手の革袋には、角兎と小鬼の換金で手に入れた大銀貨六枚がずっしりと収まっている。
「あァ……? おい、そのカード……Fじゃねえぞ? それにその革袋の中身は何だ」
ラウルが目を細め、怪訝そうに顔を近づけてカードの表面を凝視した。
そこには、先ほどミレーヌさんの窓口で更新されたばかりの『E』という鮮やかな刻印が刻まれていた。
「なっ……Eだと……!?」
ラウルは目を見開き、信じられないものを見たように言葉を失った。
だが――。
次の瞬間、ラウルの顔に浮かんでいた動揺は、歪んだ嘲笑へと塗りつぶされた。
「……ハッ! なんだ、そういうことかよ!」
ラウルはわざとらしく肩を揺らし、ロビー中に響き渡るような大声で笑い声を上げた。
「ハッ、偽造カードでも買って見栄張ってんのか? それとも道端のFランク用の小鬼素材を運良く拾って、受付を騙して小銭稼ぎしたくらいで調子に乗るなよ」
その言葉に、取り巻きたちも調子を合わせてゲラゲラと下品な笑い声を響かせた。
「ギャハハ! おいおい、Fランクの荷物持ちが半日でEランクになれるわけねえだろ!」
「裏通りのイカサマ屋で刻印モドキでも買ったんだろ、哀れな奴!」
「無能が見栄張って哀れだな。拾った小銭でカードに細工でも頼んだのかよ!」
三人は顔を見合わせ、腹を抱えて笑い転げている。
ラウルは喉を鳴らし、勝ち誇ったような顔で俺を見下ろした。
「せいぜいその偽物カードと拾った小銭を大事に握りしめて、野垂れ死なねえようにするんだな」
吐き捨てるように言われた罵倒。
けれど、俺の胸には怒りも、悔しさも、反論したいという衝動すら湧いてこなかった。
朝、追放されたときにはわずかに感じていた理不尽さへの感情すら、綺麗に消え失せていた。
目の前にいる男たちが、遠い世界の出来事のように感じられる。
彼らがどう思おうと、俺のレベルがLv10まで上がったことも、小鬼の集落を一人で壊滅させたことも、手の中にある大銀貨六枚の重みも、何一つ変わらない。
俺はラウルの目を真っ直ぐに見つめ、淡々と短く返した。
「……そう」
「あァ? なんだその態度は――」
ラウルが眉をつり上げて怒鳴ろうとした瞬間、俺はごく自然に一歩を踏み出した。
立ちふさがっていた取り巻き二人の体の傾き、重心の偏りが、手に取るようにはっきりと見えた。
Lv10に達し、敏捷が41まで跳ね上がった体は、思考よりも速く滑らかに反応する。
スッ――。
風が抜けるような身のこなしで、俺は二人の隙間を流れるようにすり抜けた。
取り巻きの男が伸ばしかけた腕は、俺の革鎧の端をかすめることすらできなかった。
「なっ……!?」
俺はそのままギルドの木扉を押し開け、外の石畳へと足を踏み出していた。
夕暮れの涼しい風が、頬を優しく撫でていく。
その瞬間、ふっと肩の力が抜けたのを自分で感じた。
怒りでも、負け惜しみでもなかった。
背後から、ギルドの出入口越しにラウルの声が微かに聞こえてきた。
「フン、図星突かれて逃げ出しやがったぜ!」
「へへっ、足だけは速え無能だな!」
その嘲笑も、夕暮れの街の喧騒に混ざり合い、ただの雑音となって消えていった。
振り返る気など、微塵も起きない。
俺は大通りへ出て歩きながら、右手にある革袋のずっしりとした重みと、懐のカードの感触を確かめた。
気持ちはすでに、これからの買い物と明日の準備へと向かっていた。
夕暮れの陽光が石畳を赤く染める大通りを、俺は人波に混じって歩いた。
通り沿いには多くの商店が軒を連ね、探索を終えた冒険者や仕事帰りの職人たちで活気に溢れている。
途中、ふと先ほどのラウルたちの歪んだ顔が脳裏をよぎったが、次の瞬間には意識の外へと消え去っていた。
目指したのは、大通り沿いに看板を掲げる武具店だった。
木製の重い扉を開けて中に入ると、油と鉄の混ざり合った独特の匂いが鼻をくすぐった。
壁や陳列台には、槍や斧、様々な刀剣がずらりと並べられている。
「いらっしゃい。……なんだ坊主、見学なら他を当たってくれよ」
カウンターの奥で大柄な店主が、俺の使い古された革鎧を一瞥し、素っ気ない声をかけてきた。
無理もない。汚れの目立つ装備をした十五歳の少年が、一人で武器を買いに来たようには見えないのだろう。
俺は気にせず、店内に並ぶ武器を見回した。
これまではパーティの荷物持ちとして、護身用の小さな短剣一本しか持っていなかった。
だが、今の俺にはLv10の筋力と魔力がある。小鬼の集落で戦ったときも、短剣では間合いの短さと刃の軽さに物足りなさを感じていた。
棚の中央に置かれた、一振りの片手剣に目が留まった。
派手な装飾はないが、刀身はしっかりと鍛えられ、刃こぼれ一つなく丁寧に研ぎ澄まされている。標準的な鉄の剣だ。
「店主さん、この剣を見てもいいですか」
「ああ? 見るだけなら構わねえが、鉄の剣は銀貨八枚だぞ。冷やかしなら――」
俺は革袋の紐を解き、中から鈍い銀色に輝く大銀貨を一枚取り出して、カウンターの上に置いた。
大銀貨が一枚で銀貨十枚分に相当する。
コトン、と硬い金属音がカウンターに響いた瞬間、店主の目が丸くなった。
「だ、大銀貨……!? あ、おいおい、坊主……いや、お客さん!」
店主の態度が一変した。
品定めするような目は消え失せ、慌てて棚から鉄の剣を両手で恭しく取り出すと、カウンターの上へ丁重に置いた。
「へへっ、失礼しやした! これは王都の鍛冶工房で打たれた上等な鉄の剣でさ。刃の焼き入れも完璧で、切れ味も持ちの良さも折り紙付きですぜ!」
「ありがとうございます」
俺は鉄の剣を手に取り、柄をしっかりと握りしめた。
ずっしりとした重みが掌に伝わってくる。だが、腕力40の俺の腕には、驚くほど軽く、しっくりと馴染んだ。
軽く振るう仕草をしてみると、重心のバランスも申し分ない。
「この鉄の剣をください。……うん、手に馴染む」
「まいどあり! お釣りは大銀貨一枚から、銀貨二枚になりやす!」
お釣りの銀貨二枚と、剣を収める頑丈な革製の鞘を受け取った。
腰のベルトに鞘を通し、新調した鉄の剣を収める。
腰に剣の重みが伝わってくる。誰かにあてがわれたものではなく、自分の力で魔物を倒し、自分の金で手に入れた初めての剣だ。
胸が熱くなった。
店を出た俺は、大通りを抜けて安宿街へと向かった。
今朝までの相部屋の雑魚寝宿ではなく、一人でゆっくり体を休められる部屋を探し、大銀貨一枚を払って個室の鍵を受け取った。
夕食は近くの大衆食堂へ足を運んだ。
厚切りの豚肉のソテーと温かい黒パン、野菜スープの定食を注文する。今朝までの冷え切った干し肉や固いパンとは違う、湯気の立つ温かい食事を腹いっぱい食べられるだけで、胃袋に染み渡るように美味しかった。
宿の部屋に戻り、内側から鍵をかける。
誰の気兼ねもない自分だけの空間で、机のランプに火を灯し、新調した鉄の剣を手入れした。
懐から取り出した冒険者カードには、『E』の刻印と小鬼集落の討伐実績が刻まれている。Lv10、腕力40、敏捷41――半日で手に入れた力の実感が、静かに胸を満たしていった。
「呪いなんかじゃない。この力があれば、もっと先へ行ける」
手入れを終えた鉄の剣を枕元に置き、清潔なベッドに横たわる。
柔らかい毛布に包まれながら天井を見上げると、街から少し離れた『初心者の迷宮』の入口が浮かんだ。地下へ続く冷たい石段と、地上の森とは違う濃密な魔力の空気。
そこには、Fランクの小鬼などよりも遥かに強く、危険な魔物たちが待ち受けているはずだ。
だが、今の俺には恐れはなかった。
むしろ、未知の迷宮でどれだけ自分が成長できるのか、胸の奥からワクワクとした高揚感が湧き上がってくる。
「よし、明日は初心者の迷宮だ」
俺は小さく呟き、静かに瞼を閉じた。
疲れは残っていなかった。明日の迷宮のことを考えながら、そのまま眠った。




