第24話 騎士団の危機と深層への突入
第二十九階層の最奥、重傷の伝令兵を門脇の岩陰に預けた俺とクラリスは、目の前にそびえ立つ巨大な門扉を見上げた。
黒鉄と古代石で構築された『深層境界ゲート』だ。
この門の向こう側が、第三十階層以降に広がる危険領域――「深層」だった。
岩陰に横たわる伝令兵の胸は、弱々しいながらも上下している。
応急処置の包帯に血は滲んでいるが、呼吸は保たれていた。
中で孤立した王国騎士団の部隊を救うには、一刻の猶予もない。
「クラリス、行くぞ」
「はい、エルンさん!」
俺は両手を黒鉄の扉にかけ、全身に力を込めた。
半日でLv40へと駆け上がり、百六十の大台に達した腕力を一気に解放する。
ゴオォォ……!
地鳴りのような重い音を立てて、巨大な両開き扉が軋み、押し開かれた。
隙間から、冷たい突風が吹き抜けてくる。
黒ずんだ紫色の「瘴気」だ。
「うっ……!?」
クラリスが思わず口元を覆う。
俺も腕で顔を庇いながら、境界の敷居を跨いで足を踏み入れた。
鍾乳石が垂れていた中層の洞窟から一変していた。
壁や床が侵食されて風化した、古代遺跡のような紫黒の石造り回廊が続いている。
漂う瘴気で視界は暗い紫に霞み、肌をチクチクと刺す冷気と死の気配が立ち込めていた。
「ここが、深層……」
クラリスが先端に風の宝珠を嵌め込んだ魔導杖を構えた。
「【魔力感知】を展開しますわ。中層とは比較になりません……この濃密な瘴気の奥まで、石造りの回廊がどこまでも広がっています」
「ああ。急ごう、まだ間に合うはずだ」
俺たちは紫黒の石造り回廊を、周囲への警戒を研ぎ澄ませて駆け抜けた。
崩落した古代の石柱や亀裂の入った石畳を、軽やかに跳躍して飛び越えていく。
そのときだった。
足元の石畳と、空間全体が低く唸りを上げた。
――ドクン……! ドクン……!
大気を揺らし、俺たちの胸の奥を激しく揺さぶる衝撃が走る。
迷宮の遥か深部――最下層の方向から響いてくる、巨大な心臓の鼓動を思わせる重苦しく冷たい魔力の脈動だった。
「っ……!」
かつて第五階層で駆け抜けたものと同種の波動だ。
だが、その重さと禍々しさは比べものにならない。内臓を直接鷲掴みにされるような圧迫感が全身を襲う。
脈動が通り抜けた瞬間、回廊の瘴気が一段と濃くなり、肌を刺す悪寒が一気に強まった。
最深部で何かが蠢き、目覚めかけているかのような異様な気配だ。
「くっ……あ……」
クラリスが胸元を押さえ、小さく足をもたつかせた。
俺は咄嗟にその肩を抱き留め、しっかりと身体を支えた。
「大丈夫か、クラリス!」
「は、はい……ありがとうございます。少し息が詰まっただけですわ……」
クラリスは青ざめた顔を上げ、気丈に呼吸を整えた。
不気味な脈動に呼応するように、前方の奥から骨がきしむ音や錆びた金属の擦れる音が響き始めた。腐敗した風が吹き抜けてくる。
「エルンさん、【魔力感知】に反応ですわ! 前方の広間に複数の微弱な生命反応――騎士団の方々です! ですが、膨大なアンデッドの群れに包囲されています!」
クラリスが魔導杖を前方へ向け、緊迫した声を上げた。
「それに……広間の奥から、異様なほど強大で禍々しい魔力反応を感じます!」
「ああ、奥の強大な気配も気になるが……騎士団がまだ生きてるな。行くぞ!」
回廊を抜けた先は、天井の高い崩壊した神殿跡――円形の大広間だった。
手前の入口から中央の広場、そして奥の崩れた祭壇へと一直線に連なっているが、奥は濃密な瘴気に霞んでいた。
広場の中央では、凄惨な死闘が繰り広げられていた。
白銀の甲冑を血と泥に汚した残存騎士たちが、円陣を組んで満身創痍で耐えている。
だがその周囲を、錆びついた鉄装甲をまとった骸骨剣士や腐肉歩行者の大群が埋め尽くしていた。
ガキィンッ!
前衛の騎士の大盾が弾かれ、体勢が崩れた。
そこへ骸骨の爪と錆びた剣が振り下ろされようとしている。
「持ちこたえろ! 陣を崩すな!」
隊長らしき男の悲痛な叫びが響いた。
「王国騎士団だな! 救援に来た、持ちこたえろ――ここから先は俺たちが切り開く!」
叫びざま、俺は【身体強化】と【瞬歩】を連動させ、回廊の出口から神速で包囲の群れへと突入した。
パシィィンッ!
騎士へと振り下ろされようとしていた錆びた剣を、下段から鉄の剣で叩き上げる。
バキィッ!
鋭い打撃音とともに錆びた刃が叩き折られ、弾かれた勢いで爪も空を切った。
「エルンさん、騎士の方々を包囲しているアンデッドを散らします! 風よ、押し流しなさい――【突風】!」
背後から響いたクラリスの詠唱とともに、猛烈な突風が円陣に群がるアンデッドの体勢を崩した。さらに間断なく放たれた複数の【風刃】が唸りを上げて装甲を叩き、包囲に隙間を作り出す。
俺はその隙間へ迷わず踏み込んだ。
敏捷百六十一の速度で間合いを詰め、腕力百六十の力を乗せて鉄の剣を横一文字に薙ぎ払う。
ズバァッ!!
群がっていた骸骨剣士たちが、装甲ごと骨を断ち切られてまとめて両断された。
そのまま円陣の側面を駆け抜け、奥の崩れた祭壇側へと回り込む。
祭壇側から騎士たちへ迫っていた腐肉歩行者の首元を、神速の薙ぎ払いで刎ね飛ばした。
死骸がドサリと崩れ落ち、討伐された魔物たちの残骸から青白い光の奔流が立ち上って、一気に俺の身体へと流れ込んでいく。
俺は祭壇の方向を向いて剣を構えた。
騎士団の円陣を背後に庇い、防衛線を瞬時に立て直す。
クラリスも風刃で牽制を維持しながら即座に駆け寄り、俺の隣で魔導杖を構えた。
正面の崩れた祭壇の前――濃密な瘴気の奥に、巨大な人型の輪郭が静止して残存騎士を見下ろしていた。感知していた、あの強大な魔力反応の主だ。
背後から騎士たちの荒い息遣いが伝わってくる。
肩越しに一瞥すると、凄惨な壊滅の痕跡が視界に入った。叩き割られた大盾や両断された重装鎧の残骸が転がり、石畳には深く巨大な斬撃痕が刻まれている。残る数名の騎士も血塗れで立っているのがやっとだ。
一瞬でアンデッドを切り伏せて防衛線を立て直した俺たちの姿に、血塗れの隊長は目を見開いて呆然と立ち尽くしていた。
震える手で剣を握り直し、掠れた息で驚嘆を漏らす。
「冒険者……!? 馬鹿な、こんな深層に子供が……いや、この圧倒的な神速は……!」
俺はすぐに視線を正面の祭壇へと戻した。
そのときだった。
広間を満たしていた空気が、ピキリと凍りつくような冷気へと一変した。
肌を撫でる冷気が、骨の髄まで凍らせる冷酷な殺気へと変貌する。
カタカタカタ……。
防衛線の外側に残っていたアンデッドたちが、怯えたように骨を震わせ始めた。
武器を下ろし、恐慌をきたしたように左右へと割れて道をあけていく。
祭壇の前で静止していた巨大な輪郭が、ゆっくりと前へ歩み出してきた。
ガシャン……。
ガシャン……。
重厚な鉄の足音が響き渡る。
渦巻く紫黒の瘴気を割って、その姿が鮮明に現れた。
全身を禍々しい漆黒の重鎧で固めた巨躯だ。
兜の細いスリットの奥から深紅の冷酷な燐光を灯し、右腕には紫黒の瘴気が渦巻く禍々しい暗黒剣を構えている。
歩み寄る黒鎧を目にした瞬間、背後から隊長が息を呑む気配が伝わってきた。
隊長は戦慄に喉を震わせ、悲鳴のような叫び声を張り上げる。
「あ、あいつだ……! 奴が……この部隊を一撃で壊滅に追いやった元凶、Aランクの死霊騎士だ……! 下がれ、奴には敵わない……!」
肌を直接削り取られるような、濃密で圧倒的な重圧が空間を支配する。
息が詰まるほどの、純粋な死の気配だ。
クラリスが隣で息を呑み、魔導杖を固く握りしめる。
死霊騎士は感情の窺えない眼光で、祭壇を背に俺たちを捉え、ゆっくりと暗黒剣を水平に構えた。
逃げ場はない。
俺は鉄の剣の切っ先を向け直し、全身の神経を極限まで研ぎ澄ませた。
「……あれが死霊騎士か。確かに、中層の魔物とは空気の重さがまるで違う。だけど……ここで退くわけにはいかない」
漆黒の刃から漏れ出る瘴気が、静かに揺らめいていた。




