第22話 王都の影とバロールへの帰還
冒険者ギルド総本部での手続きを終え、俺とクラリスは白亜の大理石の建物を後にした。
手元の冒険者カードには、新たに鮮やかな『B』の文字が刻み込まれている。
だが、ロビーを出る直前に柱の影から向けられた冷徹な視線が、肌に残っていた。
人混みで賑わう白石舗装の中央大通りを歩きながら周囲を窺う。
総本部で視線がぶつかった男はすでに人混みへ消えていたが、ここで追うのは得策ではない。
まずは装備を整え、声の漏れない場所で確認しようと頭を切り替えた。
向かったのは、中央大通りにある評判の高級武具店だ。
これから挑む深層に備え、岩石巨人討伐の特別報奨金――金貨十枚で本格的な防具を新調するためだ。使い古された革鎧を卒業するときが来ていた。
重厚な扉を開けて入ると、頑固そうな熟練の店主が怪訝な目を向けた。
だが、提示された冒険者カードの『B』の刻印を見るや、その態度を一変させた。
「この若さでBランクの刻印持ちかい……! 失礼した。深層へ挑むってんなら、とびきり頑丈で動きやすい防具を用意させてもらうぜ」
機動力と敏捷性を損なわず深層の衝撃に耐えうる防具を求めると、店主は「上質な軽装鎧」を見立ててくれた。
要所に鍛鉄プレートを配し、衝撃緩和の魔導加工を施した革鎧で、試着すると身体によく馴染み、動きを邪魔しない。
俺はその軽快さと確かな防護力に満足して代金を支払い、身に纏って店を出た。
クラリスも頼もしげにサファイアの瞳を細めて微笑んでくれた。
買い物を終えた俺たちは、中央広場に面した喫茶店へと向かった。
選んだのは、高い仕切りに囲まれ、周囲へ声が漏れない奥まった席だ。
怪しい耳目がないことを確かめ、俺は紅茶の湯気の向こうで声を潜めた。
「総本部を出るとき、柱の影から誰かがじっと見ていたんだ。目が合ったら人混みへ消えたが……特にクラリスに向けられた視線だった。何か心当たりはあるか?」
クラリスはカップを置き、わずかに視線を伏せて手元の魔導杖に指先を触れさせた。
短いためらいのあと、小さく息を呑んでまっすぐに俺を見つめ返した。
「……柱の影から、そのような視線が……? エルンさん、以前バロールでは貴方を巻き込みたくないと申しましたわね。ですが敵の素性も、何を持ち帰れば名誉が回復できるのかも伏せたままでは、相棒としての誓約に応えられません。
大通りや総本部では決して話せませんでしたが、帰路に就く前にこの席だからこそお話しします。……我が家を陥れた者の名は、ベルモンド伯爵です」
クラリスは静かに言葉を続けた。
「アルスター家は、代々魔導研究に秀でた名門魔導貴族でした。かつての調査と記録に基づき、深層に古代の魔導遺産が存在することを主張したのです」
「深層の奥……それって、最下層の方にあるのか?」
「いいえ、最下層ではなく、深層の主――火炎の巨竜の巣の奥です。ですが当時の調査隊は、Aランク最上位魔物である巨竜の猛威に阻まれ、実物の遺産を持ち帰ることができませんでした」
クラリスは唇を噛みしめ、悔しさを滲ませる。
「その実物未回収の隙を突いたのが、王都の迷宮監督役であるベルモンド伯爵でした。証拠となる実物がない以上、虚偽の報告であると激しく糾弾されたのです。
父も我が家も弁明の余地を奪われ、爵位返上と失脚に追い込まれました。そしてベルモンド伯爵は、その功績を盾にして王都の迷宮利権と魔導利権を自らのものとして独占したのです」
膝の上で、小さな拳が固く握りしめられていた。
「冤罪を晴らすには、その巨竜の巣の奥にある実物の魔導遺産を持ち帰るしかありません。……ですがそれは、騎士団ですら恐れる死地です。私一人の力では、決して届かない途方もない道ですわ」
理不尽に名誉を奪われた相棒の無念に静かな怒りを覚えながら、俺は迷うことなく即答した。
「なら、その巨竜を倒して、魔導遺産を持ち帰ればいいんだな」
「え……?」
クラリスは呆気にとられたように目を見張った。
やがて救われたように息を吐き出すと、凛と顔を上げて前を見据えた。
「……ありがとうございます、エルンさん。ですが、貴方にすべてを背負わせるつもりはありません。
アルスターの名誉は、私自身の力でも取り戻してみせます。そのためにも……私は必ず、貴方の隣に立つに相応しい魔法使いになってみせますわ」
「ああ。頼りにしてるよ」
俺は力強く頷き返した。
店を出て夕暮れの王都を歩く際、周囲を探ったがあの視線はなかった。
だが敵が消えたわけではない。俺は冷静に警戒を保ち、宿へと足を向けた。
翌朝、俺とクラリスは王都南門の発着場から、バロール行きの街道乗合馬車に乗り込んだ。
往路と同じく、野営を二泊挟む三日間の旅路だ。
大型馬車に揺られながら、俺は感覚を研ぎ澄ませて周囲の気配を警戒し続けた。
二日目の正午過ぎ、馬車が見通しの悪い隘路へ差し掛かったときだった。
街道脇の岩陰から土煙が上がり、体長一メートル半ほどの獰猛な獣型の魔物二頭が、馬車の側面へ猛然と飛びかかってきた。
「ひっ、魔物だぁっ!」
「止まれねえ、突っ込んでくる!」
御者や商人が悲鳴を上げた瞬間、俺は即座に反応した。
車内から街道へと身を躍らせ、着地と同時に【身体強化】と【瞬歩】を連動させる。
疾風のごとき踏み込みで間合いを詰めた。
今回は抜刀すら必要ない。
飛びかかってきた一頭目の爪撃を最小限の体捌きでかわし、新調した上質な軽装鎧の肘金を、顎下へと正確無比に叩き込んだ。
バキィッ!
鈍い打撃音とともに一頭が空中で錐揉み回転して吹き飛ぶ。
そのまま淀みなく反転し、背後から迫る二頭目の懐へ滑り込むと、鎧の籠手で鳩尾を鋭く打ち抜いた。
ドガァンッ!
衝撃波が抜け、二頭目の巨体が地面を激しくバウンドして転がり、動かなくなった。
二頭とも昏倒して完全に無力化している。今の俺にとって、この程度の相手にわざわざ止めを刺す価値もない。
討伐にはならず、霊質の光も現れず、レベルの変化も起きていない。
俺は息を乱すこともなく立ち上がり、服の埃を払った。
「な、何が起きた……!?」
「武器も抜かずに一瞬で……本物のBランク冒険者なのか!」
静まり返った街道で、度肝を抜かれた同乗者たちから感嘆と畏敬の声が上がった。
俺は馬車へ戻ると、何事もなかったかのように席へと腰を下ろした。
隣のクラリスが、誇らしそうに微笑んで小さく頷いてくれる。
その夜の野営地では、焚き火を囲みながら、バロールへの帰還と次の迷宮探索について静かに言葉を交わした。
そして三日目の夕暮れ前、街道の地平線の彼方に、堅牢な城壁に囲まれた迷宮都市バロールが姿を現した。
北門をくぐると、喧騒と熱気に満ちたバロールの空気に自然と口元が緩んだ。王都の洗練とは異なる、泥臭く活気ある懐かしい空気だ。
背負い袋や上質な軽装鎧、補給品を携行したまま、俺たちは都市の中央広場へと向かった。
中央広場の中央には、ぽっかりと巨大な口を開ける底知れぬ大穴が存在している。
大陸有数の魔境――『深淵の迷宮』だ。
大穴の底へと続く幅広の石造り大階段の前に立ち、俺たちは顔を見合わせた。
クラリスは大階段の先を見据え、凛とした笑みを浮かべて告げた。
「行きましょう。まずは足慣らし――そして私たちの次なる戦場へ!」
クラリスが生家の名誉を取り戻すため、そして俺自身が己の力をさらに高めて誰にも縛られない自由を掴み取るための戦いだ。俺は力強く頷き返した。
「ああ。足慣らしを済ませて、明日から中層を突破していこう」
深淵の闇の奥底から、冷たい風と濃密な魔力が吹き上がってくる。
俺たちは次なる戦いへの確かな第一歩として、大階段を降り始めた。




