第21話 圧倒の実力確認とBランク昇格
冒険者ギルド総本部の中央受付窓口の前で、俺は静かに受諾の言葉を告げた。
バロール支部からの推薦状と、魔導端末に同期された岩石巨人討伐の実績。
急激な昇格に伴う事故防止と実力把握のための『実力確認(模擬戦)』。合否を決める試験ではないと説明されたが、対戦相手には王都総本部の精鋭が選ばれるという。
「かしこまりました。それでは直ちに手配いたします」
銀縁眼鏡の受付職員は姿勢を正すと、窓口の脇に備え付けられた真鍮製の連絡管へ向かった。
蓋を開けて伝声口に声を吹き込み、地下訓練場へ連絡を入れる。
「……待機中のBランク冒険者、重剣士バックス殿を地下訓練場の中央演習区画へ。推薦状に基づく特例の実力確認です」
連絡管を通じて告げられたその名に、窓口を取り囲んでいた冒険者たちがどよめいた。
「おい、バックスが相手なのか……?」
「総本部でも歴戦の重剣士だぞ。地方から来たばかりのCランクの新人が、いきなり相手をして大丈夫なのかよ」
先ほどまで俺を嘲笑していた『緋緋色の牙』の戦士たちも、険しい顔つきで腕を組み、疑念の目を向けている。
やがて、案内役のギルド職員が現れ、俺とクラリスの前で一礼した。
「お待たせいたしました。エルン殿、クラリス殿、地下訓練場へご案内いたします」
「はい、お願いします」
俺たちは職員に先導され、幅広の石造り階段を下りて地下へ向かった。
特例の手合わせを見届けようと、興味を引かれた冒険者たちや『緋緋色の牙』の男たちも、ぞろぞろと後に続いてくる。
地下訓練場は、バロール支部の数倍の広さを誇っていた。
広大なフロアの中央には白い石材で円形に区切られた中央演習区画があり、その中心にはすでに一人の大男が仁王立ちしていた。周囲の頑丈な石壁には、衝撃を吸収する魔導結界石が隙間なく埋め込まれている。
鍛え上げられた巨躯に、歴戦の気迫を漂わせる短髪の男だ。分厚い訓練用の模擬重剣を軽く肩に乗せ、俺の姿を見定めていた。
階段を下りてきた冒険者たちが、演習区画の外縁を取り囲む。
クラリスが区画の端に立ち、先端に風の宝珠を嵌め込んだ魔導杖を手に、凛とした笑みを浮かべた。
「エルンさんなら形式的な確認に過ぎませんわ。怪我をさせないようお気をつけくださいね」
「ああ、わかってるよ」
俺は頷き、壁際の武具ラックから訓練用の模擬刀を一本手に取った。
刃引きされた鉄の模擬刀だ。感触を確かめながら、中央演習区画の白線の中へと足を踏み入れる。
中央で待っていた大男が、肩に重剣を乗せたまま声をかけてきた。
「相手を務めるバックスだ。よろしくな、少年」
「エルンです。よろしくお願いします」
名乗りを交わすと、区画の境目に立つ総本部の指導員が両手を広げた。
「これより、Bランク昇格のための実力確認を執り行う。刃引きされた訓練用武具を使用し、急所への致命打は禁止。本確認は合否を決める試験ではなく、昇格に伴う事故防止と実力把握を目的とした手合わせであり、双方が実力を示し、指導員が十分と判断した時点で終了とする」
指導員の言葉に、バックスは不敵な笑みを浮かべ、重剣を両手で構えて俺に正対した。
俺の使い古された革鎧と小柄な体躯を見下ろし、大人の余裕を漂わせながら声をかけてくる。
「地方のギルドマスター推薦とは大したもんだが、王都のBランクは甘くねえぞ。しっかり構えな」
周囲を取り囲む『緋緋色の牙』の男たちからも、野次混じりの声が飛ぶ。
「おいおい、バックスの重剣を一撃でも受け止められるかね」
「派手に弾き飛ばされて終わりじゃなきゃいいがな」
周囲の雑音を受け流しながら、俺は模擬刀を自然体の中段に構えた。
「よろしくお願いします。――全力で来ていただいて構いません」
落ち着き払った俺の返答に、バックスはわずかに眉を動かした。
指導員が一歩下がり、鋭く手を振り下ろす。
「――実力確認、始め!」
合図とともに、バックスの空気が一変した。
ドォン、と重厚な足音が石床を揺らし、大柄な身体からは想像もつかない俊敏さで間合いを詰めてくる。
王都の精鋭Bランクに相応しい、無駄のない鋭い踏み込みだ。
両手で振り抜かれた模擬重剣が、大気を切り裂く風切り音を立てて斜め上から迫る。
だが――。
Lv35に達した俺の敏捷は141、腕力は140。
研ぎ澄まされた視界の中では、迫り来る重剣の軌道も、男の筋肉の動きも、驚くほど緩やかに映っていた。
俺は魔力を全身へ一気に巡らせ、【身体強化】と【瞬歩】を連動させた。
パシィィンッ!
床を蹴った瞬間、空気が鋭く破裂した。
俺の身体は残像すら残さず、バックスの視界から完全に消失した。
「な……消えた……!?」
バックスが驚愕に目を見開く。
俺はすでに、その巨躯の懐の内側深くへと滑り込んでいた。
怪我をさせる必要はない。
俺は手加減を保ちつつ、斜めに振り下ろされてくる模擬重剣の刀身の側面へ、下段から模擬刀を振り上げた。
バキィィンッ!!
訓練場全体を揺るがすような、凄まじい破壊音が炸裂した。
頑丈な鍛鉄の模擬重剣が根元からへし折れ、吹き飛んだ刀身の破片が甲高い音を立てて床を転がる。バックスの手元には、柄だけが残されていた。
「がっ……!?」
衝撃の余波に耐えきれず、バックスの巨体がバランスを崩して尻餅をつく。
その喉元へ、俺の模擬刀の切っ先がピタリと寸止めで突きつけられていた。
交わしたのは、わずか一合。
時間にして、瞬き一つの決着だった。
「…………」
訓練場を、完全な静寂が支配していた。
周囲を取り囲んでいた冒険者たちも、『緋緋色の牙』の戦士たちも、立会いの指導員さえも、誰一人として言葉を発することができない。
あまりに圧倒的な速度と破壊力に、息をすることすら忘れて硬直していた。
「……おい、嘘だろ……?」
「今……何が起きた……?」
「踏み込んだ瞬間に、あいつの姿が消えたぞ……」
「バックスの模擬重剣がへし折られたのか……!? 速すぎて太刀筋が見えなかった……!」
「あんな若い駆け出しの身体で、あの重剣を一撃だぞ……常識じゃあり得ねえ……」
やがて、ざわりと広がる戦慄とどよめきが、静まり返った訓練場を揺らし始めた。
俺を「雑用係」と見下していた『緋緋色の牙』の男たちは、顔から血の気が引き、開いた口が塞がらないまま立ち尽くしている。
俺は模擬刀を下ろし、床に座り込んだまま呆然としているバックスへ手を差し伸べた。
「ありがとうございました。怪我はありませんか」
バックスは冷や汗を流しながら、俺の手と、手元の柄を交互に見つめた。
それから息を吐き出し、俺の手を掴んで立ち上がると、苦笑いを浮かべた。
「……参った。防ぐ暇すらなかったぜ。地方の新人どころか、とんでもねえ本物の化け物だ」
歴戦の重剣士が、素直に完敗を認めて脱帽の眼差しを向けてくる。
その言葉で我に返った指導員が、上ずった声を張り上げた。
「じ、実力確認、終了! 対象者エルンの実力はBランク基準を遥かに超えていると確認・認定します!」
指導員の宣言が響き渡ると、クラリスが誇らしげな微笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「ふふ、当然の結果ですわね。お見事でしたわ、エルンさん。Bランク昇格、おめでとうございます」
「ありがとう、クラリス」
模擬刀をラックへ戻した俺は、クラリスとともに、驚愕と畏怖の眼差しで見送る冒険者たちの間を通り、一階ロビーへと戻った。
中央受付窓口へ戻ると、指導員からの報告書を受け取った受付職員が、立ち上がって深々と一礼した。
事務的な態度は完全に消え失せ、瞳には隠しようのない畏敬の念が宿っている。
「実力確認の報告、拝見いたしました。指導員からも太鼓判をいただいております。……これよりBランクへの更新刻印を行います」
「よろしくお願いします」
俺は腰のベルトから、鈍い青銅色に輝くCランクの冒険者カードを取り出し、トレイへと置いた。
職員はカードを手に取ると、カウンターの魔導端末のスロットへと差し込み、魔力を通した。
キィィン――。
澄んだ美しい魔導音がロビーに響き渡り、青白い光がカウンターを満たした。
端末の画面上で実績の同期とカード情報の更新が行われ、カード表面の鈍い青銅色に輝いていた『C』の刻印が光に包まれる。
光が収まると、そこには鮮やかな『B』の文字が刻み込まれていた。
「おめでとうございます、エルン殿。正式にBランクへの昇格が完了いたしました。王都総本部においても、貴殿の武功と実力に疑いの余地はありません」
職員から両手で恭しくカードを返却され、俺は受け取ったカードの『B』の刻印を見つめた。
安全確認を終え、王都でも確かな一歩を踏み出すことができたのだという実感が湧いてくる。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
俺が礼を告げてカードを収めると、隣に立つクラリスもサファイアの瞳を細め、心からの祝福を口にした。
「おめでとうございます、エルンさん。素晴らしい成果ですわ」
「クラリスのおかげだよ。ありがとう」
俺たちがロビーの出入口へ向かって歩き出すと、周囲を取り囲んでいた冒険者たちは自然と道をあけた。
侮蔑の空気は消え去り、誰もが息を呑み、畏敬の念を込めた沈黙で見送っている。
だが――そのときだった。
俺の肌を、ちりちりとした冷たい気配が撫でた。
ロビーの太い円柱の影、併設された酒場スペースの薄暗がりから、まっすぐに向けられている視線がある。
周囲の冒険者たちが向ける驚愕や羨望とは、明らかに性質が異なっていた。
感情を押し殺したような、底冷えする冷徹な視線。
そしてその視線は、俺だけでなく、隣を歩くクラリスの姿をじっと射るように捉えていた。
俺は歩調を緩めず、視線だけを柱の陰へと向けた。
薄暗がりの柱の脇に、上質な外套を羽織った身なりの良い男が一人、静かに佇んでいた。
男は深いフードの奥から冷たい眼光をこちらへ注いでいたが、俺の視線とぶつかった瞬間、わずかに身じろぎをした。
そして次の瞬間には、行き交う冒険者たちの人混みの奥へと滑らかに紛れ、その気配を消し去ってしまった。
「…………」
あの男は何者なのか。なぜクラリスを執拗に見つめていたのか。
男の姿を見失った人混みの先を見据えながら、俺は隣を歩く相棒の気配を確かめ、静かに警戒を引き締めた。




